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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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はあちゅうさんは以前から変わっていない。変わったのは私達の受け止め方である

私ははあちゅうさんについてはあまり期待してなかったせいか、彼女の発言は通常運転だなぁ、と思う程度で一度も腹が立つ、という状態になったことはない。

彼女の「告発にあたり、ステレオタイプな被害者像を引き受けるつもりはない」という宣言どおりに、彼女は告発の前にも後にも今まで通りのキャラを貫こうとしているようにみえる。

彼女は以前からずっとゲスで、いろんなものを煽りながら炎上で食っていくキャラだったし、これからもそうあり続けようとしている。

むしろ、今彼女が批判に晒され続けているにもかかわらずに、一向に退こうとしないのは「告発をしたことによってしおらしく振る舞うことを受け入れてはいけない」という彼女なりのこだわりがあるのかなと思っている。

彼女は変わってない。むしろ変えないように意地を張っているところすらあると感じる。変わったのは注目度と、そして彼女に「告発者としてのラベル」が付いたことに対するこちら側の受け止め方である


はあちゅうさんに対する受け止め方の分類と、その動きについて

では、はあちゅうさんの告発に対する受け止め方はどうだったののか。

まず受け止め方としてはだいたいこのような選択があったはずだ。

(1)「有意義な社会活動」「勇気ある告発者」として最大限・無条件の支援をしようという人たち。
(2)彼女自身に問題を感じる面はあるが、それでも活動の理念に賛同し彼女を積極的に応援しようとする人たち。
(3)積極的には応援しないが、少なくとも批判はしない人たち。あるいははあちゅうさんのことをよく知らず様子見をしている人たち。(浮動層1)
(4)この活動から距離を取ろうとしている人たち。ネガティブな目線を向けている人たち(浮動層2)
(5)はあちゅうさんのことは絶対に認めない。むしろ彼女がこういう活動をすること自体許せない人たち。

本当は「支持の度合い(積極的支持・消極的支持・反対)」と「彼女の過去の扱い(不問・保留・糾弾)」の2つの軸で整理したほうがわかりやすいだろうが面倒くさいので省略する。

今回は「セクハラ」「パワハラ」という、社会的に共通して問題視されている件についての告発であったから、かなり(2)の割合が高い珍しいケースだった。

それが現在ではご存知の通りである。(4)の割合が圧倒的に増えてしまった。なぜこうなってしまったのかについて記事を分けて語ります。