ファイナルシーズンは原作読んでないマンなのでアニメすごく楽しみながら観てます。
幸せを過大評価するな。あらゆる幸せは、お前にとってちょうどいいんだ。
このコトバ気に入った。
むしろ、この「ちょうどいい」のが人にとっての幸せなんかもしれないなーと思ったりしてる。
しかし羽川 VS 老倉はすでに物語シリーズ内でも1度あったやり取りの変奏だ。
傾物語における 忍 VS ハートアンダーブレード ね。
さらにいえば、このやりとりはRE-TAKEにおけるアスカ VS 亡霊アスカのやりとりでもある。
どちらの視点に肩入れするかで大きく印象が変わる問題だなぁ。と
ここから物語シリーズ関係ないですが、「幸福」の話はちょうどサクラの詩でも似たような話してたので引用。
サクラの詩では「かよわき神」という言葉を使って幸福について語っていた。
人とともにある神は弱い神だが、それでも人が信じた時にそばにいる。
何も、絶対的な神なんて必要ない。
人は、人のための神を感じ、そして感動すればいい。
弱い神は、かよわき人々の美の中にいる。
だから、そのかよわき神には意義がある。
だから、俺は言うのさ。さあ、受け取るが良い。
この(体験)にやどった神は、永遠の相だ。
この感動は一瞬だが、永遠だ。
そして、そこに幸福が有る。
かよわき神とともにしか、幸福なんて感じられないさ。
強き神が与える幸福は、強すぎる酒と変わらず人を悪酔いさせるだけなのだから
この「かよわき神」は美や神、そして幸福というものの有りかについて論じるケロQ作品における伝統芸みたいなものですね。「H2O」「素晴らしき日々」からのつながりを感じてよかった。
砂の上の足跡
My son, My precious child, I love you and I would never leave you. During your times of trial and suffering, when you see only one set of footprints, it was then that I carried you.
よーするに、幸福は絶対的に存在するものではなく、自分がそう感じたものの中に自分で見出すものだってことで、そこに神も美も寄り添ってるよ的なやつです。別の言葉で言えば「人の真善美欲求」の話ですね。
はてなの人はよくご存知だと思いますが「自己実現欲求」の先にあるものがこの「真善美欲求」つーかようするに「感動したい」という気持。 どんな状況であれ、これを意識することが幸福の鍵なんだっちゅーはなし。私こういうお話結構好きです。