私はAKBやメイドカフェにすら嫌悪感を抱くくらいに、実在の人物については「お約束」すら許容できない人間です。2.5次元とか意味がわかりません。逆に「フィクションは、明確に実在の人物や事件をモデルにしているまたは現実への呼びかけが明確に行われていない限り」あまり気になりません。「正しい作品」と「正しくない作品」を選別するみたいな考え方はそれ自体が嫌いです。
ただ、嫌いな人がいるのはわかるし私も嫌いな作品はあんまり見たくないので「両者の協議のもとで」棲み分けをすることには大いに賛成しています。私はゾーニング賛成派です。
しかし、ネットのゾーニング議論がクソなのは、どちらか片方からの意見しか言わないからです。それは棲み分けじゃなくて規制だというのがわからない人たちは、ゾーニングという言葉を使うべきじゃない。紳士淑女の顔をして、実際にやってることは外道そのものというイギリス帝国みたいなことをしようとする人は嫌いです。よくわかってない人が横文字を使うとすぐに思考が停止するものだというのも前に書きました。
「幸色のワンルーム」に憤る人たちは、「第三者効果」って言葉を知っておいたほうがいいと思う
ところで、数ヶ月前に書いた「幸色のワンルーム」についての感想記事がなんか最近よく読まれてるみたいです。ドラマ化されるらしいですね。
正直私も、この作品をドラマ化するのはないわーと思うのですが、それはつまらないからです。一方で「この作品に関しては」セカンドレイプへの影響の懸念が云々みたいな言説には特に興味がありません。
私はセカンドレイプには当然反対なので、この作品が現実に影響を及ぼすと思ったら強く反対しますが、この作品にはそんなパワーは感じなかったので。
それよりも反対を唱えている人たちの態度のほうが興味深いです。これマスメディアじゃないけど、この作品から勝手にメッセージを読み取って「第三者効果」に近い反応が起きてるよね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/第三者効果
マスメディアで説得的なコミュニケーションにさらされた人物は、自分自身よりも他人の方が大きな影響を受けやすいと考える (Davison, 1983)。これは知覚仮説として知られているが、これと並んで行動仮説も存在し、視聴者が自分以外の第三者はメディアに悪しき影響を受けやすいと考えてマスメディアへの規制を支持しやすくなることが予測される。
通常、第三者効果はメディアの影響全般について考慮されるが、メッセージの誘発性も第三者効果の大きさに影響する。望ましくない帰結をもたらす説得を行うメッセージでは第三者効果は大きくなる。第三者効果、特にその行動仮説は検閲の問題にとって重要である。検閲する側は自らが禁止する情報に何度もさらされることになるが、それによって自分が悪影響を受けると認めることはまれである。通常、そうした情報から保護されるべきは一般大衆であって自分ではないと彼らは主張する
第三者効果はとりわけ、ある個人が重要だと思っている事柄に関して生じやすいのだという。たとえば、秘密保護法案、エネルギー問題、領土問題、歴史認識などに関心がある人はそれに対する情報を一生懸命に集める。その結果、自分が持つ情報量と他人が持っている情報量との間に開きがあると考えるようになる。つまり、「歴史について勉強している自分と、勉強していない他の人びと」という図式が描かれるわけだ。そのため、「自分は知識があるのでマスメディアのいい加減な情報には騙されないが、知識がない他の人びとは簡単に騙されてしまう」という発想が生まれやすくなる。
http://brighthelmer.hatenablog.com/entry/2013/12/25/084129
ネットでぐぐってみると、この作品への批判は「二次加害を助長する」とか「セカンドレイプの道具に使われる」というものらしいのですが私はこの作品をもとにそういうセカンドレイぷ的なことを言ってる人を見たことがないです。「この作品はそういう風に使える」というのを声高に主張しているのは、普段からそういうものに強い関心を持っていて、周りを啓蒙しなければと考えている人たちばかりです。
この記事が典型例ですが、非常に意識が高いですね。
あるいはこんな発言も。同様に映画「コンタクト」の例を挙げる人もチラホラいました。
まず映画ルームを見て欲しい。高校生で中年男に誘拐され監禁され強姦され出産した女性が数年後助かった、家族の元へ帰る事が出来た。けれど助かって終わりではない、その後の彼女と家族の苦悩も描いた映画だ。二次元を楽しむ前に現実の犯罪・被害者の痛みを知れ。話はそれからだ。 #幸色のワンルーム
— しずの (@onsoku_punch) 2018年5月31日
ぜんぜん違う作品だと思いますけどね。こんな雑な認識で作品を観てるのかと。
んで、こういう人たちは、自分たちは物事をよくわかっていて、他の奴らはわかってないのだ、という立場で、めっちゃ上から啓蒙しようとします。そして、それに対して同じように意識が高い人が反応します。 んで、ネットはこういうわかりやすい反応が可視化される一方、興味ない人の声は見えませんから、全体としてみんながそう思ってるような空気を作ることができたりします。
ですが、一番影響を受けているのは彼ら彼女らであって、実際は周りの人は、こういう人たちが危惧しているほど影響は受けなかったりします。
作品には失礼とは思いつつ繰り返しいいますが、この作品は対して面白くないし、力強いメッセージもありません。この作品をもとに「被害者はやっぱり好きで誘拐されたんだ」ということを言ってる人がいたら、その人をフルボッコにしたらいいと思います。「黙ってこの作品を参考にして犯罪を起こすやつがいたらどうするんだ」と言われても、こんな作品を根拠にして犯罪起こすようなやつは、別にこの作品がなくても犯罪起こすでしょとは思う。そのくらい、力のない作品です。もしドラマが名脚本家や名俳優女優の力によって、観た人に影響を与えうるような作品に変わるのであれば、それはそれで観てみたいですが、まぁ無理だと思います。
なので、私は「この作品に関しては」そっち方向では全然心配してません。
まぁ原作は完結したら一応読むと思います。
幸色のワンルームの誘拐って、多分「異世界」の神様に拉致(無理やり転生)される類のアレだと思う
前の記事では、この作品は「食人鬼さん」みたいな、リアリティ度外視して都合のいい空想でできたお話だと書きました。今度アニメ化される「殺戮の天使」も原作コミック読みましたが、何が面白いのか全然わからないですがこういうのが好きな人は好きなんでしょう。
要するに、この作品の主人公の女の子(あるいは作者)にとって、誘拐されるってのは、異世界に転生するみたいな話なんですね。そのくらいふわふわしてるものであり、社会的な影響とかとくに考えてないわけです。
だから作品中でも「何が問題なの? 私実家で虐待されてるよりは今のほうが幸せだし放って置いてほしい」って考えてる。極めて幼稚だけど小学生の上虐待受けてたんだから無理はないと思う。
実際、異世界転生ものって「外なる神」による人権を無視した誘拐であったり業務上過失致死であるケースが度々ありますが、問題にならないよね。異世界転生礼賛してるけど、だからといって異世界にいけると考えて実行するやつはまずいない。アレの亜種くらいに思ったほうがいいと思います。
個人的には「Gunslinger Girlに近い」って言われてなるほどな、と。そうかもね。
荒唐無稽なお話だとは思います。『Gunslinger girl』とかに近いかな。 https://t.co/EA2rAbHL7F
— 海燕@なろう作家なう (@kaien) 2018年6月5日