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「ロスト・ケア」 介護という地獄

Sアミーユ川崎幸町の事件が酷いのはごもっともだけど介護の現場にいる人から見える景色は違った : 市況かぶ全力2階建


読んでて思い出したので紹介。

この小説では、在宅介護をしている家庭や、介護施設において、負担の大きさに押しつぶされ、人生が破綻しそうになるまで追いつめられる家庭がいくつも描かれる。

①例えばシングルマザーで子供が小さい状態なのに痴呆症の母親の介護をしなければならない。頼る人もなく、近所の人の目に怯えつつ、寝る時間もなく働いて疲弊していく。

②例えば重大な仕事を抱えていたり、信頼を得るチャンスなのに、介護のために残業ができない。家族の協力や理解は得られない。家族に負担をかけないため、自分の家に帰ることも出来ず母の家と仕事場を往復する日々。職場にも気を使い、家族からは家庭を蔑ろにしていると責められ、そこまでして介護している母親は感謝するどころか自分を敵視して罵ってくる。どこにもくつろげる場所がない。

③介護施設で働いている人も、ただでさえ人でも資金も足りずに苦しんでいるのに、ひっきりなしに人が入れ替わるため職場の空気は決して良くない。連帯感のようなものはあってもそれは逆にいえばちょっとした息抜きやサボりも許されないということでもある。うまくやっている職場はフォローしあえるのかもしれないが、実際には相互監視状態である。サボるな、辞めるな、迷惑をかけるな。そうやって、周りに気を使う人ほどがんじがらめになって消耗していく。

④さらに、マスコミは介護業界の問題には触れず、別の会社によって引き起こされた不祥事だけを喧伝し、事務所には義憤にかられたのか愉快犯なのかは分からないが、毎日のように嫌がらせの電話がかかってきてさらに追いつめられていく。


誰もが苦しんでいて、追い詰められている。そんな様子がこれでもか、という形で描かれる。



重度の障害者だけをターゲットにした連続殺人事件

作中では「重度の障害者」をターゲットにした連続殺人事件が起きる。

殺人者たちによって肉親を奪われた人たちは、警察の取り調べに答えるが、大事な肉親を殺されたはずなのに怒る気力もない状態であったり、「こんなことを言ってはいけないかも知れないが」と前置きしつつ、殺人者に感謝に近い言葉すら漏れ出てくる。 それほどまでに介護者にとって介護というのは厳しいことがありうるのだ。


とはいえ、もちろんこれは殺人である。嘱託殺人ですらない、一方的に相手の意志を無視して人の命を奪うなどということが許されるはずがない。正義感に燃える刑事は、捜査の末犯人を見つけ出し、ついに捕らえる。



そして、ここから始まる刑事と殺人犯とのやり取りからが本番だ。殺人犯はどういう人物か。なぜこのような犯行に及んだのか。殺人犯の「真の目的」とは何か。そのあたりが長い対話を通して浮かび上がってくる。

・・・というお話。

多分類似の小説はたくさんあるだろうし、情報的には今からするとちょっと古いところもあるかもしれない。けど、介護現場の悲惨さなどを語る文章は結構いま読んでも生々しく感じられると思う。







自分のこと

私の家は2015年6月に母方の祖母が亡くなった。祖母は痴呆がなくしっかり意識を保っていた。死ぬニ週間前に喉の手術をすることになり、それ以降はしゃべれなくなるということで最後の会話をした。自分の方が病気の苦痛でつらいはずなのに、私を気遣ってしっかり生きろ、と励ましてくれた。自分の仕事が行き詰まっていて辛かった時だったことと、祖母ともう会話が出きない、そしておそらくもうすぐお別れなのだという気持が重なって、他の人も周りにいたのに涙を堪えることが出来なかった。今もこれ思い出しながらちょっと涙が出てきた。つらかったけど立派な最期だったと思う。


これにたいして2年前になくなった父方の祖母は悲惨だった。認知症になったのは5年前、それから3年間かけて徐々に状態は悪化し続けた。体力的にはしっかりしており、また口調などもしっかりしていたため対応は遅れた。また、すでに近親者がみんな亡くなっており、近くに助けにいける人もいなかった。老人ホームへ入居するまでには長い時間を待たされることになり、それまでの間何度か警察沙汰を起こした。その度に母方の祖父が身元引取に呼びだされ、父も会社を休んで謝罪に行っていた。老人ホームに入った後も何度も問題を起こした。 夜間徘徊したり、介護士の人を傷つける言動を繰り返して父は何度も苦情を受け、結局2度ホームを移動することにもなった。


父方の祖母は80を過ぎて隠居するまでは華道の先生をしており、年をとっても立ち居振る舞いが立派で、いろんなことに厳格な人だった。しかし孫である私たちにはとても優しくしてくれた。自慢の祖母だった。それが、あたりかまわず怒鳴り散らしたり、特定の介護士にひどく甘えたり、他にもここでは言えないような醜態を晒したりもしていた。 それでいて、痴呆には波があり、調子がいい時は今までどおりの立派な祖母の姿も見せてくれたので、もうどうしていいのかわからなかった。


何より長い時間付き合っているうちに、だんだん自分の中に嫌な心が育っていくのが一番嫌だった。一番大変な介護士さんや私の両親に比べたら私の負担は遥かに軽いものだったが、それでも、やはり祖母を煩わしく思う気持ちはだんだん強くなっていった。 
ケアプランの都合上、老人ホームにはずっとおれないので月の半分くらいは帰宅して在宅で介護したりであったり、デイケアという形になっていたが、祖母の家に一緒に寝泊まりする時や、送り迎えをする時など、祖母が厄介ものにしか感じられなく成ることがあった。とにかく問題を起こしてくれるな。おとなしくしていてくれ、と願うだけで、祖母のことを気遣う余裕はあまりなかった。


語りだすときりないですが、私のように、老人ホームや介護施設の手続きだとか、いつまで続くかわからない介護に最後までコミットするといった経験をしておらず、部分的にしか関わってない人間ですらこうなので、現場で常に関わっている人はこの何百倍も大変だと思います。 


今回の事件は許されることではないと思いますが、簡単に答えを出せることでもないと思うので、もっとちゃんと理解したいところですね。




参考までにリクルートがこんな企画をやってます。

helpman japan | 知らなかった「ありがとう」が見つかる。




追記:また似たような事件が……
【やまもといちろう氏 特別寄稿】相模原の障害者19人刺殺は思想犯と言えるのか|みんなの介護ニュース

きちんと犯人の思想を咀嚼して、単なる狂人の凶行と線引きし、他人事とせず向き合う必要があるのではないかと感じます

今の時点で明らかにされている犯人の思想は、「ロスト・ケア」の犯人の思想と正確には違いがありますが、通じるところがあると感じます。


しかし、それに対する向きあいかたとして、やまもといちろうさんの呼び掛けには違和感がある。やまもといちろうさんには、日本人がこういう凶行についてどれだけ嫌悪感を抱いており、「他人事」として切り離そうとするかを理解したうえで、一般の人たちに対してこうした呼びかけをするのではなく、「そういう思想を訴えたいならこの方法は通用しないから、ほかの方法を考えろ」と呼びかける方向に進んでほしかったかなと思わなくはないです。

この方法はただ悲惨なだけです。日本では議論喚起にすらつながらず、ただただ被害者と加害者の実名報道をどうするかという、事件をどう消費するか、という方向にしか進まない。こういう方法での問題提起はやはり駄目だと、まずそこの線引きをしっかりしたうえで話をしてほしい。



というわけで、今こそ「ロスト・ケア」を読んで見ると良いかもしれない。




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