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「バカにする」と「批判する」は全く別物である

いい批判と悪い批判だとか批判以外は嫉妬みたいな話じゃないです。「俺を批判してくるやつは嫉妬してるんだ」みたいなことを言う人はそれが事実で有ったとしても嫌いです。なぜなら事実でなくても確かめようがないからです。

書き手の内面はどうでも良くて、そこに依存せず形式論としての区別することが必要だと思います。形式論と言うと窮屈なイメージがあるかもしれませんが、窮屈にならない程度に最低ラインを作ることは可能だし有用だと考えます。上のやうな決めつけの弊害を防ぐためにも、誰がみても明らかなレベルでは形式的な基準が欲しいです。



今日話題になっていた「ラノベ批判」と「ラノベをバカにする人」も区別してみるとこうなる。

ttp://nunnnunn.hatenablog.com/entry/2015/02/01/233025
を一部改変する。 「 」部分が改変。

結局、ろくにライトノベルを知らない人がラノベを「バカにしている」のだ。漫画が、アニメが、小説が通ってきた歴史と同じように、理解できないものを「バカに」し、安心する。自らの不理解、不勉強を一切顧みずに「バカにし」続ける。他人を馬鹿にすることで、自らを安全圏に置く。批判から遠ざける。

単純だ、ラノベを馬鹿にする人も、自分を馬鹿にされたくないのだ。馬鹿にされたくないから他人を馬鹿にする。ラノベを馬鹿にしているのは、他人から馬鹿にされたくないと思っている人だ。みんな人から馬鹿にされたくないから自分以外の馬鹿をみつけて安心する。携帯小説やなろう系小説を馬鹿にするラノベ読みも同じ構造だ。

これが正しいかどうかはどうでも良くて、この程度の理解でいい。こういう人たちのことは「バカにしてくる人だ」ということだけ理解して、それ以上は関わらない。バカにもしない。そういう距離感が保てればいいな、と。


できてないけど。未熟


ここで「まともな批判だって在るだろう。それは無視するのか。ラノベには批判されるところがないというのか」という人には、私は「馬鹿にする」と「批判する」は全く違う行為であると言いたいのです。

批判は歓迎し、「バカにする」だけのものは相手にしない。そうできたらいいね、という話です。逆に言うと「バカにする」人に左右されて「批判」を受け入れられなくなるなら、そんなカテゴリは滅びてしまうだろうと思います。





あとは余談です。 

「バカにする」と「批判する」は全く別物であると言い切ったので、じゃあ「批判する」ってなんだよって言うことについて一応自分の基準を書いておくものです。読みたい人だけ読んでください。

フィルタ1 「なぜ、そのような判断を下すに至ったのか」その前提or根拠が語られないものは批判ではない

私がいつも参考にしている「発声練習」さんから関連記事を引用するよ。
ここは読み飛ばしてくれてもいいよ。

作家にとっての批判と技術者、研究者にとっての批判 - 発声練習
批判対象は「行為」「発言」「表現物」としよう - 発声練習
「コト」「モノ」に対する批判は娯楽になるけど「人」に対する批判は娯楽にしない方が健全 - 発声練習

「批判とはなにか」というテーマで自分が大事だとおもった点をひろうと
「必要条件として、論理的であること」が挙げられている。
論理的というと漠然としているけれど、これについては
「なぜ、そのような判断を下すに至ったのかの理由」が存在すること。

根拠はなくても仮定がある。日本人が議論できるようになるためには? - 〜考える日本人〜 日本の言葉、社会、ネット
論理的な主張/文章の書き方 5W3H改

つまり批判は、それ単体で「主張」になることが求められる。「なるほど一理ある」と思わせる必要がある。
そして、それには「根拠」「論理的仮定」がいるってことね。
これがそもそも抜けていて「なんとなく」になってる場合はアウトです。


フィルタ2 「相手の理解」を経由していないものは批判ではない

「なぜ、そのような判断を下すに至ったのか」を述べていても、
それが個人の妄想や思い込み、あまりにも飛躍した論理であるパターンが有ります。

事実に反していたり、そもそも批判対象を読んでいなかったり、何よりも相手の主眼を外してたりしてたら、
いくら根拠を示していたとしても、全く意味がありません。

一旦相手の言い分をちゃんと理解しないで意味のある批判なんて出来ないと思ってます。
私は批判すると決めた相手については執念深く理解しようと努めてます。

不十分でもいい、少なくとも一度相手を理解しようとしたという格闘の痕跡が感じられないものはアウトです。



フィルタ3 1、2の条件を満たしていてもなお批判と呼ぶに値するレベルに達していなければアウト

正確には批判とは違うけど、反論ヒエラルキーはそのまま批判のレベルを図る際にも使えると思うよ
議論能力および発表能力の発達段階 with 反論ヒエラルキー - 発声練習

第0段階:大人としての自覚する

第1段階:ゼミでの発表や研究室内での議論で、自分の主張を否定するような意見に出会うと「怒る」あるいは「泣き出す」、「へこむ」

第2段階:ゼミでの発表や研究室内での議論で、自分の主張を否定するような意見に出会っても、何とか受け入れられるようになる

第3段階:他人の発表や議論を聞いて比較的細かい「よくないところ」を指摘できるようになる。

第4段階:他人の発表や議論を聞いて、発表や発言の枠内で「よくないところ」を指摘できるようになる。ただし、改善方法は提示できない

第5段階:他人の発表や議論を聞いて、発表や発言の枠内で「よくないところ」を指摘できるようになる。しかも、改善案も提示できる

第6段階:他人の発表や議論を聞いて、研究テーマや扱っている問題の本質的なポイントから「よくないところ」を指摘できるようになる。しかも、改善案も提示できる

これについては私の意見を述べるより、皆さんが各自で考えていただきたいところです。
この段階で、みなさんが「批判」にあたるレベルってどこからだと思いますか?
そして、そのレベルは単に「バカにする」からとても遠いものだと思いませんか?
少なくとも何も考えずに、なんの訓練もなしにできるものではないと思いませんか?




ラノベは批判を歓迎している とはいうものの オマエではなし

世の中に 人が来るこそ うれしけれ とはいうものの おまえでは なし(内田百閒)

批判出来る人は批判すればいいと思います。 批判だったら喜ばれます。

でも、「批判できてるつもりでただバカにしてるだけ」の雑な語りは、そもそも批判と思わなければよいです。



私は、ラノベを批判できるほどラノベについて知ってる自信は皆無です。
気に入らないラノベはありますが、それはその作品を批判すればいいのであって、私にはラノベ全体批判とか手に余りますわー。


2014年ラノベ周辺まとめ - 小説☆ワンダーランド

こういう記事書ける人の意見だったら聞いてみたい。売り豚スレから数字とってきて印象操作するだけの記事はいらない。


というわけで、「批判する」は誰にでもできることじゃないし、めっちゃめんどくさいので、それがいやなら批判なんてやろうとしなければいいと思います。どうしても書きたいなら「レベルに達してない批判はただの感想であり、文句であり、印象批判という批判以下のものであり、求められてない」ということを理解して書くべきじゃないかなと。
もちろん、わかってても「文句」書きたいときは在るでしょう。わたしもあります。そういう時は、自分の書いてるものが「格」かを自覚して、まともな反応は期待しないようにするべきでしょう。