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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「かてもの」

まず前置きから。

かてもの - Wikipedia

かてものは、1800年に当時の米沢藩重臣・莅戸善政が、執筆した飢饉救済の手引書。

実際の所、飢饉の場合の餓死者は、栄養失調よりも、食料不足の状態で普段は食用にしないものを食した結果による中毒死のほうが多かった。そこで、安全に食する事が可能な物とその調理法の普及が必要とされたのである。

http://www.warbirds.jp/ansq/9/I2000594.html
http://www.nutri.co.jp/nutrition/keywords/ch2-3/

「あなたはもう何日もまともな食事をしていません。
固形物を急にたくさん食べると消化不良を起こします。消化能力が落ちているので食べても消化することができずに吐き戻してしまいます。そうなってしまえば、食べたものをすべて吐き出しても胃の痙攣が収まらずにやがて血をはくようになります。絶対に食べてはいけません。
戦時中、物資輸送を断たれて食料に貧困した島から撤退した兵隊が、軍医が止めるのも聞かずに隠れて食事を大食いして何人も死んだそうですよ?
ですから、まずは薄いおかゆから身体をなじませていきましょう?

(中略)

「……だからアレほど警告したのに。残念ですが、あなたはもう助かりません。一度こうなってしまえば、もう何を食べても吐き出してしまいます。食事を消化吸収するだけの体力が回復するまでは点滴が必要ですが、ここには点滴薬はないんです…・もう先は長くない。やがて高熱に冒され、起き上がれなくなるでしょう」

(中略)

彼女も死んだ。食べ物を受け付けなくなってなお空腹に耐えきれず、夜中にこっそり米を盗み出して沢で火をおこして米を炊き、それをむさぶるようにして食い散らかしたらしい。もちろん、消化能力の落ちた内臓はそれを受け入れない。結局は吐き戻し、胃に焼けるような痛みを感じて苦しみ悶えたことだろう。翌朝、沢のそばで倒れて死んでいるところを私が発見した


ここから本題です。

シロクマ先生は強者の論理を振りかざしている ネットは現代の駆け込み寺だ - はてな村定点観測所

読みました。

どっちが悪いという話じゃないですが、いずれにせよシロクマさんとサイバーメガネさんの間で重点としている部分が大きくずれていると思います。話がぜんぜん咬み合ってねーな―という感想になりました。


この点を指摘しているコメントもありますね。

「喉が渇いたからって塩水を飲むな」なのか「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」なのかみたいな話と受け取った

「ネットには承認欲求を暴走させがちな性質があり成熟には不利な面がある」に対して「ネットしか無い人も居るんだ」は、おかしい。注意して使えば良いだけでは?

id:p_shirokumaは承認欲求を否定などしてないし必要なものだと認めてますよね。ただ、「そういうの食べたら死ぬぞ」とか「そういう食べ方したら死ぬぞ」って言ってるわけですよね。承認欲求は必要なものだから大事にしよう。それがちゃんと吸収できて存続可能なようなやり方を考えよう。「かてもの」的な話をしよう。そういう話だと思います。


これに対して強者や弱者の問題にするのは明らかにずれています。

斎藤さんの話について、「弱者には弱者の戦い方が有る」はまだ納得できるにしてもそれが炎上とかテロみたいな方法はダメって主張する根拠にはなりませんよね。まして強者が食べ物を独占しているから俺達が飢えてるんだ。一揆が必要だ、という話は全くついていけません。

勝ち負けみたいな構図にしないでほしいです。



また、個人的な意見をいうと、駆け込み寺という比喩はあまり適切でないように思います。駆け込み寺にはそんな自由なものでしょうか。その中にいる人達がうまくやっていくためにルールは必要でしょう。自由を主張するのは駆け込み寺を出て自立をした後になると思います。
このあたり、文章中で自分の主張の都合の良い用にネットのイメージをころころ変えているように思います。

比喩で説得されるのがとても嫌い - お前のことが好きやったんや
何かを批判するときに比喩や強い言葉を重ねすぎると・・・ - この夜が明けるまであと百万の祈り

*1


一番言いたいこと:マッチョウィンプの構造に回収するのだけはやめてください。不毛を通り越して虚無だよそれは

斎藤さんは私よりはるかに昔からネットのことをご存知だと思います。なので釈迦に説法だとは思うのですがやはりこれは言っておかないと。


なんでこういうこと書いてるかというと承認欲求の話を「ウィンプ VS マッチョ」の構造に回収して、「ウィンプ」の立場を強調されるとそのあとどんなクソ展開になるかすでに知っているからです。またあの虚無を再現するつもりか、やめてくれよ。

2008年頃にもいろいろ議論がありましたが、ある時dankogaiさんがこの構造を提唱してしまった結果、対立構造が鮮明になり、住み分けりゃいいじゃんという超つまらない結論になって何も生み出さないという虚しい結論になったわけです。

斎藤さんの話って一見美しいかもしれないけど、そういう主張をしてしまったが最後両者の間は断絶することになります。その結果として、うんざりしたマッチョはその場を去ってはてなウィンプの楽園になるかもしれない。まぁすでに現状嘆いたり、現実味がない理想論や夢物語みたいなことを言う奴とか、自分だけはルール無視しても許されることが「インターネットの自由だ多様性を大事にすることだ」と勘違いしてる人がゴロゴロいる状態ですから今更かもしれないけれど。

でも、斎藤さんやら、あなたと仲良しの自称闇ブロガーさんが作りたいのってそういう「ウィンプの楽園」なのかな?って思うことがあるんですよ。で、それってすんごくつまらないなって思うわけです。 「自分に近い人間の活動が最大化される」ことだけを主張するのは自由の尊重や多様性の尊重と呼ぶのかというと、私は違うんじゃないかと思います。

20秒でわかる典型的なマッチョ・ウィンプ問答 - conflict error
かつてマッチョウィンプ論争という戦いがあった - お前のことが好きやったんや

斎藤さんの話を否定したいわけじゃないんですが、なんかこう、理想主義過ぎて目に見えてる問題にいろんな問題に対して「寛容」というか「放置」してる感じがしてちょっと落ち着かないんですよね。「駆け込み寺」みたいな比喩とか、自由だ多様性だというスローガンだけじゃなく、もうちょっと具体的なものを伝えてくださると嬉しいなと思います。


単に「自分に近しい人達やウィンプ最大限自由になれる楽園」を作りたいなら、ネットじゃなくて、そういう場を作ったほうがいいと思います。リソースをどこから持ってくるのかは知りませんが。 「そうじゃなくてネット全体がこうこうこういうふうに変わるべきなんだ。そのほうがみんなのためなのだ」という主張が多分あるはずですよね。そこを説明して欲しいです。


長文失礼いたしました。

*1:※といいつつこの記事で比喩を使ってるの矛盾も甚だしいです。私が比喩を使ってるのは、自分の説明能力が乏しくて説明しきれないのでそれをごまかすためですが、やはりわかりにくいと思います。ごめんなさい