数記事前に書いた記事について、アホらしいので個別に対する言及は控えるものの書いてもないことに絡んでくるブックマークコメントをする人が何人かいたので一応補足しておきます。
私は普段は、読み手が書き手の考えていたことと違った解釈をしたとしても、その半分くらいは書き手にも責任があると思っています。特に事実関係で間違いがあったりしてそれを指摘されたら、たいていの場合はちゃんと直してます。しかし、今回の件に関して言えば「私の記事を読んでそういう風に感じたのであれば、それはあなた達が変なこだわりを持っていて素直に文章が読めないからだ」とお答えするしかありません。
感想で「気に入らない」「自分は同意しない」というのはいくらでも書いてもらってもいいです。そういうものには反論とかしません。でも、気に入らないあまり書いてないことを書いたと言われるのはこれは大変気分が悪いです。
前の記事のおさらい
まず最初に。
私は前の記事で「愛国」に類似する概念が日本に全くなかったとは言ってないし、そもそも輸入概念だからダメとはひとことも言ってない。①少なくとも「愛国」という言葉それ自体はなかったということ、②明治時代以降の「愛国」の概念は、こういう経緯で作り上げられてきて、こういう意味を持っているものである、③だから最近人気の「素朴な愛国感情論の何が悪い」論はあまり妥当ではない、ということを指摘しました。
私にとっての「愛国」は「風雲児たち」に出てくる登場人物のようなもの
次に。
そもそも私は、明治までの日本人に「国」を愛する気持ちが無かったとは全く思ってません。私は「風雲児たち」というマンガが大好きなのですが、この作品に登場する人たちはその言葉こそなかったものの、間違いなく「国というものを理解し、国を愛した」人たちと言えます。
当時「国」という概念を理解するのも当時の日本人には相当難しかったはずです。ヨーロッパでも、ナショナリズムの概念が出てきたの自体が英仏百年戦争の頃だっていうのは「百年戦争」についての記事で何回か紹介してます。
外敵の脅威が弱く、どちらかというと藩ごとに帰属意識が明確に分かれていた。徳川幕府にしたところで「最強の藩」でしかなかった。私が前の記事で言っていった「国」というものをちゃんと把握し認識しそれを愛することはとてもむずかしいというのはこういうものをベースとして考えています。
この作品に登場する人物たち(林子平や高野長英など。幕府側にもたくさん該当者がいます)が、
①藩で区切られた江戸幕府という秩序の中に居ながらにして
②藩を越えた、世界の中における「日本国」というものを認識し
③「日本国」のために行動した
そういう姿に心を打たれます。
風雲児たち (1) (SPコミックス) | ||||
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「西周って知ってますか?」というコメントをしている人がいましたが、もちろん知っていますし、私は彼のような人たちを「愛国」と考えています*1。なので明治以前に、愛国に該当する概念や行動がなかったとは全く思ってません。
ということで、思ってもいないのだから当然書いているはずがないし、書いてないことを書いたと言われても知らんがな、とはっきり言えます。
別に「愛国」の概念が輸入されたものだからといって何が問題なん?
そもそも。
別に「愛国」の概念が誰にでも自然に生じるものではないとか。言葉自体は輸入されたものであるとか。意味が移り変わっていて確定したものではないとか。そういうことを指摘しただけでなんかネガティブに受け止めてる人に聞きたいんだけど。それの何が問題なん? 私はそんなこと全く思ってなかったから「輸入概念であるから愛国はダメだと言っている」とか言ってるはてブの反応は「何いってんだこいつ?」って思いました。
いいじゃないですか輸入された言葉であったとしても。「西洋から輸入された言葉を起源としていて、歴史はそんなに長くないけれどしっかりした概念」なんか他にもありますよね。むしろそういうものを国内で発展させて独自のものを作り上げるのが日本の強みちゃうの?なのに、日本オリジナルのものじゃないとを指摘されただけで「愛国」という概念そのものが否定されたとか価値が下がったと感じたのであれば、もうその考えかたそのものがおかしいんじゃないですかね。
お前の中でその程度で価値が揺らぐようなものなら無理して信じるんじゃねえよ。お前が大事にしてるのは伝統とか、我が国独自とか、そういう内容と関係ない箔がないとダメになるものなんかよ。違うだろ。
普段どういう信条を持って生きようがそれが他人に迷惑をかけない範囲であれば別に好きにしてくださって構いません。自分は自分でおかしいと思ったことはおかしいと言うけれど、それについて私はあなたに「これは間違ってるから今すぐやめろ」とかいうつもりもないしそんな資格もありません。しかし、さすがに書いていないことについて難癖をふっかけてくるのはダメです。やめて欲しいです。それは、迷惑です。
もう一回整理
たいていの人が日本が好きという場合、実際に何を参照しているかと言うと自分が住んでいる郷土の文化や気質といったものではないかと考えています。私は人がそういったものを好きであることはとても素朴で良いことだと思います。
でもそれは「愛国」という言葉で表されるものとは違うんじゃないですか?「愛国」という言葉が、起源からすればナショナリズムやパトリオティズムを意味するものであり、日本における意味の変化を見ても、「忠国」や「報国」に近い意味を持っているものであるならば、これらは全く別のものではないですか?
というのが私がいいたかったことです。
ちゃんと私の主張がこういうものである、と理解された上で、それについて反論をされるのであれば歓迎しますが、上の記事についたよくわからないブコメはまずこういう話をちゃんと読み取ってくれたとは到底思えません。挙げ句、書いてもいないのに「輸入概念だからって否定してる」とか意味のわからないことを言う。そもそも「愛国という概念そのもの」を否定なんてしないし、しようと思ってもそんなことはできないって冒頭に書いてるのに。
もう少し言うと、じゃあなんでそもそもこの違いを問題にしたかと言うと、私は「愛国」という言葉を使う人たちがこのあたりを意図的に混同しているのではないかと思っているからです。
ボクらの世代は「愛国心=危険思想」という教育を受けた。日の丸を付けた街宣車は危ない自動車、服に日の丸が付いているのは暴走族の象徴だった。
— はぁとふる売国奴 LINE@はじめました! (@keiichisennsei) 2018年6月15日
でも心のどこかで「自分の国を好きになるのがなぜ悪いことなのか?」という疑問符がくすぶっていた。
軍国主義や侵略戦争と愛国心はセットではないはず。
たとえばこのツイートが代表例だけれど、「愛国心」という言葉について「自分の国を好きになることはなぜ悪いことなのか?」と言う形でふわっとしたイメージで擁護しようとしている。
過労死した人が出た会社の会長が「自分の会社を好きになることがなぜ悪いことなのか?」「過重労働と愛社精神はセットではないはず」というみたいなこを言ったら「そうだそうだ」と賛同するかというと私はしないと思うんですよ。結局「国」っていうスケールになった瞬間、よくイメージができてないんじゃないですか? 愛とかいうさらにふわっとした言葉をくっつくことで「なんとなくいいもの」って思ってるだけで深く考えてないんじゃないですか?
私はそのあたりが納得行かないから、「あなた方、愛国って言葉をどういう意味で理解して使ってるのかちゃんと考えてみたほうがいいのでは?」って書いたわけです。別に答える必要は全く無いけれど、それに答えられないような人がなんで「愛国」の素晴らしさを人に語ろうとしてんのかがわかりません。
「普通」の愛国には興味ありません
私は現時点で「愛国」という概念を肯定も否定もしていません。単に「よくわからない」です。よくわからないものをよくわからないままで崇め奉ってる人たちのことはさらに理解できません。私はネットで「愛国」を口にする人から、そもそも「愛国」というものがどういうものか納得行く説明を聞いたことがなくてよくわからないので敬遠している。それだけです。
多分私は「愛国」という概念は好きな方だと思います。
「風雲児たち」とか「王道の狗」みたいな作品が大好きだし、すごい単純な人間なので実際にこの人は「国を愛していて、国のために頑張っているのだな」って言う人がいたら多分ホイホイついていくと思います。だから、胸を張って自分は愛国だと言えるなら、その形を示してほしいです。とても興味があります。ただのみんなで群れるためのスローガンとして「愛国」という言葉をよく考えずに使ってるだけという「ファッション愛国」には微塵も興味ありません。
*1:逆に言えばちなみに「永遠のゼロ」は愛国だとは思っていません