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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「やはり俺の青春ラブコメは間違っている続」10話  原作からカットされた部分補足

会議のシーン上手にカットされていた。
とはいえ少し違和感感じた人がいるかもしれないのと、
この会議に関しては自分がすごく気に入ってるシーンがたくさんあるので補足しておきます。



実際は会議の前にここまで準備していた。

アニメだと会議に入って早々に玉縄のダメ出しを行い、その割には
会議の内容については別々に考えましょう、くらいの話で終わってる。


実際は雪ノ下たちは一度目の会議の後、

①どういう形で会議を進展させるかの作戦を立てる
②具体的に時間も予算も確保できなかった状況でどうやって打破するか考える

これにについて、比企谷八幡と雪ノ下雪乃が持ち味を活かした会話を行っている。

比企谷八幡が方向性を決めて、それを雪ノ下が具体化する。
その際に雪ノ下が八幡を褒めるシーンとかある。

その結果

③「子供の演劇」をメインに据えるというアイデアが生まれる。
④演劇と、音楽コンサート、時間を2つわけてどっちもやることも決める

ここまできっちり詰めた上で、

⑤生徒会長に相手校へのプレゼンを託す。もちろんフォローも約束する


ここまでやっている。
会議中のあのタンカは、決して突発的なものではなく半ば計画的なものである。



7巻の時のリベンジ

んで7巻の時のリベンジが行われている。
海老名さんと戸部っちの関係性を扱う際にあった会話の繰り返し。

だけれど、意味は大きく変わっている。

「通らなくても、無理やり通すさ。もういい加減早く終わらせたい。
(中略)
俺が嫌なのは、ああいう上っ面の話し合いに屈することだ。それが一番嫌なんだよ

ついこないだまで、そんな上っ面のものに塗りつぶされていた自分を思い出すと
よくぬけぬけとこんなこと言えたものだと思う。
それでも、もう偽物を与えられることを甘んじて受け入れることはできない

そして、かすかな吐息が聞こえた。視線を戻すと、その先で雪ノ下が微笑を湛えている。

「あなたの好きにしたらいいわ」
その声は常よりも柔らかで、よどみない言葉はまっすぐだった。

修学旅行の時よりは、確実に前進したようにかんじられる。


一色いろはも結構頑張ったし、玉縄もアニメで描写されるほど無能ではない

アニメだといろははやる気出した後でもまだ弱く、玉縄は一貫して何も決めずにただ意見聞いてろくろ回してるだけに見える。

だけど、ふたりとも本当はもうちょっとしっかりしている。いろははちゃんとプレゼンで相手に負けずに会議前に決めた内容をプレゼンし、玉縄も、こちらのアイデアに対して折衷案を出し、少しでも多くのことを盛り込もうと意欲を見せるシーンが有る。

どちらにせよ会議が停滞することは同じなのだけれど、アニメよりは高いところで拮抗している、というのが正しい。

ただ、途中まではそんな感じで議論を進めてきても、玉縄は自分の意見が不利になったたら「それはみんなで考えていこうよ」って振り出しに戻そうとする。自分の意見が受け入れられない限りさきに進ませようとしない逃げの態度に走る。 「全員が合意することが大事」というスタート地点に戻ってしまう。


玉縄は比企谷にとってどういう存在なのか、そして比企谷は彼とどう対峙したか

展開的には、比企谷を手詰まりにさせて、雪乃に助けを求めさせるための存在だ。ただ、意味的には「なあなあ=否定しあわない、お互いの顔色を伺い合うこと」がいきすぎた関係がもたらす弊害を比企谷に伝えるために存在する。


比企谷は6巻の文化祭において、7巻の修学旅行において、あるいは8巻の生徒会選挙において、比企谷が嘘を用いてでも海老名の問題を、奉仕部の問題を先送りにしようとし、(自分以外の)誰も傷つかないようにしようとしたその行為によって自分を押し殺していた。自分が偽物になりかかっていた。それを雪ノ下は強く嫌悪した。


玉縄は、いつのまにか比企谷がハマり込んでしまっていた「それが偽物でもいいから問題を先送りにする」ことの類似系であり、それゆえに否定しがたい天敵だった。自分の現状を否定しない限り、玉縄を否定することも出来ない。ちょっと違うけど、セイバーでは絶対にギルガメッシュには勝てないみたいな相性問題ですね。


それがわかっていても、今までの自分のありかたを一人で改めるのは難しい。だからこそ、比企谷は他の人間を頼る必要があった。自分だけでは無理だと打ち明け、二人に対して「本物が欲しい」と恥ずかしい告白をする必要があった。


そして、奉仕部のメンバーとともに会議に挑むことによって、ようやく比企谷にも見えてきた。

この会議のミスは否定が存在しなかったことだ。一番最初に否定がなかった。だから、間違って言えると知っていても、誰も修正できなかったのだ。俺も否定することが出来なかった。もしかしたら、そういう作り方が在るのではないか、とそう思っていた。遠慮していたのだ。気を使っていたのだ。そう言ってウソを吐いていたのだ。

けれど、違う。たぶん否定されることは決して悪いことではない。お前は間違っていると魅せつけられて初めて理解できることが在る。どうしようもない、中身のない全肯定なんて、それこそが一番てひどい否定だ。たぶん、それこそが拒絶なのだ。

(中略)
確かにコンセンサスはとられたし、グランドデザインの共有とやらははかられた。誰もが納得できる答えのためとうそぶいて、全員に我慢を強いて、皆に傷を押し付けて、誰しもに嘘を飲み込ませ、自分を押し殺させることによって。 (中略) まるで、どこかの虚ろな箱だ。

だから、それを否定しなければ。俺が正しい存在だなんてとても言えないけれど。でも、否定してもらえたから俺は間違いに気づくことが出来たのだから。なら、この結論を受け入れる訳にはいかない。俺が間違っているのは知っている。でも、世界はもっと間違っている。

否定のない優しい空間は甘美だろう。上滑りした議論は議事録に残され、会議の体を残し続ける。そうすれば自分を騙していることができる。だが、それは偽物だ。

だから、比企谷が玉縄を否定する言葉は、そのまま自分を切り刻む行為でもある。

・自分はできると思って思い上がっていたのも自分。
・間違いに気づいてもそれを認められなかったのも自分。
・自分の失敗を誤魔化したくて策や言葉を弄していたのも自分。

その上で間違えた時に誰かのせいにできないから苦しんできた点だけは比企谷と玉縄の違い。

つい、こないだまでの、どこかの誰かを見るようで、声には自嘲が混じっている

雪ノ下雪乃も立ち上がる

雪ノ下雪乃は自分が正しいと思うことがねじ曲げられることが許せない。
だから普段は相手の葛藤や事情などを考慮せずに相手を切りすぎて人を傷つける。

でも、そんな自分に迷いも抱いている。
だけれど、今は、そんな雪の下の真っ直ぐさこそが、比企谷八幡にとって、あるいはこの会議にとって最も必要なものだった。

「ごっこ遊びがしたければよそでやってもらえるかしら。」

「さっきからずいぶんと中身のないことばかり言っているけれど、覚えたての言葉を使って議論の真似をするお仕事ごっこがそんなに楽しい?曖昧な言葉で話をした気になって、わかった気になって、何一つ行動を起こさない。そんなの前に進むわけがないわ……。
何も生み出さない、何も得られない、何も与えない。……ただの偽物

これ以上、私達の時間を奪わないでもらえるかしら。」

このうえなくきつい言葉ではあるが、以前のように相手お構いなしに言ってるわけではない。
迷いながらも、自分の意思を確かめるようにして、ためらいを振りきりながら彼女は言葉を発している。


全部を見守っていた平塚先生による感想

カットされたのは正直意外だった。
ただ、アニメはあえて答え合わせをしないことによって
雪ノ下の態度についていろんな解釈ができると思います。
個人的にはアニメ版すごくいい仕事した!と思ってます。


とはいえ、私は平塚先生が好きなのでやはりここも紹介しておきたい。
是非原作で確かめて欲しいけど言葉の部分だけ拾っておきます。

あの子がああいう行動に出るとはな。少し驚いているよ。

一緒に傷つくのなら、それは傷ではないのかもしれないな。破調の美、か。傷ついていたり、歪んでいたり、あとはひねくれていたりしていても、見るものが見れば美しく思うことも在る。そこにはちゃんと価値がある。私はそういうの嫌いじゃないな。

だが、それと同時に怖くも在る。本当にこれでいいのかとそう思ってしまう。余人に理解されない幸福は閉じた幸福だとも言えるからな。

教師がしてやれる答え合わせは定期試験だけだ。だからせめて問い続けよう。その分、君は考え続けたまえ。

アニメもいいけど原作は違った楽しみがあるので是非是非よんでみてください!


個人的にはアニメむちゃくちゃよく出来ていると思ってます。
本当に取捨選択がうまく、その上で再編成を行い、演出でうまく見せる。
だからアニメだけ見ていてもきっちり流れがつかめると思います。

ただ、そのうえで、アニメを見た後原作を読むとよりいろんなことがわかります。

特に6巻と9巻な!

私はこの作品の魅力は会話よりも地の文にあると思っているので、
アニメ面白かったな、と思う人は是非原作で地の文にもあたってみてください。