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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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なんでも調べられるネット時代だからこそ「無知の知」が大事になるかも

なんでもは知らないよ、知ってることだけ

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2016/04/09/095227
で「発言された文脈が不明だから林先生を批判するつもりはない」というのを書いてたら、コメントで「なんで元ツイートが怪しいって判断できたんですか?」という質問のコメントを頂きました。 (非公開希望なので公開はしません)

これについてですが、私は単にそこはどっちかわからなかったからわからないと書いただけです。わからないものを無理にわかってるふりする必要は無いし、むしろネットだとわからないことを確かめずに言い切っちゃうのはあんまり良くないと思ってます。


無知の知じゃないけど、このネット時代はますます重要だと思ってて、意外に「わからないことをわからないってちゃんと言える」「わからないことは保留する」という作法が大事になってきそう。 わかんなかったらとりあえず「保留」してもいい。だから心に余裕を持って考えるようにしようという考えをどこかで持たないと、いろいろと慌ただしくて、短絡的な考えばかりするようになりそうで怖いです。


ネットではわからない時に無理やり賛成か反対の意見を言わなくても良い。「わからない」だって立派な意見

自分も時々忘れそうになるけど、ネットは「多数決」を取ってるわけじゃないので、賛成か反対をその場で示す必要はないです。


狭くて退出困難な人間関係だと、どうしても「敵か味方か」の判断が重要になり、そういう場では即時に空気を読んで「賛成」か「反対」かを決めなければならないなんてシチュエーションがあるかもしれません。そういう状況に慣らされて「とにかくどっちかにすぐ決めなきゃ」って思ってる人がいるかも知れません。それで、「よく分かってないのに何か意見をいう」みたいなことになってしまうのかなと。

ネットはどうせ他人同士ですし、敵か味方かという考え方をする必要はないし、なので「わからない」ものを「わからない」と言っても良いでしょう。そこで追いつめられたかのようにどっちかの意見を選ぶ必要もない。立場を明らかにしなくても誰も怒らない(明確で無いとあまり話は聞いてもらいにくいでしょうが)。


肝心なことは、自分が何がわかってて何がわからないのかは一度把握しようとしてみることだと思います。それでも「何がわからないのか」はなかなか把握できないと思いますが、「わかってることが何か」と、「少なくともこれはまだわからない」ということはある程度確認できるかもしれない。そこさえ把握できていれば、わかってることにもとづいて意見は言えますよね。


後は「わからない」ものについて意見をいう時の作法について考えてみる。「わかってない」のだから、当然ながら自分の思い込みなどで断定的に語れるはずがない。「推測ですが」「~ではないでしょうか」などと言葉遣いも当然変わってくるはずです。たまにこうなんというか……思い込みでしかないことに断定口調で語りかけてくる人いますけど、私はそういう人とはあんまり会話したくないです。


とにかく焦って意見をいう必要はないのでゆっくり考えればいいと思います。意見をいう時も「わかんないです」「ここは保留します」は堂々と言っても良いんだってわかると、考え方や意見の述べ方が自由になるし、心も余裕出来てきますよね。 考えるときはできるだけ余裕が有るほうが良いですよ。


「スルー」や「パッシング」と、「保留」の違いについて

リアルの人間関係において、なにかと立場をはっきりさせることを求められ続けると、自分で考えにくくなります。とりあえず賛成しておこう、反対しておこう。そういうのが意見だと思ってしまうかもしれない。こういうことばかりしていると意見を出すということがひたすらに面倒くさく、屈辱的なことにすら感じるかもしれません。

だからネットでそのあたりの必要がなくなると、「わからない」「めんどくさい」ことについては「スルー」や「パッシング」しよう、それが賢いことだ、という気持ちになってる人が結構いると思います。それはそれで有りと思いますけれど、スルーやパッシングしたらそこでその話題とは一旦接点がなくなってしまいます。これに対して、「わからない」けど興味があるなら普通に「保留」して、考え続けるということもできます。こちらも意見をその場で述べないことは一緒ですが接点は維持しているから考え続けることは出来ます。その間に情報を確認したり調べ物とかいろいろできますよね。

これも先ほどの繰り返しになりますが、その場で意見ださんでもいいので、自分の中で納得いかんようなら、落ち着いてしっくりくるところまでこねくり回したほうが、スルーやパッシングするよりすっきりすることもあると思いますよ。




「わからない」と思うからこそ、自分でアレコレ考え始めるので、「わからない」を嫌がらずにじっくりそいつと格闘してみる

「わからない」って「理解できない」ということと「納得出来ない」ということと2段階あると思います。前者はともかく後者については、すぐに反対したり、文句を言ったりして、ケンカになるような話しか出来なかったりすることが結構ありますよね。

でも意外と「わからない」「納得出来ない」ことの原因は相手じゃくて自分の内側にあったりするので、いくら反射的に「納得出来ない」ことをいう相手を叩いても結局すっきりしない。 自分の中にもっと良いアイデアがあったり、別に抱えてる問題があったりとかするので、そっち考えたほうが多分有意義な気はする。



私がやってるすごく簡単な「保留」の方法

・最初にFacebookに記事のネタ元みたいなのを書きなぐる。

・途中でうまくいかないなと思ったらブログ記事にはしない。

・問題なければ少し手直しして転写する。

・その過程でちょっと手直ししたりする過程でおかしいなと思ったら問題有る所削ったり変えたりする。


だいたいこんな感じです。外向けのアウトプットに一枚かませてるだけですが、これだけでも割りとましになる。「ストレス解消」はアウトプットしようと頭で考えている段階でだいたい解消される。誰にも読んでもらえなくてもこの点では問題ない。イライラして書いた文章や、わからないままとにかく衝動で書いた文章は、すっきりしたあとで、「それでも他の人に読んでもらいたいか」確認してからでも遅くないですよね。





うーむ。

なんかついつい自己啓発っぽい語りになってしまった。まとめると「わからないことはわからないでいいんだよ。そこで焦って飛びついて意見をいうと結構間違えるから気をつけようね。保留って選択肢が有ることを意識すると結構楽になるよ」って話です。