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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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文化コードの違いによっては男の女性に対する振る舞いは犯罪にすらなるという話

前の3つの記事では、文化コードの違いの話をしていたつもりだ。

 

1つ目の記事では、男女のコードの違いは無視できないほどに大きく、その違いから発生するすれ違いについてコードの違いを理解しないと、結構な悲劇が起きますよということが言いたかった。こういう話をするのは初めてではなく、こういう記事も書いてます。

 

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2015/10/30/124420

 

2つめと3つ目の記事では、文化コードの違いを知らなくても、目的や受け取り方の考え方次第では悲劇を回避、あるいは軽減することくらいならできるんじゃないかな、ということが言いたかった。すれ違いにおいて、致命傷を避け、自分の心を守る方法、ですね。まず出血を止めよう、自分で自分を傷つけていることに気付こう、という話です。そういうわけで終始受け取り方の話をしてたつもりだった。

 

ただ、タイトルや内容が微妙だったから、男と女の対立みたいな話になってしまった。男か女の話ではないつもりだったけど、難しいね、、、

 

トップブコメトイアンナさんのブコメのように、「下手な発信をするやつを擁護している」かのように感じた人が多いようです。愛を発信する側の話に責任がない、全て受けての責任だ、なんて話は全くしてないんだけど、発信側の責任に焦点が当たってる人は、それを書いてない、それを受けての責任より大きく書いてることに多分強い反発を感じたのだと思います。

 

 

というわけで、4つめの記事として何を書くべきかと考えれば、今度は愛を発信する側の責任ですね。ただ、私は普段こっちの話ばかり書いてます。私にとって、発信する側の責任についてはもう散々語っていることなのです。興味がある人は過去記事を探してみてください。

 

 

、、、最後に見苦しいこと書くと、トイアンナさんみたいに受け手側の話をしてる時に話し手側の話するのは、無能なのか悪意があるのかはちょっとわからないけど話をそらされてる感じがしてやっぱりちょっと納得いかないし、トップブコメがこれかよ!っていう不満はすごくある。負け犬の遠吠えでしかないけども。

 

 

 

 

 

話は変わりまして。

ところで私は何でこんなに文化コードの違いを意識するのかというと、これはだいぶ前に読んだ作品の影響が大きいです。

 

オフィス北極星」という作品なのですが、この中のとあるエピソードがものすごく印象に残っています。この作品については記事を改めて書くつもりですが、この作品において、私は「文化コードの違いによっては男の女性に対する振る舞いは犯罪にすらなる」ということを心に刻み込まれました。

 

このエピソード内において、日本とアメリカにある風習や考え方の違いのせいで本来なら愛し合っていた夫婦が引き裂かれる。夫も、妻も、どちらもお互いのことを愛していたけれど、そのことを確認することができず、むしろ誤解が積み重なって妻は心を病む。そしてさすが訴訟大国アメリカ、夫は妻を虐待したという罪で民事訴訟で訴えられ、生涯かかっても払いきれない賠償金の支払いを命じられる。

 

 

男は確かに妻を愛していたと私は感じました。しかし、当時の日本の文化コードでは良しとされていた愛情の示し方は、妻にとっては身を切り裂く刃のようなものであり、妻はそれでも夫が自分を愛しているとは信じられなかった。むしろ、妻からすれば、自分が愛していて夫も自分のことを愛してくれていると信じていたのに、他ならぬその夫から理不尽な仕打ちを受け続け、疲弊していった。この光景は、当時の私にはとても恐ろしいものでした。

 

 多分、当時の日本人からしたらその「虐待」の内容は「え?それ?」って思うような話だったと思います。それでも、文化コードの違いを放置しておいたら、お互いが愛し合っていたとしてもここまで悲惨なことになりうるんだ、、、って感じましたね。

 

 

日本人とアメリカ人の差と、日本人同士の男と女の差、という違いはありますが、多分男と女の差も、意識しなければ相当大きいと思います。たとえ小さくてもその違いをいしきしないまますれ違い続けたら、そりゃ積もり積もって大変なことにもなるでしょう。

 

 

だから私は、コードの違い、プロトコルの違いは結構大事だと思っており、そういう話をしたかった。自分の実力が足りず、読み手にとって、結局男女問題の話ってことにしかならなかったのはちょっと悔しい。