頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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ハラスメントをしてくる人間の心情や事情を考える必要はない

とても素晴らしいコメントがあったので引用します。


それはあくまでも加害側の問題です。被害に遭う側がその加害側の問題を一緒に背負ったり、肩代わりしたりする必要は全く無い。不快に感じることからまずは全力で逃げていいはずなんです

加害行動の要因を一緒に背負うことと、要因に思いを馳せることの違い

現場で傷ついている人に直球で「〜〜にも事情があるんだろうから」と伝えても受け止めきれるとは限りません。それは自分自身である程度の余力ができてはじめて足を踏み込んでできること。相手がそれを受け止められるステップに無いときにこれを提示しても、「相手の事情をお前が背負え」と言われているようにしか感じられません。

これほんとに重要なことだと思う。




ハラスメントについて理解しておきたい3つのポイント


ハラスメントの基本1: そもそもハラスメントとは相手側からの一方的な文脈の押しつけ(=こちらの文脈の無視)である

「ハラスメントに対する嫌悪」の感覚を共有するのは難しい - お前のことが好きやったんや

こうして「コミュニケーションを求めながら、それが決して成立しないこと」というのはそれ自体苦しいことだろう。しかし、ハラスメントはその先にある。コミュニケーションが成立していないのに「一方的に相手の文脈によって」成立したことにされてしまう。この際に、自分が思っていないことを思ったことにされてしまう。自分の感覚を裏切ることを強要されるこれがハラスメントなのだ

こちらが思ってもいないことを思ってることにさせられることがしんどい。

そこで「相手のことを考えてあげましょう」と言ってあげられるのは絶対的に余裕がある人である。

構造的にはまず、「こちらの文脈を無視して自分の文脈ばかり押し付けてくる相手側が自分の文脈を尊重するのが先」である。

なので、その部分を守らない人間には、こちらも相手のことを考えてやる必要はない。むしろ考えてはいけない。

そういうことは、相手が脅威でなくなったり、礼儀をもって接するようになったり、十分距離を取れるようになってからやればいい。



ハラスメントの基本2:ハラスメントはやはり受け手の問題である

どうしようもなく自分の感覚を無視され、あまつさえ、一方的にそれを規定される。ここに苦しみが生じる。コミュニケーションの成立条件が満たされないところに根本的な問題がある。コミュニケーションが受け手の問題であるように。 ハラスメントといっても話し手は必ずしも嫌がらせのつもりで行なっているわけではない。むしろその逆の場合が多い。 ただ学習が不十分であったり、学習する契機を持たないだけである。だからといって問題にならないわけではない。

コミュニケーションの成立そのものに失敗し続ける関係を継続し続けるのはかなり苦痛だ。 ループする物語において、ひたすらバッドエンド、バッドコミュニケーションのイベントのみを強制的に繰り返させられるようなものだ。 

こういうことをいうと、すぐに「冤罪ガー」とか「女が一方的に男を裁くのか」みたいなことを言い出す人が出てくる。

だが、基本1で述べたように、よほどのトラウマなどを抱えていなければ、ハラスメントの話になる前に、「コミュニケーションが成立しない苦痛」「自分をないがしろにされるのではないかという恐怖」が問題になる。

何も悪いことをしてないのに一方的にハラスメント扱いしてくる人が信頼を得ることはあまりない(絶対にないとは言ってない)

相手がハラスメント被害を訴えてたり、ハラスメント発言をして炎上した時に、自分の文脈ばかりを一生懸命説明する人がいるが、まずこの人たちがやるべきは、相手がどう感じているか耳を傾けることではないか。

だから、受けては自分がハラスメントだと感じたときは、とりあえずその感覚を信じて距離を取ったり逃げたりしてもいい。誤解だったとしても、距離を取ってみるのは悪いことではない。

ハラスメントの基本3:ハラスメントを受け続けると頭がうまく動かなくなるので、何はなくとも危険を感じたらすぐ逃げるか助けをもとめる

コミュニケーションについて 「一方だけが学習の努力を続けることを要求サれ続けるこの非対称の関係が継続することでやがて疲労困憊し、茫然自失の状態に陥る。それは自尊心の喪失につながり、学習過程をうまく作動させられなくなる」

すぐ逃げなくてはいけないから、相手のことを考えている余裕はない。

前の2つでも述べたけれど相手のことを考えるのは、距離を取ったり、ほかの人が間に入ったりして考える余裕ができてからで良い。

ハラスメントを仕掛けてきていると感じた相手と一対一で直接接してはいけない。




日本は「いじめ」や「ハラスメント」について甘すぎるので、ハラスメントの恐ろしさについてはちゃんと教育したり自己防衛をしていかなくてはいけない

私はこれまでにハラスメントについての記事をいくつか書いています。
ハラスメント カテゴリーの記事一覧 - この夜が明けるまであと百万の祈り

私は男ですが、とある職場でのハラスメントがひどく、一時的に精神的にも肉体的にも大きく消耗させられたからです。

いくつか書いてきた記事の中で主張していることは

「言葉は有名でも意外と得体が知れないハラスメントを、できるかぎり認識・理解できるようにする」
「なすがままになるのではなくてどう対策するか考えておく。理論的な裏付けをもって対処できるようにする」
ことが大事だよ、ということです。


「ハラスメントは許せない」「わざわざ対策を考えなければいけないのはおかしい」という意見もあるかと思いますが、
そういったところで撲滅は難しい。
いざざ自分が直接被害にあった時には社会全体が変化するのを待っていられない。
だから、自分で対処しなければならなった時のことを考えておくべきだと私は考えます。

また、「ハラッシーハラッサー」といって、自分がハラスメントの被害を受けて我慢などしていると
無自覚に自分が加害者側になってしまうことも多いです。
被害者になるのですら耐えがたいのに、自分がその被害を与える側にならないためには知識が必要ではないでしょうか。

そう思って記事を書いています。





ネットでは「いじめ」や「ハラスメント」は絶対許さないという声が強いように見えます。いかし実際にはネットで行われているのは「すでに悪者のお墨付き」が出たものを集団でリンチしているだけであり、これには全く意味がありません。問題の予防にもなりませんし、むしろ「悪い人間だったらみんなでいじめてもよい」というロールモデルを提供しているようなものでむしろ害のほうが大きいくらいでしょう。

また、ネットで過激に「いじめたたき」が起きるのは、現実においていじめに対する不満を多く抱え、それに個々人で立ち向かえないことが多いからだと思います。結局現実で、進行形で起きているいじめやハラスメントに対してはどうすればいいのかみんなよくわからないということだと思います。 私も頭でっかちで自分が当事者になった時はどうすればいいのかわからず大いに消耗しました。


こういうのは、やはり集団で「何が良くて何が良くないのか」「どう対処すべきか」が一定レベル以上共有されていなければなかなか物事を変えられないのでないかと思います。 なので、ちゃんとした教育や個々人の学習が必要なのかなーと思ってます。


具体的にどうすればいいのかわかりませんが、今後も気になることがあったらその都度メモしておきたいなーと思います。