昨日感想を書こうとして挫折した「心が叫びたがってる」の成瀬順について、この記事を読んでもう一度考えなおしてみた。
なぜ歌えるのに話せないのだろうか?歌うことはひとりでできる。話すことはひとりではできない。この違いなのではないかと思う。
歌は一方通行であるのに対し、話すことは双方向である。つまり話すことは相手を必要とする。腹痛の原因がコミュニケーションをとることであるとするならば、歌はそれを免れているのではないだろうか。相手に合わせなくていい。それが歌える理由なのではないか。
これが正しいかどうかはわからないが、これを前提として話を考えてみる。
成瀬順が思いを伝えるのに「ミュージカルの歌」ではダメだった理由
成瀬順はコミュ障の極みである。なにせ人としゃべろうとするだけで腹が痛くなるとか相当なものだ。場面性緘黙症みたいなものだろうか。
そんな成瀬は、当初拓実が作った曲で歌うことによって己の心を表現しようとした。
しかし、これだけでは問題は解決しない。
仮に歌に乗せたストーリーを通じて綺麗に感情を表現できたとしてもそれだけでは成瀬は人と喋れるようになったことにはならない。
せいぜい、拓実に依存して、拓実相手なら喋れるようになる、程度で完結してしまう。
これだけだとまだ一方向的に、自分のストーリーを相手にぶつけることにしかならない。
しかも成瀬の歌は、戯画化され、美化された綺麗で都合の良いストーリーだ。
これは己の本心を表現するには程遠い。ごまかしがある。
こんなものが歌えただけでは人と話せるようになったことにはならない。
歌は成瀬にとって言葉を話し始めるきっかけや考えをまとめて表に出すきっかけにはなった。
しかしそうやって歌をきっかけに今まで心の中で抑えてきたものを出し始めたことにより
歌にして表現しようとした自分と、本当の自分のこころとのギャップがしんどくなる。
で、一番大事なところで耐え切れなくなって逃亡する、と。
そうね、昨日の段階では「ミュージカルという一本でまとめて欲しかった」
と書いてたけど、そうじゃなかった。
成瀬も拓実も最初はそのつもりだったけど、
成瀬は途中でそれが欺瞞だとか嘘だと思ってしまったんだろう。
直前のイベントで、ごまかそうとしてた自分の心と直面してしまい
「綺麗に飾り立てた自分」「自分の理想とするシナリオ」を演じるのに耐え切れなくなった。
綺麗な歌とストーリーの虚飾を引剥してみれば、
本当の自分は不格好で、醜くても、人に呆れられたり嫌われちゃうような人間だと思った。
そんでも成瀬は今まで自分を押さえつけすぎてた分、もう我慢できなかった。
話慣れてないたどたどしい口調で、感情むき出しのぐちゃぐちゃな言葉で、
大勢の観客ではなく目の前の相手に向かって、面と向かって自分を伝えようとした。
「ミュージカルで一方的に歌う」のと比べたら
「言葉で伝える」のは不格好で、相手もいることだから怖かったけれど、
一度人と話すことから逃げて、今までずっとしゃべれないままだったから、
ここでしゃべることから逃げたら、二度と話せないままになることの方が怖かった。
だから成瀬は逃げずに必死に言葉を紡ぎ出して、拓実に自分の思いを伝えた。
それが例の絶叫シーンなのかな、なんて思う。
こんな風に考えたら、昨日は全然わからなかった成瀬順ってキャラの行動が自分の中ではだいぶ腑に落ちたんだけれど、どうでしょうか。
他の方の感想も聞いてみたいです。
余談 「心が叫びたがってるんだ」とはあんまり関係ないけど下記の記事読んで思ったこと。
「ネットと現実は違う」のか、「ネットには人間の本音が書かれている」のか? - いつか電池がきれるまで
炎上ブロガー批判論――批判か?興行か? - シロクマの屑籠
少なくとも炎上ブロガーに関しては本心など書いていないと思ってる。炎上ブロガーにとってのブログは、成瀬にとってのミュージカルの歌みたいなものかもしれないという
「一方通行で」「自分の土俵でなら」語れるという人は多い。でも、会話って、相手と内容やペースを合わせながら語らないといけない。それが難しい。いや「語る」方はなんとかなることが多いが、それ以上に「受け取る」方が厳しいかもしれない。
ブログではすごく強気だったりやたら物知り顔で断定口調な文章を書いている人が、twitterで1対1で話をした瞬間実はただの知ったかぶりであったりろくに知識がなく思い込みで語っていたことが露呈するケースはよくある。 まともに会話が出来なくて逆上し、また自分の城であるブログに閉じこもったり、直接の会話は避けてエアリプで愚痴愚痴言い出す人間もいる。はてなではそこそこ力を持っているというポーズをとっているのにオフ会ではまともに存在感を発揮できず、帰宅したあとでお客様面をして愚痴めいたオフレポを書くクズみたいなことをやっちゃう人もいる。*2
私も人のことは言えない。 twitterの速度だとたいてい相手の話を聞くだけで処理速度が限界で、受け身になってしまって自分の考えをろくに話せなくなる。リアルだとさらに余裕がなく「しゃべりすぎる」か「何も言えない」の二択になってしまう。この前twitcastでしゃべろうとしたら案の定あんまりうまく行かなかった。
結局、いくらブログだけ多少上手に書けるようになろうが、それだけで人と語れるようにもならないし、コミュニケーション能力が上がったりはしない。 ブログを書くことと人と話すことは全く別だ。 にも関わらずあんまりブログにばかりのめり込みすぎると、現実とブロガー人格の間にギャップが生じる。
「オンライゲームでヒーローの自分と現実の自分とのギャップ」みたいなネタは既にいくつも作品で創作のネタにされてきたが、「はてなオンライン」というオンラインゲームでも今後「ブログで盛りすぎたキャラ」「ブログでは饒舌な俺」と「現実でコミュ障な自分」とのギャップに悩んだり、もっと恐ろしいことに「ブログで盛ったキャラ」からログアウトできなくなり、常時あっちの世界に旅立ってしまって現実に戻れない人物が出てくるかもしれないと思う。
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そういえばシロクマさんは「いいね!」時代の繋がりについてそういう話はある程度そういう話をされていたと思うが、もっと読んでみたいところではある。