「六畳間の侵略者!?」は元ergシナリオライターの健速さんの作品。
「それどこのうる☆やつらだよ」と思うくらい昭和臭が漂うコテコテキャラ設定と、ココ最近のベタベタな会話の盛り合わせであり、最初は激寒い作品だと私は思っていた。 しかし、ためらいなく数量でゴリ押しされてるうちにだんだんクセになってきる自分がいる。今のところ、1話の輝きが薄れ、だんだんgdgdになってきているペルソナ4GOLDENより、「六畳間」のほうが好きになってるかも。もっとも、ペルソナ4GOLDENが盛り上がるのは今からですよね。どっちも期待。
それにしてもこの作品、今時のオタクコンテンツには珍しく、正ヒロインがどこまでも最強な存在として描かれてるのが面白い。昔のお約束を貫くとむしろ新鮮に見えるということなのかも。EDの昭和コテコテさといい、スタッフもかなり意識してやってはるのかな。
健速クオリティを感じるワンシーン
http://anicobin.ldblog.jp/archives/40254267.html
いいですか?私と里見くんは、部活の先輩と後輩ですよね。
でも、こう言うことも出来ると思うんです。
同じ部に所属しているだけの赤の他人だと。
私はそう言われたら悲しくなります。
なのに里見君は同じことをその方にしてしまったと思いませんか?
たとえそれが事実であっても
積み重ねた時間があれば、受け取り方は違います。
私が里見くんに友達だと思って欲しいように、その方だって…違いますか?では、里見くんは赤の他人を心配してここまで来たんですか?
お約束の「こいつなんて彼女じゃねーし、友達だし、赤の他人だし」系のアレに対して
ガチ正論、ガチ青臭い話をあびせていくのが健速クオリティ
日常モノにとって「中身が無い」は褒め言葉?
この作品、とにかく「中身が無い」と言われることが多い。確かにそのとおりだと思う。でも悪く無いと思う。
戦争終結からこっちの70年間、わが国の国民と政府が、毎年毎年、退屈極まりないコピペの追悼イベントを繰り返してきたことにも、それなりの意義があったということになる。というのも、退屈なイベントに新味が加えられて、十年一日の常套句だらけのスピーチから、あるべき常套句が聞かれなくなった時が、実は、戦後70年続いてきた状態が変わる最初の兆候であるかもしれないわけで、その意味で、コピペのイベントは、異常動作検知システムとして、非常時にこそ有効に機能する、坑道の中のカナリアとして評価できるからだ。
そもそも、中身が無いというのは、「目新しさ」や「ドラマツルギー」がないというだけだ。
本当に中身が無いわけじゃない。
目新しい展開や、バトルなんかがなくても読ませ続ける力があるなら、それって最強だよね。
「私は事実を指摘しただけ」という主張の欺瞞について
さて、ある事実について言及するとして、
物事をどう認識するかは、受け取る人の文脈によって異なる。
これを受け入れないと生きるのあ死ぬほどつらくなるからこれは前提とする。
この前提の時、
他人を傷つける発言をして「私は事実を指摘しただけ」と主張することは何を意味するか。
①相手の文脈を無視し、
②自分の受け取り方を押し付けて相手を一方的に押し付け
③その結果相手が傷付けてしまった上に
④「それが事実だ、何の問題が有る」と開き直っている。
そこには何重もの欺瞞があるということになる。
とはいえ、ではこういうクソみたいな意見をいう人間を見かけたらどうするか。
仕方ないだろ!本当に面白くなかった記事が絶賛の嵐であんぐりしたんだから!
これを欺瞞と指摘することもまた欺瞞になっちゃうかもしれないな。
大前提が共有できてない、議論が不可能というだけで、欺瞞とは違うかも。
こういう人相手の場合は
「いや、仕方なくはないよな」
「それはお前にとっての事実で、私にとっての事実ではないな」
「お前がそう思うならそうなんだろうな」
と受け流し、自分の事実を大事にするしかないのだろうか