鈴木みそ「ナナのリテラシー」が面白かったので続けて同作者の「限界集落温泉」読んでます。
こちらは「舞台は存続の危機にあるギリギリの集落のなかで、客が来ないため経営がギリギリの温泉宿。とあるきっかけをもとにして、食っていけなくなりつつあるギリギリ状況のクリエイター集団(主にゲーム業界の人間)が集まり、起死回生を掛けていろんなアクションを取っていく」というような展開のお話です。 「ラ○ライブ!」なんかで聞いたことが有るような設定にも見えますが、あとがきによると、作者が実家に帰った時に「若者がほとんどいない、本質的に閉塞した世界」を感じ、それについての問題意識を出発点とした「ストーリはフィクションですけど、ベースはとてもリアル(作者コメントより)」なお話です。
こちらもとてもおもしろい。ストーリは限界集落のむら起こし、なのですが、登場人物の会話を見ていると、「そもそも人を集める魅力とはなにか」「ある人をその場に惹きつける本質的な力とはなにか」ということで、「魅力とはなにか」がテーマになっていると感じます。あと「企画」「プロデュース」ってほんとに難しい仕事なんだな、ということも読んでるとわかります。
作者の巻末コメントの「現実の社会がそうであるように、このマンガも一歩先がわかりません」という言葉にあるように先の見えない展開の中で、登場人物たちが手探り手探り生き残りの道を模索していくさまが読んでてドキドキさせられます。
先がわからない展開のせいか、常に出し惜しみなく全力を出して問題に取り組んでおり、結果として1冊あたりの密度が濃く、非常に読み応えがあります。 人も金もない状態、何か野郎にも足りないことだらけで、ちょっとしたアクシデントや妨害があれば即GAMEOVERの綱渡り状態です。 しかもやる気(コミットする動機)がない人間を動かして、アイデア勝負を仕掛けて少しずつ物事を前進させていかなければならない。はてさてこの先どうなるのか…
余談 地方は「コミュ障」にはやたら厳しいと思う(個人の体験談です)
それはそうと、イケダハヤトさんが東京を移住し、高知に移動されるという記事を書かれていました。
http://www.ikedahayato.com/20140601/6301963.html
ちょうどこんなマンガを読んでいたところということもあり、ちょっと期待しています。
ひとつだけ心配があるとすると、「炎上」キャラが生存できるのは情報が流れるのが早いネットや都会だけではないだろうか、ということです。私も最近まで和歌山で生活していました。 あくまで私の体験ですが、私の周りは人間関係が非常に狭く、かつ娯楽が他に少ないせいか、人間関係が娯楽になりやすい。 つまり周りの人間をコンテンツとして消費ようとして、常に他人のあら探しをして相互監視しようとする世界であり、そこではとにかく「協調性」が重視され、論理なんか簡単に引っ込んでしまいまうことが多かったです。 私からすると理不尽だらけでいろいろと窮屈さを感じることはたくさんありました。
とにかく、地方は情報量が少ない代わりに情報の滞留時間が長過ぎる。東京は情報量が多すぎて消耗するかもしれませんが、その分いやなことでもどんどん流れていってくれる。 また、都会は良くも悪くも一人で生きていくことが許される感じがあります。地方だとそれがやりにくい、というか一人でいるというだけで「協調性がない」「あいつはダメだ」と後ろ指を刺される感覚が常に有りました。もうこれほんと嫌で嫌でしょうがなかった。
ネットの人気なんて水モノで、キワモノは特に足が早いからアユポン景気はもうかなり下火ってるんでは
それにしてもなんだこのみんなのそっけなさ。アユポンが帰ってきたのになんてさみしいリアクション。もうネットの話題はまったく別のところへ移っちゃって「ビバボル姫」なんてはるか昔の話題とは…。なんつー速さ!この速さなら言える。東京忙しすぎ!
そういう「この速さなら言える!」がいろいろと言えなくなり、「嫌われモノ」でいることの苦痛が都会の何十倍にもなるのが、地方なんじゃないかな、と。そんな風に思ってます。少なくとも私は都会よりも地方のほうがはるかに消耗しました。それに変わる魅力を、私は見出すことができなかったんですよね。 地方って言っても、仕事してたら「時間のゆっくりさ」は体感できませんし。つーか過労でたおれかけたし。
そんなわけで、私は地方について、ネガティブなイメージが強いのですが、このマンガや、イケダハヤトさんが、そういう私の固定観念を振り払って、「魅力」を掘り下げていってくださることを期待しています。
このマンガ、めっちゃ好きなので、別の機会に紹介したいと思います。