7巻まで読んだけど、アニメの釘宮キャラ出てこないね。やっぱりあれオリジナルなんだ。
アニメはだいぶオサレなイメージを受けるけど、
マンガの方は結構泥臭いイメージが合って、印象がだいぶ違う。演出の違いって面白いなぁ。
んで、7巻のお話。
いじめられっ子が、その弱さつらさに耐え切れずに
「自分」を捨ててバケモノになるというお話。
ネットの承認欲求モンスターを非常にわかりやすく視覚化してくれた回だと思っていてとても面白かったです。
「お前は、お前の身の丈から見える世界を放棄したんだ」
「いい眺めだろう?さすがの馬鹿連中ももう遠巻きに逃げ散ったぜ。
お前を踏みつけ、気にもしてなかった、中途半端な強さのクソども。
お前は今やその上の上の上の上だ。
一歩踏み出すだけで百人単位ですりつぶしてやれるぞ。
…どうした?なんだ、まさか高所恐怖症か?」
「違う!!僕は、こんなこと望んじゃyいない。
何が頂上の風景だよ。
誰も見えない、声も聞こえない、独りぼっちの世界じゃないか!」
「静謐ととれよ馬鹿野郎!
他人の雑音が届かない高みだろうが!
さびいしいのか?もしかして
テッペンが孤独なのは当たり前なんだよ。同じ風景見てる奴なんか存在しないからな」
「こんなの、要らない。元に、戻してくれ…」
「嫌だね。
お前は、お前の身の丈から見える世界を放棄したんだ。
でもいいじゃねーか。そんだけ辛かったんだろ?
戻ろうなんてちいせえこと言ってないで、後はパーッと暴れて終わろうや。」
「……レオくん、僕の大事な友だち。
僕は、あの時君を置いて逃げてしまった自分が
心底許せなくて、許せなくて、許せなかっただけなのに。
ごめんよ、こんな事になるなんて。
僕はなんて大馬鹿なんだ。
ここからはもう見えないけれど、君はケガをしていたりシないかい?(やっぱり、怖いよ)
……助けて…!レオくん。助けてよ…!」
「自殺しないためのシステム」として、現実逃避はありだな、と考えるものの、逃げる方向というのは重要だな、と思いますね。
逃げるときにこそ、「自分」だけは確認しておきたいというか。
肝心の自分を否定してそれを置き去りにしてしまったら、それを取りに戻るのは大変だよと。
そして、自分がなければ、どこまでも空っぽの器にあれこれ盛り付けることができるけど
参照すべき自己を置き去りにした状態故に、どこまでも肥大して行くその「バケモノ」は
それちゃんと制御できるの? この漫画みたいに誰かに操られちゃうようになっちゃうんじゃないの?
なーんてことを思いました。
アニメ「血界戦線」5話もべらぼうに面白かったです!
この作品、世界観はナンデモアリ、なのだけれど
作者の方の性格なのでしょうか、妙に私達になじみのある人間の倫理がベースとしてしっかり固まっている印象を受けます。
それが窮屈なようにもみえるし、逆に安心感をもって読めるところもあり。
でも、せっかくこれだけ人外でなんでもありの世界なので、
その人外のルールに則ってもっとはっちゃけてくれてもいいのになーとは思います。
その意味ではアニメ5話でも放映されている「偏執王アリギュラ」や、吸血鬼ブラッドブリードなんかは非常に魅力的でした。
実際、アリギュラについてはスタッフさんもどうやらお気に入りらしく
原作では割りとさらっと描写されていたのでそれほど印象に残らなかったのに、
アニメでは容姿は幼児性がより強調され、CVもこおろぎさとみさん、そして大幅に描写が増えており
「あれ、アリギュラさんこんなに魅力的なキャラでしたっけ?」ってびっくり。描き方一つで化けるなぁ。
正直、アニメ版は4話までは詰め込みすぎ飛ばし過ぎでいまいちかなーと思ってたんですが
5話はむしろ原作より丁寧に描かれており、すんげー面白かった!