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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「WIN-WINを考える」のは自然なことでも簡単なことでもない。確固たる意思が必要になる

そうはいっても、WIN-WINを考えるのって難しいんやで。

少なくともそれは当たり前のことではない。第三者から見ればそうでも、当事者にとっては決して簡単なことではない。

感情に任せた結果Win-Loseや、Lose-Loseの関係を求めることは多いです。

そう思っておいたほうががっかりすることはないし、それを前提に人間関係を考えたほうが良いです。

人間関係にはWin-Winだけでなく6つのパラダイムが存在する。なんといっても「Win-Win」と「Win-Win or No Deal」は別モノだということが大事

ウィンウィンという言葉、勝間さんの影響か、それ以前かはわからないけどすっかりバズワード化した感じがありますが、これなにげに「7つの習慣」ちゃんと読んだ人とそうでない人で反応がわかれると思う。

「7つの習慣」では、エピソードも含めて人間関係には6つのパラダイムがあると書いてます。

(1)Win-Win
(2)Win-Lose
(3)Lose-Win
(4)Lose-Lose
(5)Win 
(6)Win-Win or No Deal

「7つの習慣」では2~3についてやや批判的ですがどの関係も否定しておらず、その上でWin-Winを考えることが必要であると強調しています。

堕落論」じゃないですが、わざわざそれを強調する、わざわざこういう「教育」を必要とするということはどういうことか。それを考えると、コヴィー博士が人間の本性をどう捉えているかわかりますよね。 つまり人間関係は決して「Win-Win」を基本とはしてないってことです。むしろほうっておくとそれ以外の関係性になってしまうわけです。 でも、だからこそそこでちゃんと意識して一度「Win-Win or No Deal」を考える。 また、それを相手にも納得してもらうために普段から気を使う。 そういう取り組みが必要だと言うわけですね。

この言葉バカにする人結構多いです。「それができたら苦労しないよ」とかね。別にコヴィー博士だって簡単だとは言ってない。それでも、これを目指すべきだ、とちゃんと語ってるわけです。

正論(コア)とその手段の選択について - この夜が明けるまであと百万の祈り

「正論」はきちんと考えるべきことであって、「理想」とは違います。だから、現実問題がどうという話ではなく「正論に沿う」形で議論をしなければなりません。資金の余裕がないという「現実」からその「正論」をいかに解決するか、スペースの余裕がないという「現実」からその「正論」をいかに解決するか、なのです。つまり「正論を取るか、現実を取るか」という話ではないんです

これが理屈でわかるだけじゃなく、本当にそうだ、実践しようと思える人ってどのくらいいるでしょうか?




自己肯定が低すぎると「Win-Lose」にこだわり過ぎていたり、己のLoseを固定しすぎて「Lose-Lose」しか選べなくなってしまう

ここで冒頭のツイートの話。

男女平等と言うと「じゃあ女は産休育休なしな」「もちろん女も躊躇なく殴るぞ」「レディースデイをなくせ」って意見を言うのは、女性のWinを認められない「Win-Lose」派か、自分のWinを信じられない「Lose-Lose」派の人です。

ネットでいつも自分がいかに惨めであるかを一生懸命語って、自分はこんなに惨めなんだから、ということを免罪符にしてミソジニー垂れ流したり、いろんな人へのヘイトを気軽に垂れ流す人いますよね。 あるいは現状が正しいという前提に立って女性が自分と同じ立場を求めるのは「異常である」といった形で正しく理解せず「まあ認めてやっても良いよ」となぜか男性というだけで女性に対して上からの目線でモノを言う人もいますよね。もちろんこの男女逆転バージョンだとかオタク云々腐女子云々など、性別や属性によっていろんな形で「Win-Lose」や「Lose-Lose」のドツボにはまってる人たちをよく見かけます。



それを間違いだと言うのは簡単です。簡単なんですが、この人達に「Win-Win」の考えを持つように言ってもなかなか難しいんですよね。自己評価が非常に低く、それゆえに無責任というか自分に対して投げやりになってしまっている。そういう己の「Win」を予め投げてる人ってのが結構多い。これなんとかしない限り、いくら正論を言っても通じません。

そういう人たちは自分たちの「Win-Lose」や「Lose-Lose」と言った思考をまず受け止めてもらいたいと思っちゃってる。ネットではそういう本音を語ってもいいと思ってる。実際ずっとそういうことを喚いていれば、それに賛同してくれる人は出てくるんです。
「本音至上主義」「感受性至上主義」の人々 - この夜が明けるまであと百万の祈り

こうやって自らの「Win」を諦めてしまったり、「Win-Lose」(マウンティング)にこだわりすぎてしまうと、ネットでコミュニケーションが取るのが非常に困難になります。ルサンチマンミソジニーにまみれた発言をしたり、勝てる相手を延々探してそれにマウンティングを繰り返すということになります。

何も考えずに自然にまかせていると、こういう状態に陥ってしまいがちです。そうならないために「Win-Winを考える」というのは意識的に訓練していったり、準備する必要があります。こういうのを家庭での教育やら、学生時代やら、恋愛関係やら、仕事(営業活動)やらで身につけられるかどうかってすごく大事なことだと思いますがどうでしょうか。


全てにおいてネガティブな人はそうはいない(はず)。「ネットでは」意識して何が嫌いかより何が好きかで自分を語っていくように努めていきたい

以前はこういう人たちやだなーと思ってたんですが、最近そうでもなくなりました。いろんな人と接しているうちに、私含めて「全てにおいて自己肯定が低い」という人はそんなにいないんだなってわかって来たから。

つまり、こういう人たちでも、何か自分の好きなことにのめり込んで、それを発信する限りにおいては自分を肯定出来る。そこから生まれる人間関係みたいなものはそんなにネガティブじゃなかったりする。一度前向きな人間関係が作れたらそこから全体も改善していくのかな、なんて思ったりしてます。(※あんまり無理するといびつなサークルになっちゃうことも有るようですが、そこの分岐はまだよくわかってません)

だから、その人達のネガティブな部分を直接あーだこーだ言うより、その人達が好きなことで前向きな情報発信してるところを応援してあげたらいいのかな、と。そんな風に思うようになりました。私も最近このブログ以外のところでそういう活動ができるようになってきて、ネガティブな要素は以前よりましになってきたと思いたいですがどうでしょうか? そうでもないかな?