昨日のポジショントークの話に関連しそうな感じの記事だねこれ。
ttp://ibaya.hatenablog.com/entry/2014/11/21/151546
この人テンション高いけど、これ本当に楽しいのかな。
これ、どこまで続けることができるノリなんだろうか。
この人が2年後でも同じノリを続けられるんならいいけど、そうじゃなければなんらかの「目的」をなしとげるための演技だよねこれ。
もちろんFakeItUntilYouMakeItって言葉もあるからちゃんとやりきって向こう岸まで渡れればいいけど、大半の人は理想を抱いて溺死しそうな感じ見ててハラハラする。
下から目線の批判は嫉妬でできているのなら、上から目線の批判は何でできてんのかな?
で、なんだか「批判の9割は嫉妬」みたいな話がしたいそうです。
うーん。またこういうのか。このテの人達は自分のは批判じゃなくて何だと思ってるのかな。それが昔から分からない。
「かつて太っていてダイエットに成功した人が最もデブを憎み苛烈に攻撃する」の法則の典型例みたいな記事に見える。
地球の重力に魂を引かれて宇宙に飛び出せてないもどかしさ
この人にかぎらず、変化を目指して、それを成し遂げた後、語りの内容がどちらの方向を向いてるかは結構重要だ。
変わった後、「さらに先」を具体的に見据えてそれを語る人も多いが
なぜか語りの焦点が「かつての自分がいた所」にあたっている人もいる。
というか、割りと後者を多く見かける。こういう人たちは
・「俺は変わったんだ。もうあいつらとは違う」といって、かつての自分との違いを一生懸命強調する感じがすること
・やたら前向きや理想論的なことを繰り返す割に、感情に振り回されすぎていて、とてもその理想を支える下地となる人格の強さが感じられないこと
・精神論的な話ばかりが続き、世に具体的に何かを生み出してそうな実体的な活動が目に見えてこない(こういう人と比べると家入さんというのはいろいろ問題があるとはいえ本当にすごいと思ってますんよ)
・批判とかを受けた時に「他人を下げる」形で対応しようとする傾向が強いこと
・なぜかわざわざ批判者に対する態度を表明しないと気がすまなさそうに見えること
などが共通している。私が青二才さんに構うのも割りとこれに近い。だからこそ思う。どうすれば重力から逃れて自由になれるのだろう。どうすれば、「あいつら」を気にせずにいられるようになるのだろう。
松岡修造というのは本当に偉大な人物なのだろう
また、こういう人を観るといつも思う。
この人は、そんなに必死に、何を否定しようとしてるんだろうか。
この人は、そんなに必死に、何から逃れようとしているんだろうか。
ttp://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar671156
ひとはなぜ何かを批判する時、そこに「過剰なもの」を付け足さずにはいられないのだろう。この場合の「過剰なもの」とは、皮肉や、厭味や、揶揄や、罵倒や、そういうもののことである。何かを批判したいなら、ストレートに批判すればいい。それなのに「だからバカは困る」とか「このカスがwww」とか「まあどうせあなたにはわからないでしょうけれど」とか、そういう余計なことを足してしまうのは、いったいどうしてなのだろう。そんなことをしても相手がその批判を受け取りにくくなるだけで、何の得もないではないか? 合理的に考えれば、「過剰なもの」は批判そのものの論理性を疑わしくするだけで、何の意味もないと考えるべきだと思うのだが……
なぜ正面から合理的に批判するだけで済ませられず、わざわざ「笑い」という行為を行うかというと、笑うことによって「自分は相手よりはるかに上だ」と誇示したいから。ようするに相手と同じ土俵に立つ気がないのだろう。同じ土俵に立ったら、ひょっとしたら負けるかもしれないから、これはある意味で賢明な戦術ではある。たったひとつ、限りなく不毛であるという一点を除いて。
これだけテンション高いのに、かつての自分から自由になれてなさそうなのはなぜなんだろうか。
劣等感非常に強そうだけど、劣等感から本当に自由になるというのはこういう方法ではやはり無理なのではないか。
とか、普段目をそらして考えないようにしてることを揺さぶられて心がうずく。かんべんして欲しい。
聖☆高校生とFLIP-FLAP
私はこうやって薄弱な理論をテンションの高さでゴリ押しして自分をごまかしきれるほど無邪気にはなれない。
なんの裏付けもない状態では、虚仮の一念岩をも通す、なんて話は信じ切れない。
だから私にはこういう方法は無理だ。(上の人ができるか出来ないかは、どれだけ本気で信じて、最後まで信じきれるかにかかってるとは思う)
とはいえ、じゃあ私はどうすればいいんだろうか。
どうすれば、こういう方法ではなく、劣等コンプレックスからもう少し自分を楽にすることができるんだろうか。
アドラーも悪くないけど、ワタシ的にはこういう方向しか無理だと思う。
だからこそ、DDRは私にとっての心の支えだった……。いまはそれが失われてツライ。