久々にダイアリー時代の「不完全な記事をみんなで完成させていく」トラバの流れが見れて嬉しい。
私が最初にはてなに来て「はてなすげー!」って惚れたのはこういう流れなんですよ。
「はてなは記事単体では完成せず、はてブと合わせて一つのコンテンツなんだ」って言ってた頃が懐かしい。
はじまりはこの記事。
マスコミの洗脳。日本人は決して働きすぎではない - 名誉社畜ブログ
面白い意見だと思いますが、単体だと問題ありというか「未完成」というべきかな。
で、最近ってこういう記事に対して「はてブで批判コメ」はいっぱい付くけどそれで終わってしまうケースが結構多いなと思います。
①批判してる人は別のイメージを持っている。「これが正しい」という前提があって、それをもとにキツめのコメントを書く。
②でも、「何が正しいのか」というイメージが持てなくてこの記事はこの記事で正しいんじゃないの?と思ってる人からしたら、批判コメを見て「批判するなんてひどい」みたいなことを言ってしまう。
③そういう「鵜呑みにしちゃう人」をみて、批判する人はまた頑張っちゃう。
そういう流れが結構多く見られます。これは悲劇。②の人たちって悪気ないんだけど、あなたたちが①の人を余計に苛つかせちゃうんだよね……。「とりあえずよくわからないものは肯定知れればOK」みたいな態度の人って私もあんまり好きじゃない。
ある一つの記事が、トラバによって「完成」されていく流れ
でも、私が最初にはてなダイアリーを見た時ってそうじゃなかったんですよ。その後「間違いを指摘」するトラバがついて、総体として一つの完成された内容が読めるって仕組みになってた。
そして、今回は珍しくその流れがちゃんと起きてました。
(1)大前提として、統計の前提が間違ってるよ、という指摘。
「日本の労働時間は世界15位と低い」の謎を解く - 文章生成ファクトリー
「日本においては女性が正社員でなく、パート・アルバイトで働いている割合が高い。その結果、男女を含めた労働時間ランキングでは15位と、一見それほど多く働いていないように見える。しかし、男女別のデータを見れば、それはサービス残業の概念を入れるまでもなく誤りであることが分かる」
(2)各種データの比較についてもこう解釈してみたらどうかという指摘
社畜の洗脳。「日本人は決して働きすぎではない」への反論 - 一橋を出てニートになりました
(3)アメリカ・韓国・日本が特殊でヨーロッパはこんな感じだよという意見も
【来英2年漫画】うめだまのイギリス自由帳: 【まんが】定時帰りの威力を知った。
いいぞこれー。私にとっては、はてなの原体験というのは、こういうものでした。
多少口は悪いけれど、間違ってたらただバカにされるだけじゃなくてこんな感じで足りないところを教えてくれる「ツンデレおっさんども」がたくさんいる場所なんです。断じて「ネットの引きずりおろそうとする力」みたいなものを味合う場所じゃない。
こういうプラスの面があるからこそ「知らない人」とつながりうるトラバや、「知らない人が気楽に意見に読める」はてブとかトラバってのはありがたいものなんだ
逆にいえば、こういうプラスの効果が得られないなら、知らない人と繋がるメリットは小さい。互助会みたいに身内だけでつながっていたいって思っても全然不思議じゃない。
実際、今はこういう流れになることがほとんどなくなっていると思ってます。
以前ははてブたくさん欲しい時は増田に書いたりしてましたが、今はもう増田でもはてブ全然欲しくなくなってしまったし、アホなコメントするやつは容赦なく非表示に放り込むようになってしまいました。
それでも、私にはまだ「感謝するような思い出」がある。なので、「批判」について悪いイメージがないし、むしろ必要なものだっていう思いがある。
でも、最近はじめたブロガーって多分はてブとか、「批判」という概念自体にろくなイメージ無いんじゃないかな。批判って言葉から「お説教」「悪口」みたいなネガティブな面しか感じられない人多いんじゃないかな。「最近のはてなブロガーってほんとに批判に対して耐える力がない」と私も思いますが、私が耐えられるのは「役に立つコメントも有る」「自分の気づかないことを知っててわざわざ教えてくれる人がいる」っていう経験があるからだと思う。今ってそういう経験がなくて、それだったら中身がなくても「いいですね」「面白かったです」みたいな毒にも薬にもならないつまらないコメントの方がまだマシだって思ってる人ばっかりなんじゃないかな。
私からしたら強く違和感を感じてしまう「ネットの引きずりおろそうとする力」って言葉を本気で受け取ってしまうような人もいるんじゃないかな。
それって、なんだかすごくもったいないし、さびしい話やなあと思います。
枯れたおじさんの「昔はよかった」語り
まぁちょっとだけ最近ブログはじめた人には嫌なことを言うけれど。
批判ってする方も受け取る方も一定以上のレベルが要るんだよね。
「バカにする」と「批判する」は全く別物である - この夜が明けるまであと百万の祈りフィルタ1 「なぜ、そのような判断を下すに至ったのか」その前提or根拠が語られないものは批判ではない
フィルタ2 「相手の理解」を経由していないものは批判ではない
フィルタ3 1、2の条件を満たしていてもなお批判と呼ぶに値するレベルに達していなければアウト
第0段階:大人としての自覚する
第1段階:ゼミでの発表や研究室内での議論で、自分の主張を否定するような意見に出会うと「怒る」あるいは「泣き出す」、「へこむ」
第2段階:ゼミでの発表や研究室内での議論で、自分の主張を否定するような意見に出会っても、何とか受け入れられるようになる
第3段階:他人の発表や議論を聞いて比較的細かい「よくないところ」を指摘できるようになる。
第4段階:他人の発表や議論を聞いて、発表や発言の枠内で「よくないところ」を指摘できるようになる。ただし、改善方法は提示できない
第5段階:他人の発表や議論を聞いて、発表や発言の枠内で「よくないところ」を指摘できるようになる。しかも、改善案も提示できる
第6段階:他人の発表や議論を聞いて、研究テーマや扱っている問題の本質的なポイントから「よくないところ」を指摘できるようになる。しかも、改善案も提示できる
で、最近の若いはてなブロガーってそのレベルに達してないレベルの人がスゴイ多いなって思います。そういう人たちにいくらまともな批判やっても届かないだろうなって思うし、むしろ逆ギレされるのがオチ。
正しいことを知りたいわけじゃなくて、自分が思ったことについていいね!って言って欲しいだけの人に批判なんてしたって無駄でしょう? だから、いまではこういう流れってほとんど起きないと思う。
今回ちゃんとした流れが発生した理由だけど、これは元記事がちゃんと「主張」になってからだと思う。 ただおもいつきじゃなくて、ちゃんと根拠を示して意見を言ってる。ちょっとデータの使い方がおかしいけれど、でもそれもちゃんと確認が出来る。青二才以降のブロガーのように「根拠は俺の感覚」「私がそう思うんだから私が」みたいな、あっそう。お前がそう思うんならそうなんだろうな以下略、てタイプではない。
こうやってちゃんとした根拠を持って主張されているものは他の人も意見を言いやすいのかもしれないですね。
とはいえ、別に昔のはてなと今のはてなどっちがいいかというのに答えはないと思います。私は以前のはてなが好きだけれど、今の主観中心であったり日常雑感系も好きです。
ただまぁ、なんだろう。あえていえば「批判された時にすぐにしょうもないことを言い出すバカ」だけはどうにかならんかなと思います。ジバニャンのブログの人とかあれすっげえ見てて渋い顔になる。