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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「もう卵は殺さない」

子猫を殺す仕事 - orangestarの雑記

テーマとしてそれほどつながりが有るわけではないと思うけれどこれ思い出した。

http://betsuma.shueisha.co.jp/book/pc/mou_tamago.html

この作品中で言われている「卵」というのは「マンガ家にとって、形になる前の作品(特にキャラクター)」のこと。



漫画家からすると、売れない作品を作っても食べていけないし
どれほど好きな作品のアイデアがあっても自分がそれを形にする力がなければ卵は生まれた後無残な形で潰れてしまう。
自分のためにも、読者のためにも、「卵」のためにも、それを世に出さないほうが良いとかんがえてしまう。




だから、
①その「卵」は生まれないまま殺す。そのほうが「卵」のためだから。
②あるいは、別の人に産んでもらったり育ててもらったりする。そのほうが「卵」のためだから。
③あるいは、どこかそういう「卵」を集めているところに預ける。少なくとも殺すよりはマシだから。



さて③について。これは殺すのとどっちのほうが良いのだろう。
卵になにも意思がないなら良い。だが、もし卵に意思があって、
生まれることを望みながらも、ずっと卵のまま生まれることもなく、何も出来ずに腐っていく様を想像すると
これはある意味殺すよりも酷いことかもしれない。
でも、無理して産んで無残な目に合わせるのは耐えられないし、かといって他の人に預けるのも嫌だ。
だから、こうするしかない。他にどうすることも出来ないのだから、せめてこうするしかないのだ。



それでも、どうしても「卵」を見捨てることができないなら、その時自分はどうするか。



この作品は、漫画家の話だけれど、読む人によってはまた違っ意味を持つかもしれない。
自分にとっての「子猫」や「卵」とはなにか、とか、
作品の主人公はこういうふうに行動したけれど、自分はその「子猫」「卵」に対してどうするか。そんなことを考えてみる。