私は以前「繊細チンピラ」などに代表される過度な類型化に抵抗を感じていました。しかしそれは語句レベルというあまりにもお手軽なレベルで人を型にはめて扱うことは危険だと考えたからです。便利すぎると、それを他人に向けて気軽に使ってしまうからです。ですが、ある程度詳細なテンプレートであれば、むしろ必要ではないかと感じるようになりました。
語句レベルでの集約が危険なのであって、テンプレ的な語りややりとりに対しては、やはりそれと指摘するテンプレートもまた必要ではないかと思い始めています。ただ、それはある程度具体的なものでなくてはならない。汎用性を持ちすぎず、複数の条件で絞りこまれたものであることが望ましい。
というわけで、試しに1つ。
ttp://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20150218/1424268201
で書かれている内容が、ほぼ全ての「最近の○○批判」の主張すべてに通用するテンプレになりうると思ったので、今後私が「最近の○○批判」を見た時に自分の中でスルーするためのおまじないとして、いくつかの表現を記録しておくことにします。
(注)
以下の文章は「ピケティブーム」についてニューズウィーク日本版が組んだ特集への批判です。つまり「マスコミ」レベルのメディア、「専門家」としてのレベルの人に向けた批判であって、ブログとかツイッターレベルでいちいちこれを要求するべきではない。だから「最近のラノベ批判」「最近のなろう批判」「最近の男女論」について書いてる人にいちいち指摘するつもりはありません。
ですが、だいたいこういった語り全てに共通する問題の指摘になっていると思われます。つまり、それだけ、話題が違っても共通する構造があるということなのだと思います
何より残念なのは、この記事にうかがえる当事者意識のなさ
・あんたがその議論の場であり、それを深める存在なんじゃないの? 原油価格やスカートの丈ならこんなアプローチもありだろうけど、この話だとそうはいかないはずではないの?この○○は、それを一顧だにしていない。
第三者的に「なんかブームだねえ」といって賢しらに冷笑したいだけだ。
・他の○○記事では、実際の格差についても多少の説明があり、ピケティの議論がどこまで適用できるかについて具体的な解説もあった。この特集にはそれはまったくない。
・つまりこの特集が述べているのは、自分たちは○○について(肯定的にせよ否定的にせよ)真面目に扱う気なんかない、ということだ。軽薄なブームとしてしか捕らえてませんと自ら語っているに等しい。それがこの「特集」を、これまで見た中でも最悪の代物にしている
☓☓がそれに関心がなく、知らないだけだ
・☓☓のように、そうした議論がまったく起こらないかのような決めつけをするのは、ぼくにはまったくのナンセンスに思える。いや、すでに世界各地でいろんな議論が起きている。☓☓がそれを知らないだけだ。
・☓☓が○○の議論をきちんと読み取ることに何の関心もないことは、この本のまとめとして、リベラル派による分配重視VS成長重視の市場擁護、という代物を持ち出すことからもわかる。
よくてサンプリングエラー、悪ければ悪質な歪曲
仲正がいちばん浅はかなところしか見てないだけの話だ。軽薄なとこしか見なければ、それは軽薄なブームだという結論になるのは当然だろう。でもそれは、よくてもサンプリングエラー、悪ければ悪質な歪曲だ。
△△しか見てないで、○○なんか見たこともないのがバレバレ
ちなみに☓☓が、ピケティ本に対比するため持ち出してきた本というと、△△だ。△△しか見てないで、○○の本なんか見たこともないのがモロバレ。しかもそれらが売れたけど影響を与えなかった、という
そんなのが比較になると思ってること自体、参照のフレームがおかしい
こんな雑な文章しか書けないからバカにされる
○○を知らなくて興味もないのは別にいけないことじゃない。でもそれなら、こんな文章をそもそも引き受けるべきじゃないと思う。
◆余談 なぜ「最近流行の○○」批判は繰り返されてしまうのか。「最近流行の○○」批判をするのはどういう人達か
「最近の○○批判」という言葉でくくれるテンプレ的な語りはなぜ起きるのか。「最近のラノベ」批判とか「最近のなろう」批判とか「最近の萌えアニメ」批判とかのような感じですね。
この手の話題に対して、普段から接してないのにいきなりズカズカ乗り込んで来て語ろうとする人は以下の構造に陥ります。
①普段から接していないので、語るに足る中身を持っていない(2時間ちょっと調べた程度で十分と思ってる人もいましたが)
②中身が無いから漠然としたジャンル語りしか出来ず
③漠然とした語りで褒めるのは難しいし、的確な批判をするのはなお難しいため、
④漠然とバカにする記事しか書けない
わけです。何も知らない人が、賢しらなコメントをしようとしたときにできることは「漠然としたジャンル批判」か「自分の思い込みを語る」しかない。それでいて、個別具体的なものを捉えずに褒めたり的確に批判することは難しいというアタリマエの原則が発動した結果、「何もわからない人がその話題に絡んでくると、そうなる」わけです。これは構造的な問題であり今後もこの手の「漠然としたジャンル批判」「最近の○○批判」は、それが話題になるたびに何度でも再生産されるでしょう。
もちろんこういう人たちが書く「最近のジャンル批判」記事は情報量としてはブコメ100文字程度のものはありません。あとはジャンル批判とは関係のない個人の自分語りと思い込みの開陳、せいぜいそれに「自分の思い込みを強化する2~3の事例」でしかありません。そういう無価値なものを話題の記事として取り上げてしまうはてなブックマークのシステムにも問題がありそうですが今回はスルーで。
では、こういう人たちに個別に間違いを指摘すればいいではないかと思われますが、無駄です。そもそも話が通じる人は、こういう記事を書きません。こういう記事を書く人たちに間違いを指摘した時の反応としては
①元々自分の心情について語っているだけだから間違いはないし、本音をいって何が悪いと思っている(言われる相手のことは考えない)
②自分がマジョリティの代弁だと思っていて間違いを批判されても「だってみんなそう思ってるもん」といって話を聞かない
のどちらか、あるいは両方になります。つまりいくら手間ひまかけて相手をしても無駄になります。そして、そういうものに対していちいち対応する手間をかけさせられる人たちがとても気の毒になります。
なので、もういいじゃないですか。今後はこのテンプレに「ラノベ」とか「なろう」とか「馬鹿」とか入れて返信するだけでいいじゃないですか。実際に、このテンプレートで対応できないような、見事なジャンル批判を書いている人を、すくなくともはてなでは見たことがありません。向こうがテンプレ的な記事を繰り返し書き続けるなら、こちらもテンプレートで返す。それで十分だと思います
さて、言うまでもありませんが、この記事は「最近の「最近の○○批判」批判」という入れ子構造になっています。ここからは無限地獄の始まりです。
わたしは ネオエクスデス すべての記憶 すべてのそんざい すべての次元を消し そして わたしも消えよう 永遠に!!
結局、全ての問題を消すためには、誰かがその罪ごと全てを背負って天に召される必要があるのですがそういうアルティメットまどかとかイエス・キリスト的なソリューションは現実の人間には不可能なので「ほうっておく」か「最小限の手間で対応して後は放置」とするのが人間のやり方ではないでしょうか。
「ラノベが批判される理由」なんて心の底からどうでもいい
前に書いたやつ