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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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VALUで振り返る「HUNTER☓HUNTER」グリードアイランド編 入り口

VALUをグリードアイランドのようなもの、というひともいれば、比喩でも何でも無く本当にグリードアイランドを自作化する人もいて、インターネットって広大だな、って思いますね。



この記事で語られている事自体はとても面白いです。

「義務付け」をあえてしないゆるい運営に寄ってボランタリーを引き起こそうというものです。

実際に平山さんなど一部の人間は、初期のニコニコ動画のように、良いボランタリーを発揮してたりします。

そういう意味で、VALUの可能性や良い面を見ていくのもそれはそれで面白いです。




で、今回は記事の趣旨とは少し外れているが、面白い例えがありました。

これすごい適当な例えかどうかわからないですし、例えが通じる人は、『ハンター×ハンター』の読者に限定されちゃうんですけども、『ハンター×ハンター』をお読みの方であれば、今のVALUというのはグリードアイランドみたいなものではないかと。

はい。その中の僕らの立場というのはGMです。ゲームマスターです。だから、なるべくゲームには介入しません。ですがこれをやられるとゲームそのものが終わっちゃう、壊れちゃうという時には、バッチリ介入します
今のところは、まだそういった介入というのが必要な場面も出てくるかもしれないです。それに介入するという権利もありますし、やると判断したときには、即やるよというの言っていきます。ただしなるべくやらないというのも申し上げておきます。

なるべく中の人の取引の在り様そのものが、みんながやりたいようにやっていると、それが良い方向に向かっていくという風にしたいわけです。だから法律で頭ごなしに、これはダメ、あれはダメというのではなくて。

これは面白いネタ振りをしてくれたな、という感じですね。



というわけで、本当は先の記事の続きから「ワールド・エンド・エコノミカ」とVALUの比較をしてみようかなとか思ったんですが、

それより面白そうなのでグリードアイランド編を振り返りながらVALUについて語ってみようかと思います。

グリードアイランドとVALUは何が同じだったのか(たとえばヒカル=爆弾魔、というのはほぼ完全に一致してますよね)

そして、何が違ったのか、は考えてみると結構楽しいような気がします。  飽きたら続きません。