頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「まだ○○で消耗してるの?」はムカつくけどまだ「○○論で消耗するならやめれば」は時々思う

どうせやるなら楽しんでやろうよ。

義務じゃないことは、嫌になったらとりあえず休んでまた楽しめる気分になるの待つ

たとえば恋愛論とか。
「恋愛疲れ」はわかる。恋愛はすごいしんどいだろうさ。だからやりたくないって気持ちはわかる。だが「恋愛論疲れ」になると話は変わる。

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繰り返すけど「恋愛疲れ」ならともかく「恋愛論疲れ」してる人がいたら本人の勝手だとは思うけど本人の勝手だからこそこっちの知ったことじゃない。ましてその疲れを訴えるやつがいたらバカだとしか思わない。必要ないんだから疲れるなら無駄に恋愛論なんて考える必要ないじゃん。興味ないならそこから離れればいいだけじゃん。ほんとに疲れたならそこから離れたらいいだけですよ。少なくともそんなお前の感情なんか知らんわ。で、ちょっと休んでまた気力が戻って「恋愛論やりたい」って思ったらその時にもどってきたらいいじゃないの?会社じゃないんだからさ。義務でもないし生活のために必要じゃないんだからさ。恋愛しないと生きていけない人はいても恋愛論しないと生きていかに人なんていないでしょ。自分がわざわざその疲れる恋愛論に首突っ込んで疲れましたとかバカなの?死ぬの? それって自分と波長の合わないオフ会にいって帰ってから愚痴のレポートをするくらい不毛だと思うわけよ。 第一、それをいってどうして欲しいんだよ。よしよしして欲しいのか。私も仲間だよって言って欲しいのか。自分が思ったように行動したり言ったことについてチヤホヤされないから愚痴ってるだけだろ。自分ことばっかり考えて、愚痴を言われる他の参加者の気持ちとか考えたことアンの?ガキすぎるんだよ。一時の自虐を仲間内でやるならいいけれどガチンコの愚痴を公衆の面前で平気でやっちゃう人は、別に恋愛論にかぎらず何やっても疲れるから一生疲れた疲れたつらい私は可哀想って言い続けるだけでしょ。すでに自分で自分を死に物狂いで慰撫してる姿をみせつけられて同情する気持ちなどかけらも湧かない。


でも愚痴を言いながらでも執着し続けられるものがあるのは羨ましいという気持ちもある

とはいえ、疲れたと愚痴を言い続けながら、それでもなにかに執着し続けるというのは私にはまったく理解できないだけであって、実はなかなかすごいなと思う。

私は執着が強いと周りから言われるけど全然そんなことはない。むしろ自分では異常に物事に執着が薄いと思ってる。少なくとも、執着していることについてはそれについて消耗してるとは思ってない。消耗したとしてもそれと引きかえに何かを得てるって思ってる。トータルで見た時にこれは好きだとか、楽しいとか、それをわかちあう友達がいるとか、なにかしらのプラスがあるから続けてるよ。逆に消耗のほうが大きいと思ったら絶対に続けられない。義務じゃないなら、トータルで見てマイナスでしかないと思うなら続けることは出来ない。私の執着ってのはその程度だよ。もし私が何かについて執着が強く見えるなら、それは自分にとってまだそれが楽しめるからであって、楽しめなくなったら多分すぐやめるよ。だから、私はブログで「○○論」とか「○○○について考える」とか時々思いつきでやるけど途中で飽きたらすぐやめる。楽しくなくなったらやめる。そこでいちいち他人のことなんか気にしない。互助会がどうとかあそこら辺だって楽しそうだったら参加しても全然構わない。私はあれ死ぬほどつまらなさそうだなと思うからやらない。そんだけです。 で、また思い出したりその気になったらやる。でも、またそれが気になったら戻る、ただそれだけですよ。苦行のように何かを続けるつもりなんて全く無い。これはこれで忍耐力がなさすぎてダメだと自分でも思う。



できれば私がそうやって執着するものは「○○論」ではなく、具体的な「○○」の側でありますように。