私は人の話をただ黙って聞く、というのがすごい苦手です。人がその話をしている時に何を考えているのかを想像するのが苦手なんですね。だから、自分基準で判断してコメントしてしまう。それで摩擦が起きることはよくあります。
さて、最近読んだ雑誌に、レオブスカリア『Loving Each Other』という本の中にある『-私の話を聞いてください-』という詩の話が紹介されていて、これは結構面白いなと思ったのでメモしてみます。
『-私の話を聞いてください-』
私の話を聞いてください、と頼むとあなたは助言を始めます。
私はそんなことを望んではいないのです。私の話を聞いてください、と頼むとあなたはその理由について話し始めます。
申し訳ないとは思いつつ、私は不愉快になってしまいます。私の話を聞いてください、と頼むとあなたは何とかして私の悩みを解決しなければならないという気になります。
おかしなことに、それは私の気持ちに反するのです。祈ることに慰めを見いだす人がいるのはそのためでしょうか。
神は無言だからです。
助言したり、調整しようとはしません。
神は聞くだけで悩みの解決は自分にまかせてくれます。だからあなたもどうか私の話を聞いてください。
話をしたかったら、私が話し終えるまで少しだけ待ってください。
そうすれば私は必ずあなたの話に耳を傾けます。
「人は一人で勝手に助かるだけ」と言い放てるくらい他人を信用して突き放すことができるか
上の話聞いて思い出したのは西尾維新「物語」シリーズ。
作品中で主人公を物語に導く役目を果たす忍野メメの定番のセリフはコレ。
・助けないよ、力を貸すだけ。君が一人で勝手に助かるだけだよ、おじょうちゃん
・人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできない。
忍野メメの支配力が強い前半は、この言葉がそのまま物語の基底部分にありました。この言葉のちからは非常に強くて、でも、決してそれを絶対のルールとして扱わない、そういうところが西尾維新作品の魅力ですね。
これがセカンドシーズンの「花物語」あたりになってくると少し話が変わってきます。ただ黙って話を聞いてくれる存在は、物語中では「願いを叶えてくれる悪魔」として扱われる。ただ、この場合でも「聞いてるだけでは解決できない話」はちゃんと警察に頼んでいます。
「終物語」になると、もはや「話を聞くだけ」ではどうにもなりません。本人が自分でもはや現実と向き合う気力や体力を失っている時は、「話を聞く」という行為は、スタート地点ではあってもゴールにはなりえないわけですね。
そんなわけで、「話を聞く」という行為は万能ではない。当たり前です。それでも……という部分が難しいけれど大事なんでしょうね。
「話を聞く」ことについて思うこと
話を聞くことには何かを解決する力があるわけではない。
解決する力があるのはあくまで本人で、本人からその力を引き出すのがこの話を聞く、という行為。(コーチングにかぎらず)
でも、「話を聞いて欲しい」というやつが全然頓珍漢なことを言ってたり、話を聞くだけでいいと言いながらいろんなことを押し付けてくると感じることはすごく多い。
「ただ黙って相手の話を聞く」という行為は、非常にもどかしいし体力を使う。
そこまでやっても、うまく聞けなかったら、ただの徒労で終わってしまうことも多い。
なんて難しい行為なのだ、なんて割に合わないのだ、聞くという行為は。
それでも、やはり相手がこちらに求めているのは「話を聞く」なんですよね。
少なくともスタート地点はここからだったりする。
それがわかるだけに、たとえ最後まで聞いても無駄だからといって、
その人の話し方が下手くそで要領を得なくて間違っていて……とあっても
それでも、黙って話を聞こうとすることは大事。
うん。分かってはいる。でも、それが私にとっては難しいよね……。
おまけ 「Helping Without Hurting」
貧困や被虐待などで傷ついた人と接する時の心構えについての話です。
http://blog.goo.ne.jp/skyoko05/e/489e6aef12565788bce57b5c91d440b2
https://www.youtube.com/playlist?list=PLXvTERtQ_HV943FtLVKf-AOBz7uY7u6-g
1.私があなたを本当に信頼できると信じるまで辛抱強く待っていてください。
2.私の物語を聴いてください。私のペースで、そして私のやり方で。
3.私があなたに対して何をしたとしても、それを受け入れてください(そして私がそれを受け入れられるように手助けをしてください)。私が何をするとしても、それが私があなたに出来る精一杯のことで、そのときに私はそれが正しい事だと感じていたのです。
4.私は型にはまった人間ではありません。私はユニークで、特殊なのです。私が何を必要としているかを聴いてください。
5.私は常に自分を裁き続けて苦しんでいます。ですから決してあなたは私に対して正しい・誤りあるいは良い・悪いという判断をしないで下さい。私はこの人生とどう付き合っていくかを覚えている最中なのです。従ってそういう感情によって私は心を閉ざしてしまうのです(3を見てください)。
6.私に関して、あなたの頭にあることは、私が思っているより正しいと思わないで下さい。あなたは私が話した事しか知らないのです。それ以外におそらくもっともっとあるのです。教えても大丈夫だと安心すれば、もしかすると教えるかも知れません。でも何か判断されていると感じたら私は言わないでしょう。
7.私は混乱していますが、自分についてはよく分かっています。ですから私にこうしたらいいよ、と言うような助言をするのは、必ずしも最良の方法とは言えません。
8.あなたの期待に沿って生きるような位置づけに置かないで下さい。私は自分自身の問題で精一杯なのです。
9.お願いですから、私の言葉だけではなく感情・フィーリングを聴き取って下さい-そしてそれら全てを受け入れてください。もしあなたにそれが出来ないとすれば、それは私にも出来るはずがないのです。
10.私を救ってあげようとしないで下さい。私は自分でやらなければならないのです。本当はあなたに助けて欲しいという気持ちで一杯なのです。私が自分で自分を向上させる手助けをしてください。
一言で言うと「もうちょっと待って」なのですよね。
私はとにかくせっかちで、すぐ自分を中心に考えてしまうのでこういう考えが本当に苦手です。
その時に一歩踏みとどまって相手に目を向けるためには、予め相手がこういうことを考えているかもしれない、ということを「知っておく」ことが必要なのかもしれません。可能性を自力で「想像」できないなら、可能性を頭に入れておくしか無いよね。