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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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夢と現実は対立関係ではない

というか、正確に夢や理想を見ませう。

夢にいたるまでの現実の積み重ねをきっちり意識しませう。

夢と現実は同じもので出来てます。



誰かが夢を語る時、夢と現実が対立してる人のいうことは大体何か嘘があります。

その人は夢を過剰に美化し、現実を過剰に悪いものとして捉えてます。

あるいは、もっとたちが悪い場合、本人は現実をわかってて自分を騙そうとしてます。




同様に、過剰に夢や希望を否定する人もまた何か嘘をついています。

現実を積み重ねていった先に叶えられる希望を否定する必要はありません。

それが実現可能かどうかをちゃんと考える前からそれを否定する人は手抜きです。




ブログ飯だろうがアイドルだろうが起業だろうがライターだろうがなんだろうが、

それを目指すためにどれだけのスキルや努力や環境が必要で、

そのためにあなたがどういう努力をする必要があります、ということがわかってて

その上で頑張りませう、という話なら何の問題もありません。

むしろ、自分が何かを目指すならそういう話をしてくれる人を探したいですね。




「夢」は現実に先行する道標となるものだから絶対にあったほうがいい

「夢」という言葉に抵抗があるなら「理想」「正論」って言葉でもいいと思います。

「夢」や「理想」というとふわふわしてるイメージが合って、「正論」って言葉にするとおかたいイメージがありますが、これらはみんな同じことを言ってると思う。

正論(コア)とその手段の選択について - この夜が明けるまであと百万の祈り

「正論を選ぶ」というのは、明らかに会社が倒産する無理な投資であっても正論だからそれを行いなさいということではありません。正論に基づく理想どおりにやる、のではなく、正論の部分を踏襲する、ということです。

「正論に従う」のではなく「正論に沿う」のです。

例えば、社長が「今は入口に5段の短い階段があるが、車椅子やベビーカーのお客様がお困りなので、スロープを建設しようと思う」と会議で発言したとします。

その時に、「いやいや、それは正論ですが、現実問題として、うちにその費用が出せるほどの余裕はないでしょう」「いやいや、それは正論ですが、現実問題として、店の前のあの狭いスペースにスロープつけるのは複雑になって無理でしょう」などと反論する人が出てきます。この人たちは「理想と現実」の話をしていて、「スロープをつけるのは理想。でも、現実的に考えて無理」と考えるので、当然「理想は無理」「だから現実」と、現実、つまり現状維持を考えます。


でも、ここで社長が言っている「正論」は、「スロープをつける」ことではないのです。「車椅子やベビーカーのお客様がお困りなので、困らないようにしてあげるべきだ」というのが「正論」であって、スロープはその正論に沿った結論の一つでしかありません。


「正論」とはきちんと考えるべきことであって、「理想」とは違います。だから、現実問題がどうという話ではなく「正論に沿う」形で議論をしなければなりません。資金の余裕がないという「現実」からその「正論」をいかに解決するか、スペースの余裕がないという「現実」からその「正論」をいかに解決するか、なのです。つまり「正論を取るか、現実を取るか」という話ではないんですね。それが、仕事というものです。現状維持を選ぶのは小学生でも小動物でもできますから、そんな意見は仕事をしたことにはならないのです。
 

スロープの建設はできないということになっても、「正論に沿う」ことを考えると、スロープ以外のアイデアが必要になるわけです。スロープはないが、車椅子やベビーカーを見つけたら、スタッフは必ず2人以上で駆けつけるとか、特別に搬入口からの案内をするとか、ネットショップやカタログ販売を強化するとか、その「正論」に沿った選択肢は、無数にあります。「正論」と思うものが出れば、それが答えです。その答えを実現するためにどうするか、というのが社会人の仕事であって、「それは正しい答えだが、回答はしたくない」みたいな姿勢は、仕事をしているうちには入りません。「社長はいつも、夢みたいなことばかり言う。言ってることは分かるんだけどさ」などと思った時は、その「夢みたいなこと」の中に正解があります。「夢みたいなこと」「理想ばかり」などと切り捨てず、その中に見つけた「正論」を取り出し、その「正論」の実現を考えるべきなのです。

よく言われる

「問題が何か分かれば、問題は半分解けたことになる
 しかし、本人が問題と思わなければ、その人にとって問題は存在しない。
 だから、問題がないと言うことが、「問題だ」という場合もある」

というのは上のような話だと思います。


夢を語るなら、具体的に語ろう。特に他人に向けて語るなら。

結局、「夢」も「正論」も

指標とか道標、課題みたいなものを違った視点で言ってるだけです。

なのだから、夢がある人は自分の夢を自信を持って言えばいい。

ただ、その上でその正論をどうやって現実化するかも一緒に考える。

そこをよく考えてなかったり、他人任せにしたりするのが良くないだけです。

そういう「空っぽな夢」「虚ろな正論」みたいなを避けましょうってだけですね。

”「若者応援おじさん」に気をつけろ” - この夜が明けるまであと百万の祈り

何やるのかわからない肩書名乗るより、形容詞や動詞で自分を表現してみる試みなら面白そうだと思います - この夜が明けるまであと百万の祈り

無能な味方 - アンサイクロペディア

やりたいことを思いっきりやるためにはやりたくないことも思いっきりやんなきゃいけないんだ

これをちゃんとやってるのであれば、よくわかってないおっさんが何言おうが気にしなくてもいい。でも、本当に自分はやるべきことをちゃんとやれているのか?って自問はした方がいいと思います。そこでただ優しいだけの人は、その場ではいい人に見えるかもしれないけど責任は取ってくれません。




2月24日追記
特定の誰かに向けて書いてたわけじゃなかったのですが、

翌日にまさにこの記事読めば?ってな記事をみかけました。

http://aitabata.hatenablog.com/entry/dream

全く興味ないですが、私から言えることは「スローガン」としてだけの夢は他人に言っても仕方ないってことです。

他人に伝えるべきはむしろその夢や理想を元にした行動計画だと思います。それがないから周りの人は「ああ、これはただのスローガンか」と判断してしまうわけです。

だからといって他人が上から目線で口出すなよって言う気持ちは有るかもしれません。それは確かに。

でも、上の記事書いた人、友達ならせめて「記事には書いてないけど彼女にはちゃんと具体的な計画があるはずです」「具体的な行動はまだこれからだけど、彼女は今までしっかり実績を出してきたしこれからも大丈夫のはずです」「私達みんなで支えます」とか。そういうことを言ってあげればよかったのではないでしょうか。 

経緯説明と意思表明のエントリなので、ここではビジネスプランの話はなくて正解だと思う。こういう周囲の空気に屈せず、とにかく頑張ってほしい。がんばれ

この人のブコメなんかいいなと思いました。

上の記事の人は、まさか友達の話をダシにして自分語りと他者批判だけするとは思わなかったからびっくりしました。無能な味方は敵より迷惑って感じ。


出資してほしけりゃ、理念や企画よりまずは自分にしかできないことを示さなきゃ! - かくいう私も青二才でね
私が言っても嫌味に聞こえるのだろうけど、若者大好きな青二才さんもなんかそれっぽいこと言ってるので、別におっさんの枯れた思考ってわけではないと思います。 

青二才さんも大学生の頃は「とある青二才の天地創造」という夢だけがプカプカ浮かんでる愉快な記事を書いてましたが、いまでは結構必要な手続きを意識しながら堅実に物事を考えられるようになってますし、結構こういう基礎的なところって大事だと思いますよ。