kindle版が安くなっていたので購入。(350円OFFなのでお得ですよ)
個人的にはものすごい好みの作品です。
テーマとしては「Phantom of the inferno」のアイン編や「ヨルムンガント」思い出す。
ちなみに、2作品と違って、火薬弾薬漢祭のようなことはなく、静かに展開するサスペンスものです。
絶望的な社会の雰囲気と冬の景色の描写の美しさがマッチしててとてもよい雰囲気だった。
1933年ロシアの片田舎で繰り広げられる歴史ミステリー。
帝政ローマが滅びた後の混乱期のロシアを舞台に、正体不明の青年と少女が登場する。
女性は足がなく、特殊な車椅子に座っており、男の助けがないと移動することも出来ない。
一方、男は病気持ちで、女性の助けがないといつ死ぬか分からない。
この二人が支え合いながら、過酷な時代をなんとかサバイブしつつ、己のルーツを求めて旅をする。
この女性と男性の正体は何者なのか?その目的は?
二人の関係はいったいどういうものなのか?
二人は無事生き延びることができるのだろうか?
そして、ルーツにたどり着くことはできるのか?
そんな感じの物語。
今まで、己の特別性に固執するあまりセカイ系に走ったり、
社会から外れて、タコツボ化する中二病的な物語が多かったけれど、
今後は「日常」系を経て、こういった「歴史」や「ルーツ」をたどる物語が増えても面白いかな。
そこから社会に溶け込むか、あるいは新しい自分の人生を歩むか、
そんな選択ができる展開が人気出ると個人的には嬉しいなと思った。
実際、例の問題作「永遠のゼロ」人気の一つの要素として
主人公が、己を規定する「運命」や「ルーツ」を求める物語であったことも
挙げられるのではないか、そういう需要ってもっとないかなー。
ちなみにこの作品、革命後のロシアが舞台なのですが、
この辺りについて自分の知識の弱さを痛感しました。
ウクライナ危機の際にモットよく勉強しておくべきだった。
マクロ1
1932年から1933年のウクライナを中心とした大飢饉は
農民を集団化し、穀物の収穫を政府がコントロールすることによって
工業の圧倒的成長を促そうとしたソ連共産指導部が
農業の現場から農民の指導者たる富農(クラーク)を
徹底的に排除したことに端を発する人為的・政治的なものだった。この時代、スターリンにとっての第一の敵は、
党内の政敵ても他党の活動家でも、ましてドイツでもなく、
「農民」であったと断定できるが、
1934年12月のセルゲイ・キーロフ暗殺事件を機に
その粛清の矛先は徐々に党内の同志たちへと向けられていった…ボリシェビキがその名を「共産党」と改称してから16年。
共産主義国家は未だに地上に出現していなかった。
「最近は、むちゃくちゃらしいわ。
OGPU(秘密警察)が、NKVD(内務人民委員部)に吸収されてから、
国の中枢にいた人までが、つまらない罪で次々と刑務所に放り込まれてる。
昨日、彼の同僚が同じOGPUに身柄を拘束され、
ルビヤンカに投獄されたの。罪状は
元・帝国陸軍将校だったから。」
マクロ2
5カ年計画ってあるでしょう。今は第二次5カ年計画か。
工業を発展させるために農村を潰そうっていう狂った開発計画。
あれはね。「順調に推移している」。去年までの飢饉で農民が死にに死んで、工員への配給すら滞ったけど…
計画は「順調に推移している」のよ
その理想と現実を埋めるのが、私達囚人の献身的なただ働きってわけ
あなた達は、まだ良くわかってないのかもしれないけれど
ここでの囚人の労働はね、続けていればいつか解放されるというものではないの。
共産党が欲しているのは、
人民を抑圧する恐怖の提示と無償の労働力。
働けなくなれば適当な罪をでっちあげられて銃殺される可能性もあるわ
このあたり、「1984年」読んでる人にはたまらん雰囲気だと思うよ。
ミクロ
ワシは逃げることが出来ない。
だからワシの変わりとなる人間を作り上げる。
その者は、グレゴリーの眼を持ち、
お受けの子女の顔を持ち
^^^^^^^^^の知識があり、
自分の意思で^^^^^から去ることが「できない」
^^^^^^にこの上ない安堵を与えるだろう人間だ。
「この娘が生まれたのも、こんな雪の日だったね……
いつか観たコルサコフの「スネグラチカ(雪娘)を覚えてる?
氷の翁と春の精が愛しあい…雪娘が生まれたことで、
神の怒りを買い、村を雪に閉ざされるが、
雪娘が溶けてなくなったことにより神の怒りも消え
再び春がやってくる… そういう話だ」
少なくともこの仕事、ピエールカにとっては受けるべき動機が他の人間以上にはあるのさ。
「それ」を見つけることによって、あの娘はある幻想に浸ることができる
自分が…当たり前の男女の愛から望まれてこの世に生を受けた、という幻想だ
それにしても、沙村先生のあとがきはいつもおもしれーなー。
作品そのものは時々あわないと思うこともあるけれど、
沙村先生のあとがきが好きでついつい満足してしまうことしばしば