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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「花やしきの住人たち」 

世界は光輝く素晴らしい場所だと思い直したわけではなくて、「世界はあるがままに、いつだって誰にだって平等」だと気付いた

他人は自分に手を差し伸べてくれるかもしれないが、そこで救われるかどうかは結局自分次第なのである。他人は優しい言葉をかけてくれるし、適切な助言をしてくれる。でも、そこから一歩踏み出して、自分が変わろうとしなければ、結局救われることはない。彼らはそういう事実に気付いた

一度は世界から見放され絶望した人が、誰かに救われて、少し見方を変えてみると、実は世界はそんなに悪いところじゃないんだと気づく。このタイプの作品は名作が多い

私もそういう作品が大好きです。


というか、私は昔からずっと、今でもそういう感じの「人生に希望を持てるような作品」ってのを常に必要としてるところがあります。

そういえば、私のこのブログ、一番最初の記事は「許しがテーマの作品」だったり、(ちなみにその時のブログ名は「カキツバタ」で、これは「花やしきの住人たち」の登場人物の杜若くんから来ています)他にも「被害者意識との向き合い方」というテーマでだいぶ記事を書いてきたり「ハラスメント」について考えたり。


私はものすごく弱い人間で、自分のリアルの人生だけで自分が生きるために必要な「なにか」を充足できないから、そういうものをずっと創作物、特にエンタメ寄りの作品に求めてる所ある。

で。そうやってもらってばっかりなのも何なので、自分が出会った中で良かったなと思った作品を、見知らぬ人にも伝えることが出来て、あるいは自分が好きな作品を同じ様に好きだという人とその作品を通してゆるーくつながることが出来たら素敵だなってたいというのが、このブログをやってる原動力だったはずなんですよね。

『私の中には たくさんの先人の言葉が 受け取ってきた宝物があるので それをきみらにパスするために 受け売りをするために教師になったんですよ』

私も教師でしたが、教師を志したのもほとんど同じ理由でしたし、ブログやってるのも同じような理由。そう考えると私ってずっと変わらないというか成長しないよなぁ(苦笑)


というわけで、私は思ったことを文章でまとめるのが全く苦ではない、というかだいたい何かを考える時にちょうどブログ記事くらいのサイズになってしまう人間であり、なにか適当に考えればとりあえずブログが書けてしまうということで、惰性でずっとやってきてる感じあります。多分今更最初の気持ちに戻るのは結構難しい。その頃からは変わってないとおかしいと思うし。


でも、当時はそんな気持ちがあったよね、って少し懐かしく思い返してみたり。


そんなきっかけになった九州人さんのブログ記事には感謝を。


また近い内に「一度は世界から見放され絶望した人が、誰かに救われて、少し見方を変えてみると、実は世界はそんなに悪いところじゃないんだと気づく」ような青臭くてだがそれがいい、って思ってる作品を何作か思い出して語ってみたいなと思います。(しかし、九州人さんはまだお若い方だと思うのですが、おっさんになってもまだこういう作品から卒業できない私は大丈夫なのだろうか)



脈略無いけど「とらドラ」の原作最後の記述を。

この世界の誰一人、見たことが無いものがあった。それは優しくて、とても甘い。
多分見ることが出来たなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。
だからこそ、だれもそれを見たことが無かった。
そう簡単に手に入れられないように、世界はそれを隠したのだ、
だけどいつかは誰かが見つける。手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる。
目をちゃんと見開いていれば、◯◯にだって見つけられる。
ちゃんと前を向いていれば、大丈夫。◯◯にだって見つけられる。
そういうふうになっている。