頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「スタンフォード大学の心理講義 人生がうまくいくシンプルなルール」に書かれている「謝罪のルール」について紹介する


今まで私は謝罪のルールに関しては「山田ズーニー」さんの主唱する内容に準拠して考えてきたのですが、この本もほとんど同じ内容になっており、自分の中ではかなり確信を強めることができました。

以前に書いた記事はこちらです。


ズーニーさんの本は「謝罪するってなんだろうか」をゼロから考えて話を作り上げていますが、

この本はビジネススクールの教授らしく

①「謝罪しないことのデメリット」や「謝罪することのメリット」

②きちんとした謝罪は、きちんとした感謝と同じ要素を持っている

という説明がされており、違った観点からの裏付けを得られるのが面白いです。



みんな「相手に伝わる感謝の仕方」だったらすんなり受け入れられますよね。

こんな感じです。

①ありがたいと感じた「相手の行動」を評価する。
その人はどんな行動をとってくれたか?何をして、何を言って、何を与えてくれたか?その時相手は何かしらのコストを負担したか?そういうことをできるだけ具体的に考える



②相手の行動がなぜ大事なのかを自分の言葉で説明する
相手の行動が自分にとってどう役に立って、なぜ助けになったのか。それは自分にとってどんな影響があったのか。それを説明する。


③相手の行動からわかる「その人の性格や長所」を認識する
相手のどんなところを評価しているか。何かをしてくれた、というそのことだけではなく、「その人そのもの」への評価を考える。寛大さであるとか、知性、ユーモアのセンス、努力、親切なところなど、相手のどんな性質を好ましく思ったか。これは伝えなくてもよいが、そういう気持ちを持つことが感謝をより高める


④相手との関係にコミットする
相手に約束できることを誓う (これは謝罪の時には必須ですが感謝の時もそうなんだなとちょっと意外に思いました)

やってはいけないこと

ポイントは「具体的に」「心から」「言葉より行動で」ですね。

このことの大事さがわかっていれば、「謝罪する」時もやっていいことと悪いこともわかるはずです。

①相手にどんな影響を与えたかをしっかり認識しないで謝ること


②相手にどんな被害があったかを知る代わりに、起きた理由をいって言い訳すること。


③相手が何を必要としているかについて話す機会を与えず、自分だけ先に進もうとすること

http://yk264.hatenablog.com/entry/2016/10/11/103619

①よくある反応は防衛的になることです。

②もう一つ、よくありがちなパターンとしては「意図」を主張するというのがあります。

・悪い謝罪の典型例「あなたを不快にしてごめんなさい。」

・さらによく聞くだめな謝罪の例は「不快になったならごめんなさい」

それぞれについて「なぜ駄目なのか」が詳しく書かれているのでぜひ読んでみてください。


謝り方4つのポイント

①謝るべきことをしてしまった、とミスを認める


②自分の行為によって起きた結果や、相手が受けた損害をしる。相手の立場で考える


③ミスを教訓とする(自己完結的に納得するのはNGなので注意が必要)


④相手との関係にコミットし、相手に約束できることを言う。

詳細は帰宅後に追記すると思います






謝りたくなければ謝らなくてもいい。その代わりじっくり考える。そのうえで謝りたいと思ったらちゃんと謝る。

現実においては、あまりにも「形式的に謝る」そして「納得してないけど許す」というやりとりを目にすることが多すぎるんですよね。それには一定の合理性があると思いますが、ネットでの動き見てると、いかにそれに納得してない人が多いかわかります。

形式的な謝罪で、問題を解決しないまま先送りにし、問題そのものは当事者間で解決しろ、という圧力をかけるのってホントに良いことなんでしょうか。これを突き詰めると以前オールラウンダー廻の感想で紹介したような「加害者も被害者もどちらも穢れとして扱う社会」という感じになってしまいかねません。




もう1つ、「謝らないこと」「謝罪を保留すること」自体を責めるのもなんか変だと思う。

開き直るのはよくないけど、「自分が本当に悪い」と思うよりまず先に頭を下げろっていうのが当たり前ってのはなんかすごく気持ち悪いんですよね。しかも、一度頭を下げたら、謝罪したんだから言い訳するな、と言い出す人もいる。

謝る側も、責める側も「じっくり何が悪いのか考える時間」を持ってない。考えることではなく、ただ叩くことばかり一生懸命な人もいる。 そういうの、私は嫌な気持ちになりますね。



もちろん、上で紹介したように謝罪することによって、謝らないことによって心がかたくなになっているところがオープンになるとか、「対話のパス」が築かれるというメリットがあるので、まず謝る、謝ってから考える、という考えもあるのかなと。

でも、今って理不尽な叩きややっかみでしかないものも多いし、なにより厄介なのが「一事をもって全面的な謝罪を要求する」みたいな人が多い。人格否定も平気で行う。そういうのまで許容できるかというと、私はそういうの嫌だなあって思ってしまうんです。



上の「差別について指摘されたとき」についても、謝るべきだと思ったら上のように謝るべきですし、よくよく考えた結果やはり違うと思うときもあるでしょう。機械じゃないんだからそういうの1つ1つ丁寧に考えるべきかなと。



まずは「謝り方」について考えておくことは有益だと思っていますが同時に「他人の誤りを指摘する方法」だとか「批判の作法」についても考えるべきだと考えています。

個人的には、はてなブックマークの人たちは、あまりに雑すぎるのではないかと思っておりとても苦手です。