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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「節操」についてのメモその1

前の記事で「節操」ってキーワードを思いついたのだけれど、まだキーワード思いついただけで中身は空っぽです。
どうせ一発で綺麗にまとまるわけないのでいろいろ考えながら埋めていこうと思います。


とりあえずこの言葉の意味はわからんけど使い方というか目的はわかる。

目的は「出来る限り他人の発言の自由を尊重しながら、それでも自分が気持よくありたい」ってことです。
だから使い方としてもまずこの言葉が、思考や発言の方向を制限するようなものであってはいかんな、ということはわかる。

私は言葉狩り以上に、言葉による狩りが嫌いなのです。「繊細チンピラ」みたいなやつね。






ということで、この「節操」を強調していくとすれば、まず発言の自由度を出来る限り損なわないことが必要。

(1)必要以上に一貫性を求め過ぎない、安易にコミット認定しない

「場の文脈」より「アカウントの自由」が先立つインターネットでは「言及しましたね!」の火力が強すぎる - ←ズイショ→

あるお題目にコミットするのかしないのかって選択を本来的にはもっと濃淡で解釈されていいはずなのにやたら白黒ハッキリしやがれよって形で迫られがちな現状だなぁと僕は感じていて。現状そうなので、それが良い・悪いもなく現状そうなので、間違ってるも変わるべきだとも思わず現状そうなので、こんなに誰しもが自由に対話できるインターネットのはずなのにもったいないなぁとか思う俺なのでした。

となると、一度言ったことは一貫しろとか言ってしまうのは絶対ダメ。
何かに少しでもコミットしたらそれを絶対に変えてはいけないとか言ってしまうのもダメ。




(2)必要以上に発言のコストを上げすぎない

エクスキューズを入れた方が、「どの程度の執着を以ってこの話題に言及してるのか」ってのがより正確に伝えることができると思うんですけど、大抵の人はめんどくさいからわざわざ書かないと思うんですよ、じゃあそこの部分をハショっていきなり「それがあなたの執着です!」って突っ込まれる話題に言及するかというと、そうじゃねえと思うんですよね。執着の程度を表すエクスキューズはめんどくさいし、エクスキューズをハショって「それがあなたの執着です!」と看做されるのもめんどくさい、そういう時普通の利口な人は、たぶん黙ると思う。それがもったいないよなーって話

これほんとその通りでかなり気をつけないといけない。

この流れが行き過ぎているために、いまのネット、特にはてな村は、「言及するのめんどくさくて、みんな気にしてるけど誰も触れない話題」だらけになってしまった。その結果誰のこととは言わないけれどただ黙る知恵がないだけの「ただのバカ」が過剰に持ち上げられるところまで来てしまっている。私自身、その「ただのバカ」に対して複雑な感情を抱いていることは2つ前の記事で書きました。

本来はてなブックマークtwitterは字数制限というあまりにもシンプルな形によってこの「発言のコスト」を強制的に下げるという価値を提供しました。はてブtwitterも結局蓄積やRTによってその価値は失われつつ有ります。

なので、「ただのバカ」の台頭を駆逐するには、<お互いが監視しあって、発言コストが上がっている状況>を解消し、<普通の人が気軽にいろんなことに言及できる状況>を作るしかない。
ことが求められます。出来る限り自由を邪魔しないようにしたい。





それでも、完全に自由であってはいけない。
ただのバカであってはいけない。「節操」が必要だという想いは変わらない。

だとすると「節操」ってなんだべさ。感覚的にはここらあたりがヒントかな。

ポール・クルーグマン「どんなコストを払ってでもインフレ妄執を広める人たち」 — 経済学101

何百万人もの生活に影響する現実の政策問題に関わる公開の論争に参加しようっていうなら,尊敬に値しない論述が尊敬をもって扱ってもらえるような権利なんてないんだよ.

べつに,博士号がなきゃ発言しちゃいけないなんてぼくは言ってない.ちゃんと宿題をする必要があるよってことを言ってるの

彼らには騎士団すら騙すほど精巧なものを作れたのに以降は決してその行為に手を染めないという節操があった。あいつらにないのは、名誉ではなく節操だ。あいつらは目の前のことしか見えていない。
大事なのは優先順位だ。それさえわかっていればこのセカイで迷わずに進むことができる経緯を払うべきはそういうことに対して、だろう。あいつらにはその目的がない。己の行動の基準となりうる目的が。そしてーーー今のあんたにも、無い。(マグダラで眠れ2巻)

うーん。

「レベルの一致」とか「釣り合い」とか「バランス感覚」みたいなものかな。
そういう「しっくり来る」部分を大事にする感覚を大事にすること。このあたりかな。

対人関係だったら単に「相手を尊重する」ですむ話なんだけど、
節操というのは「自分を大事にする」みたいな話のつもりなんです。

「接点がないときは、生き方の沸点を合わせろ!」だ。

「私は確かに武道については知らない。だが別の道(ギャルゲー)なら極めております」(神のみぞ知るセカイ7巻)

つまり、ろくに興味もないしコミットもしてないことに対して声を荒らげたり、

知りもしないし調べもしないのに自分の感覚だけで自分がいちばんわかってるようなふりをしたりしてほしくないし、

極端に狭い視野で社会を語ってほしくない。





うーん、これだけだとどうしても「私のわがまま」でしかない。
でも、これは「私のわがまま」でもあるけどそれだけじゃなくて、
「一人ひとりが自分を大切にする」って話のつもりなんです。


対人関係だったら「握り合う」とか「相互信頼」ってあたりの言葉に相当するのを
個人が自分に対して行う、みたいな。そういう感覚を持ちたいなという話なんですが。