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Charlotte擁護派と否定派の咬み合わないやりとりについて

私自身は「かなり楽しめた側」です(秋アニメの評価一覧参照)。いろいろ問題を感じつつも十分楽しめました。だから否定派の意見を切り捨てて満足しててもいいんだけどなんかもったいないなあとも思ってます。

否定派は、要素要素の素晴らしさやテーマを理解していないわけではなく、それを理解した上でシナリオ構成の拙さと、何より倫理的な問題点を否定している

Charlotteを「宗教」にしてしまわないために今のうちに考えておきたいこと - Togetter

いろんなところに目をつぶれば乙坂個人のストーリーとして筋が通る。そんなことは把握しているわけです。この作品は「ループの否定」「キセキの否定」がテーマなんですよ、それで筋が通ってますよ(ドヤア)……そんなんわかっとるわボケ、ということである。

そうではなくて、その乙坂のストーリーに他の人間を同意なく巻き込む点について、全く配慮がまったくされていない点を強く批判しているわけだ。「独りよがり」であり「無神経である」部分が否定されているわけだ。

細山田を傷つけた件(これはループで無化されるが)、治癒能力を奪う点、リープを断念することを断念する点などなど乙坂の視点に最大限寄り添うのであれば共感はできる。だが、肯定は出来ない、しっかり否定されなければならないと言っているのである。

<主人公一人や、仲間にとっての正しさ>のために、<それ以外の人間>から「略奪」すること、これをどうとらえるのか、という点が全くスカスカなのである。 実際、fateにおいては「unlimited blade works」においてもエミヤの罪は消えない。さらに「heaven's feel」においても、二者択一の苦悩をしっかり突きつけてくる。だが「Charlotte」にはこの要素がない。

乙坂自身は記憶も能力も大切なモノを何もかも失った。それでサラと同じように「ループの代償」「キセキの代償」を支払った。これは良いとしよう。だが「他人から奪った分」への償いは出来ない。普通に考えればループして帳消しにできなかった以上、乙坂はこの後世界各地で恨みを買っている分命を狙われ続けることに成るだろう。「これからは楽しいことばかり」にはならないのだ。乙坂の選択というのは本来、この重みのもとになされるべきであって、それがなくただ自己完結した世界で「いや、俺はもうループに頼らない」などといって自分だけで解決していい問題では無いのだ。この問題の深刻さを軽視し、単なる乙坂一人の問題として描けば事足れりとした結果が13話であった、というわけだ。

これは別にポリティカル・コレクトネスではない。「ループの代償」「キセキの代償」を主張する作品において「他人の意見の抑圧」「他人の犠牲」についてはろくに考慮していませんというのではバランスが悪すぎるという話である。



繰り返すと、否定派にとって批判の主眼は「麻枝准の、テーマのために各要素を扱う手つきの雑さや無神経さやパターナリズム批判」の部分である。「構成の悪さ」「尺が足りない」などは要するにそのあたりの落ち着きの悪さを言い換えているにすぎない。



なぜこうなってしまうのかについても考えてみる。

前にちょっと入門記事を書いたが、麻枝作品はまず「個人の精神的苦悩の克服」を描く作家であった。そこから「小規模なコミュニティレベルでの幸福の実現」というステップを経て、AngelBeats!で「社会」までそのテーマを広げようとした。麻枝准は、個人の魂を見つめ、そこからの向上を目指す、という点においては本当に真摯な作家だと思う。だから、個人レベル、あるいは小規模なコミュニティレベルまでのお話であればその真摯さが機能していた。

だが、この個人レベル、コミュニティレベルの正しさを、そのまま社会に敷衍しようとしたのが「Charlotte」なのである。その結果、主人公の正しさをそのまま世界に広げてしまうことになった。これやってることが「沙耶の唄」と同じなのである。あちらはそのグロテスクさをしっかり自覚して描いていたが、こちらはその自覚が全く感じられないから気持ち悪いのである。

ちなみに、Charlotteでこのあたりの問題にキレてしまった人は、麻枝作品ではないが今度アニメ化する「rewrite」の千里朱音ルートがアニメに反映された場合発狂すること間違いなしなので回避することを推奨する。あくまで神の視点からのシミュレーションとはいえ、あれは乙坂の比ではないほどに独りよがりすぎるため吐き気がすることだろう。



と否定派はこのあたりまで考えた上でCharlotteを否定している。これを理解しないといけない。こういった声を跳ね返して、それでも良い作品だと言えるか、あるいはそういったことも含めてこの作品を肯定できるか、最終的にはこのあたりの議論が必要になってくるのかな、と。



Charlotteのすばらしさについて語る記事が出てくるのはこれからと期待

あくまで今のところ、ですが否定派の人の意見が先行しており、「Charlotteは素晴らしい作品だったよ」と感じさせてくれる記事が出てくるのはこれから先になるでしょう。そもそも「楽しめた人」は素直に「私はこういうふうに楽しめました」「こういう要素が素晴らしかったと思う」だけで十分だと思います。いちいち否定派の人の意見に反論する義務はない。否定派の意見をくむ必要はないし。その人なりに愉しめばいいと思う。


そのうえで、しっかり作品として語りたいという人は今後出てくると思うのでそれに期待してます。