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SHIROBAKO23話 対話の作法

5人みんながひとつのシーンに結集する、特にずかちゃんがついにチャンスを掴むラストシーンの素晴らしさについてはこちらを読んでいただくとして
「SHIROBAKO」23話のラストシーンについて - subculic



監督と原作者との「対話」の部分非常にわかりやすくてよかったですね。教科書的といってもよいほどベタだけど、そのベタさが良いです。ということえそっちの話を。




人と意見がすれ違った時こそが対話のチャンス、ということでその作法がわかりやすく描かれている。


①まず、直接対話することに合意する。「対話の場」を設ける。

(対話においては、まずお互いが自由に自分の意見を述べることが許される)


②お互いが「自分はどうしたいのか」について意見を述べる

③「なぜそうしたいのか」の理由を話す。(あるいは「なぜそれがやりたくてもできないのか」という課題意識について話す)

「僕はこの作品で、そんな彼女たちの姿を描きたいと思いました。
 僕達の毎日も、アリアたちと同じなんです。どんな苦しい戦いも仲間がいるから闘えるんです。
 だから、主人公には、アリアには絶対に飛んで欲しい!仲間を信じて!
 それが、僕のたどり着きたい最終回なんです。」

④お互いの立場、立脚点を探り、どう違うのかを理解する

(※特に「事実関係の認識が違っている場合」はそれ把握するだけで解決することもある)

「木下さん…あなたにとっては製作チームが第三飛行少女隊なんですね。
 だから、アリアは仲間を率いて飛ばねばならない。
 その責任感、良く伝わってきました。
 でも、私にとっては違います。

「…どこが違うんでしょう?」

「アリアにとって敵との戦いは、私と、私を襲う負のメタファーなのです
 三女の五人には、私の人格を分け与えている。
 あなたの考えるチームとは違うんです。」

お互いの立脚点の違いがわかった時にはじめて対話が成立する

 そこからはすり合わせや、止揚が可能になる。

「そうか……野亀先生にとって、三女とは、チームの団結ではなく
 個人的な死と再生の物語なのかもしれませんね。
 だから、アリアは責任感や罪の意識では飛べない。
 アリアの、個人的な、内面の問題を解決しなければ飛べない、と」

「そうです」

「アリアが自分自身で飛ぶ意味を見つけられないと飛べないんですね!」

「その通りです」

「夢や希望と無縁で、孤高なアリアが飛ぶ意味!」

「その、何もないところが、アリアの抱える問題でもあるわけで……」

「アリアに、夢や希望が生まれればいいのかもしれませんね」

「もしくは、それを与えられる存在!」

で、ここからは

⑥「対話」した結果生まれるものは、自分一人では生み出せないものである

「私は今、初めて自分の作品が、他者によって創られることに希望と面白さを感じました」

「もっと早くにお目にかかりたかったです」

こういう「対話」ができると強いだろうと思う。
無用なトラブルを防げるし、良い物ができるし、対話したことによって協力できる。
もちろん、対話と合議はまた別なのでめんどくさいのだけれど…


(「ダイアローグ」というそのものの本があるんですが、その本は正直難しいため、こちらは対話形式で非常に読みやすいのでオススメです)


社内のコミュニケーションを活性化させるためにかなりシステマティックな取り組みが紹介されている本。




成長するにつれて少しずつ必要になってくる対話の力

そういえば、この「対話」についてはアニメ前期と後期で明確に差別化されてるところだと思う。

前期ではとにかく対話云々より「動機の自覚」「成長」が意識して描かれてきたと思う。そりゃそうだ。対話するにもまず最低限の動機や成長すらはっきりしてないとお話にならない。アニメ製作の現場の雰囲気がわからない視聴者を作品に巻き込むためにもまずは「動機の自覚」「成長」の物語だった。


でも、ある程度成長してきたら話は変わってくるよね、と。

例えば宮森についていえば、何話だったか忘れたけど宮森が就職活動の時に落とされた会社の社長と出会うエピソードあたりあたりが転換点。あそこで「自覚」や「成長」の壁は乗り越えた、というのがハッキリ示されてる。そこからはステージが変わってくる。
そういうエピソードが5人の女の子それぞれにちゃんと用意されている。


そこから先は個々人の成長も大事だけれど、対話したり、他の人と会話ができるようになることが絶対に必要だって話になってくる。
努力だとか成長とかってそればかりで解決するのって無理だと思うし、そもそもそんなことをする必要はない。成長なんて短期間でできるわけ無いんだし、毎回毎回ピンチのたびにそんなもんに頼ってたらすぐに要求レベルがハイパーインフレ起こしてみんな疲弊しちゃう。

それよりも、対話して、お互いの違いをわかった上で共通項見つけたりすり合わせできたほうがいいよねって話になってくる。前半の「イデポン」みたいな力技や共通項に頼ること無く、そういうものがなくても問題を解決していかないといけない、そういうのが大事だってメッセージを明確に持ってると思う。


だから、武蔵野の社長(製作進行出身)はすごい人のはずだけどその能力を示したりはしない。その代わりにとにかくよく人の話を聞く。 問題児である平岡や久乃木(「う!」の子)についても、ちゃんとコミュニケーションに参加することを要求する。
(逆にそのあたりの問題があまりない佐藤や安藤は今ひとつ存在感が発揮されなかった印象がある)



SHIROBAKOはちゃんと「人が育つ環境」「理想の組織」を描こうとしてくれてるから好き

今って最初から新人にコミュニケーション能力求めるじゃないですか。

組織への適応も新人側が努力してやれ、と。で組織に適応ついてこれない奴はコミュニケーション能力がないから、と言って容赦なく潰していく。そして全く反省しないどころか、最近の若者はーとか言っちゃう。

でもこの作品ってそうじゃない。タローちゃんも平岡も久乃木も、コミュニケーション能力をいきなり求めたりはしてない。そういう部分はむしろ先輩方が引き受ける。先輩がコミュニケーションでリードをとって、まず知識や能力による成長を求め、支援する。矢野さんが目立つけど、渡辺Pも宮森に対してめちゃくちゃ親切に指導してくれてるよね。

りーちゃんやしずかが「一行だけ入れてもらえました」「夢に一歩近づきました」に達成感を感じるように、教育する側も、新人にいっぺんに全部要求しない。一歩ずつの成長を求める。あるいは宮森のように、ちょっと無理めなタスクを振る場合かなり丁寧にフォローしてる。

この「歩調」が合ってる感じってなんかすごくいいなと思うのです。私は放任され、なんのフォローもなく、自分から積極的に求めに行かなければ何もしてもらえず干されるのがアタリマエ、だと思ってたから、19話とか20話の先輩方が優しすぎてこちらでなんだかすごく涙出ましたよ。

もちろん、現実はもっと厳しいんだろう。 作品中でも武蔵野アニメーションの外側にいる瀬川さんなんかは、タローちゃんや平岡をバッサリ切ろうとするし、外注の人とのトラブルなんかも結構ひどい。現実サイドはそういうもんだと思うんだよね。


でも、そういうのが一番わかってるはずのアニメ現場の人たちが、こういうやさしい物語を私達に届けてくれるっていうのが、なんかこう、ありがとう!って気持ちになります。

最終話も楽しみにしております。




ちゃんと相手の方を向いて対話しないと協力し合える人たちがバッティングしてしまう(「有害善意?」という耳慣れない単語)

余談としてこれはSHIROKUMAの話じゃないけど紹介。
http://synodos.jp/society/13511/3

この話めっちゃ面白かった。

「僕の場合、セックスワークについて語れることはワリキリに限定されていて、大介さんだったら援デリの話になるんですね。それぞれ、自分の語りを全体化するということにはブレーキをかける必要があると。ただ相互で語ってみると、なんとなく全体の生態系が浮かび上がってくる。」

「耳が痛いですね。僕なんか結局、売春に関わる女性も業者も10年取材し続けて来て、すぐ隣にあるはずの風俗嬢のスキルについて考えも想像も及んでいなかったわけです。」

目印になる人がグラデーションの各層にいることが大事かなと思っています。誰が何をできるかがまだ分からない状態ですから、それらを定期的に繋いでいくことで全体を確認しつつ連帯していく。

対話ってさらにこういう「グラデーション」を理解していくことだと思う。

権利の向上、労働環境の改善、スティグマの排除を目指している団体がありますよね。個人的には支持します。一方で、劣悪な環境に置かれている、望まない労働を強いられている女性を福祉に繋げる団体もあります。これも支持できる。ただそこから先の手段に何を選ぶかでバッティングする。「より犯罪化する」路線と「非犯罪化する」路線とで、互いを有害善意だと思っている

「有害善意」という単語初めて見たけどこのインパクトすげえな。もう完全に敵視していて対話どころじゃない。こうならないようにするためにも、「自分が正しい」じゃなくて、互いの立場の違いを理解して、協力できるところを探っていけるようになりたいところ。そういうのが本来の相対主義だと思う。相対主義は、ゴールじゃなくてスタート地点を示す言葉のはず。