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発達障害

「意識高い」について真面目に考えるためのメモ

※2015年6月6日の記事です

エリクソンの発達課題
・自我同一拡散
・スチューデント・アパシー
アイデンティティ意識の過剰と否定的アイデンティティの選択


私も今まで全く知識なく自分の経験と語感だけに頼っていろいろ考えていたのですが、最低限このあたりは知らないと、「オレオレ定義」による不毛な話しか出来ないなと感じました。もちろんこれでもまだ全然足りないのでもちっとちゃんと勉強します。


なぜ真面目に考える必要があるか

他人のことはどうでもいい。一つ前の記事で「意識高い」状態は表に出さない限りは個人の問題であり他人が口出すことではないと書いた通り。

けれど、その上で、私自身が「意識高い(笑)」人間であることを受け入れて、個人の問題として私はどうするべきか、は考えないといけない。



この問題を考える際に不可欠なエリクソンの発達課題について

この発達課題を扱っていると思われる作品としては「AngelBeats!」が有名ですね。

「Angel Beats!」人生を追体験する音無の成長が物語を繋ぐ - ソラゴト体系
「Angel Beats!」弔鐘の音が響くとき - ソラゴト体系



青年期における自我同一拡散について

心理学COCOROの法則: エリクソンの心理社会的発達理論

☓自分がどんな人間かということ ―― を確立することが課題となり、これに失敗すると役割混乱が起こって同一性拡散(identity diffusion)という病理が生ずる。人格が統一されず、社会へのコミットメントができない状態に陥ってしまう。

○青年期は新たに出会う世界とかかわりを結ぼうとする。青年は同一性(identity)の確立を目指して試行錯誤しながら、やがて自分の生き方、価値観、人生観、職業を決定し、自分自身を社会の中に位置づけていく。

はてなでは違う意味として使われがちですが、「青二才」という言葉は、だいたいこの状態の人間に使われます。つまり、社会への適応に失敗している状態です。辞書では未熟だとか半人前とかそういう人への嘲りとして使われますが、今では必ずしも成功するのが当たり前ではなくなっていますし、社会側の問題も多く、自ら拒否する人もいますから「社会への適応に困難を感じている人全般」「社会への(一般的なありかたでの)適応を拒否している人」などに敷衍する言葉であるといえるでしょう。

AngelBeats!はまさにこの青年期で人生を停止させられている人たちが、なんとか青年期を乗り越えて前成人期に到るという話であり、この作品が若者中心にヒットしたということは、その時期に同じような悩みを抱えている人が多かったということかもしれませんし、それは今でも同じなのかもしれません(※すごく適当な知ったかぶりをしています)

自我同一拡散が病理になる時

「自我同一拡散」そのものは誰もが経由する段階なので問題ではありません。ただし、この時期に、「本来社会から与えられたモラトリアムを利用し、様々な実験的同一化を統合していく社会的遊びが阻害されて、社会的な自己定義を確立することが出来ない」状態が続くと問題が起きてしまいます。 
別の言葉で繰り返すと、この時期に不安定になるのは誰にでもあることなのに、そこで特に親の期待だとか、受験だとか、就職だとか、そういう圧力が強くかかり、自分を押し殺しつづけたり、合わないものにむりやり自分をはめ込もうとし続けると、いろいろ歪んでしまう、と。そのなかの歪みの一つが「意識高い」系ではないかというお話。


個人的には「意識高い」系は、リクナビが提供する就活の枠組みや体育会系優位な組織への適応を考えればむしろそうなるのが自然でしょ、とか思ってますが、就活の仕組みや全体のことはよくわかってないのであんまりズバッと結論は言えません。


とにかく、今はこの「自我同一拡散」意識はむしろ当たり前になっていて、そうでない人の方が少ないかもしれないとまで言われてますね。「おかしい」のが普通ってことですね。「スチューデント・アパシー」なんて言葉も、発達障害で悩んで調べたことが在るなら絶対知ってるはずですよね。

発達段階における無気力の特性とスチューデント・アパシーの定義
http://www.u-gakugei.ac.jp/~nmatsuo/yanaka-kadai.htm



青年期問題における自我同一拡散 →意識高い系→ 真面目系クズ・新型うつへのコンボは致命的

http://www.asahi-net.or.jp/~uv3k-kmgi/jigakakusan.html

自我同一拡散が長引くとだんだんヤバイことになっていきます。
社会への適応感覚を得られない、試行錯誤ができない、社会での役割を見いだせない、という状態がずっと続くとだんだんこういう状態になっていくようです。

アイデンティティ意識の過剰
・選択の回避と麻痺
・対人的距離の失調
・時間的展望の拡散
・勤勉さの拡散
・否定的アイデンティティの選択

「意識高い」からだんだん「真面目系クズ」になっていき、そして「アパシー」に近い状態に陥る。
さらに一線を越えて「否定的アイデンティティの選択」までいってしまうともうやばい。

否定的アイデンティティの選択は自分の斬新的な努力では達成不可能な肯定的な役割から現実感を得ようと努力するよりも、よりたやすく、飛躍的にアイデンティティの成立を引き出すことの出来るような、役割や集団アイデンティティへの全体同一化によって起こる


これがオタク方向なら「人生から半分降りる」くらいで済むというか自分はそのつもりでオタク趣味に走った。
退却神経症 - Wikipedia



これが、「ネットで真実」クラスタや「ネットの狭いコミュニティで手っ取り早く承認欲求を満たす」という方向にたどり着いてしまうと、もう社会への適応は難しいかもしれないなと個人的には思っていてそれは怖いし避けたい。

で、このあたりを受けて私は今後どうするか

もうちょっと知識が必要なので、最低でもこの記事に上げられているような本は読む。

http://d.hatena.ne.jp/metaruna/20121208/1354998438

その上で、ネット上にいる意識高い系の人間の観察からは少し距離を取るというか、ネット側への比重をそもそも減らしてまずリアル側での社会への適応感をもうちょっと改善したいと思います。

私の根本的な問題は、今20代の若者と違って私はいくらネットを頑張ってもそっちだけでは満たされないという根本的なところから目をそむけていることに有ったのだと思うので、ここ1年ほど目をそむけてきた無残なリアル側の改善にそろそろ着手しないとほんとに死ぬ。

ネットはしばらく暇つぶしに読んだマンガの記録だけでいいです。