頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「頭にきたから」と「言いたくないけど」はバカの使う言葉

最近読んだマンガ「インベスターZ」でそんなことを言っていた。ちょっと過激な物言いかもしれないけど確かにとは思った。


我慢は他者からは評価されない。いくら自分の我慢を主張しても、それが他人のためになっていないのであれば自己満足にすぎない。実際みんな、他人の我慢については気にしないのに、自分の我慢だけは評価されたいというズレがある。 コミュニケーションがこじれる理由として、我慢した際に生じたストレスやコストを他人に押し付けようとすることは大きな要素の1つだと思う。


そう考えると「我慢して我慢して、ついに耐え切れなくなったから言います」というのはかなりまずい行為だと言える。 これは本人的には正当性のある行為なのかもしれない。しかし他人から見たら残酷なことにそれはただの計算の失敗であり、自業自得であり、そこには何の正当性もないどころか、愚かな選択だったと思われてしまうだけかもしれない。 

(株で言えば、下がる株を無限に下値で買い支え続け、ついに耐え切れずに損切りしただけの様な感じか。そういう人間にかけられる言葉は「リスク管理が出来ないバカ」「欲に目がくらんで盲目になっているだけ」である。ほんとにひどい世界だよ…)

と、いうわけで、我慢というのは非常に主観的な行為であり、他人には伝わらないものなので、そんなものに他人からの見返りを求めるのは非常に危険な行為である。子供の頃は仕方ないとはいえ、自立した大人であることを目指すなら「不快という貨幣」の概念からは離れなければならない。

http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php

子どもたちは「忍耐」という貨幣単位をすべての価値の基本的な度量衡に採用することになる。「忍耐」貨幣を蓄財するにはどうすればよいのか。いちばんオーソドックスなのは「不快なことを進んでやって、それに耐える」ことであるが、もうひとつ捷径がある。それは「生活の全場面で経験することについて、『私はこれを不快に思う』と自己申告すること」である。そうすれば、朝起きてから夜寝るまでのすべての人間的活動は「不快」であるがゆえに、「財貨」としてカウントされる。
(中略)
「労働から逃走する」若者たちは、大量の「不快の債権者」としてその債務の履行を待ち焦がれているというものである。彼ら彼女らは幼児期から貯めに貯め込んだ膨大な額の「苦役貯金」を持っている。それは彼らの幼児期の刷り込みによれば、紛れもなく「労働したことの記号」なのである。
ときどき預金残高が知りたくなる。そういうときは、とりあえず「彼らの存在がもたらす不快に耐える人々」の数を数えてみる。彼らの存在がもたらす不快に耐えている人間の数が多ければ多いほど、彼らは深い達成感と自己有能感を感じることができるのである。

このことはネットでは特に気をつけなければいけないと思う。リアルでつらい思いをしているのに何も言えずにストレスを貯めこみ、ネットでその鬱憤を吐き出す時、本人の中ではこれだけ我慢したのだから少しは言わせろ、という認識になってしまうと大変なことになる。本人の認識の中では「表現の自由」ですらなく「我慢した分の取り立て」という自分が獲得した権利を実行しているつもりかもしれない。しかし関係のない他人からはその我慢は見えないし、見えたとしても関係ない。その人が正当だと思っている行為は他人から見たらただの「幼児期の刷り込みから全く成長してないクソガキの所業」になってしまう。この認識ギャップは気をつけないといけない。


自分の意思で引き受けるストレスとそうでないストレスを選別し、引き受けると決めたものは最後まで守れるのが理想、かな

一方で、同じように耐えているように見えても我慢強い人と評価される人もいる。なんでもかんでも我慢しているだけの人はこのような評価は得られない。「自分はこんなに耐えているのにわがまま言われ、なぜあの人は評価されるのか」と思うよなことはないだろうか。

多分、このように評価される人たちは、「我慢」することを何らかの評価に結びつけているはずだ。この人達はきっと我慢するべき時とそうでない時をよく理解している。我慢するときはあくまで自分のために耐える。我慢した事自体の見返りは求めない。我慢をすることによって得られるリターンがストレスやコストより大きい時をちゃんと考えてる。「割が合わない」ことからは距離を取っったり拒否したりできる。そもそも我慢しない。
だからこそ、まず自分の意思で我慢すると決めている。そしてそう決めたなら最後まで我慢し通せる。



ネット上で「頭にきたからいうけど」「言いたくないけど」みたいな物言いをしてしまいそうになったら気をつけようと思った。それは、自分が外部からくるストレスに対して無力であったり考えなしである証拠だからだ。場合によってはあえてストレスを感じやすいところに近づいてわざわざキレるという芸人扱いにさえなってしまい、その人の怒りの正当性は全く信じられないものになってしまうだろうから。




よーするに外部からやってくる「ストレス」というものに対して受け身だったり無計画だといけませんよってことですね。これについてドンピシャな記事があったのでこちらを読んでもらったほうが良いかも。

職場でキレる技術 | サイボウズ式


さらにいえば「アサーション」の話になってくると思います。これすごく好きな考え方なんだけど、頭ではわかるのになかなか自分と向き合うのが大変でうまくいかないんですよね……