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「われらひとしくギャルゲヒロイン」 ジャンルのメタ語りは個別事例の理解の濃さが命

おすすめ度★★★(ニッチだけど、合う人にはものすごいお買い得感がある)
「もしギャルゲーのヒロインが突如自分たちがゲーム中のキャラであることを自覚したら……」というお話。気づいてからはしばらくは戸惑うが、なれてきたら他のヒロインとゲームのおかしさについて語るようになるという話。

この作品はWebコミックでかなりの部分が無料で公開されてるので大きめに画像を引用しますが、例えばこんな感じのノリです。
f:id:tyoshiki:20180718020415j:plain
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_KS04000015010000_68/

コレを見て「あるある」と思った人なら楽しめると思います。一冊で15人くらいのヒロインが登場し、テンポよく、おもしろおかしくネタにしていくので、非常にお買い得感がありました。巻末の「単行本化までの道筋」はリアルタイムで参加したかった……。

「なにかのジャンルのメタネタ」は下手な人がやると死ぬほど興ざめだけど、わかってる人がやると面白い

こういうメタな部分を最初に本編でやってるのを自分が最初にみたのは「センチメンタルグラフィティ2」かな。

でも当然ながら、もっと前からいろいろあると思います。一つのジャンルについては、当然プレイヤーや読者の中に文脈が出来てくるから、そういう認識が出来上がったらネタにできるよね。あ、そこの人動ポモとかの話はやめるんだ!

こういうのって本当に、ちゃんとわかってる人が、具体的なネタを踏まえながら語れば、それがわかってる者同士という内輪の中でしか通じないけどすごく面白い。

逆に「ラノベテンプレ」や「小説家になろう作品」みたいな大掴みなジャンルを、大して知らない人がいっちょかみで語ると、死ぬほど雑でつまらないよね。そのあたりの匙加減がとっても難しい。

というわけで、通じる人は限られるニッチなところではあるけど、作者の力量次第ではいろんな味付けができる面白い分野だと思います。

「らきすた」だってあれは自分たちがギャルゲヒロインというわけではないけど、「あるある」ネタをおもしろおかしく語って人気になりました。

以下の作品なんかでもギャルゲヒロインが、自分たちをギャルゲヒロインと自覚した上で振る舞いを決めるシナリオがあります。アプローチはそれぞれ。



(攻略対象外のモブすらも自覚を持っている世界観。そのかわり選ばれなくても死なないし世界もシャットアウトされない)

この「われらひとしくギャルゲヒロイン」はゆるい雰囲気だけど、やはり自覚を持ってしまうと、不自然さを受け入れがたくなってしまうので、主人公から逃げ回るようになります。
一方で「ギャルゲーのヒロインという自覚を獲得していないヒロイン」も登場し、コミュニケーションのズレを楽しむなど、他の作品にないアプローチもある。

他のヒロインが攻略されていって「個別ルート」に入っていく様子を観察して、「このゲーム、クソゲーじゃね?」って感じるシーンとか、自分の個別ルートはどういうシナリオだったのかと興味を持つとかネタが豊富で、引退したとは言えもともとギャルゲー好きだった私としてはいろいろとニヤニヤできる感じでした。

っていうか、南方熊楠推しすぎでめっちゃワロタwww いや、こういうのほんとあるあるw

我らひとしくギャルゲヒロイン (カドカワコミックス・エース)

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蛇足 ほとんどの人はわかりきってるどうでもいい話

当たり前だけど、ギャルゲーとか楽しんでる人たちって、そのあたりのお約束をわかってて楽しんでるんですよね。

また、お約束とかイミテーションであり、非現実な話だから面白くないかっていうと、決してそんなことはない。そういうのをわかった上でも、というか自分たちがわかっているからこそ現実の枷を無視して、現実より面白いものに到達することだってできる。現実以上に感動できるシチュエーションだって描きうる。このあたり「偽物語(ファイヤーシスターズ、特に妹と兄の関係についての方)」やら「恋物語(貝木泥舟が主役のやつ)」でも語られててたことですが、当たり前だよなぁ?

ネットには、「ラノベ好き」とか「小説家になろう」とか、「君の名は」とかが楽しめなかった、作品にのめりこめなかった人が、この作品にはこんなに変なところがある。こんなのを楽しんでるやつはおかしいとか馬鹿だとか言ってマウントしてくることがまれによくあります。ぶっちゃけ、私も時々そういうことをネタで言うことはある。

だけど、それ本気で言ってる人がいるならその人は全然わかってない。「作品の楽しみ方」なんていくらでもあるってことに。 

「感情移入できたり深く没入できる物語がいい物語」って主義の人はそれはそれでいいと思いますよ。実際そういう作品は良い作品だと思いますし。そういう人にとって、ツッコミどころの有る設定は感情移入や没入を妨げるから合わないっていうところまではわかる。でもそこで「自分には合わない」とか「自分は嫌い」ってところを越えて、これを楽しんでるやつは自分よりレベルが下、とかそれを指摘する自分はすごいとか思ってるなら、そういうことを言ってるお前こそが馬鹿だって言ってやりたい。

というか、そんなこと言ったらフィクションなんてものを楽しんでる事自体、そもそもバカげた話だからね。昔は小説そのものが馬鹿にされてたらしいっすよ。

というわけで、別に作品を楽しむために絶対に感情移入する必要なんてない。没入できないどころか、こうやってメタメタ視点から徹底的に距離をとって世界を眺めてても楽しいことはあるわけだ。どんな楽しみ方をしようが人の自由だ。それを制約する権利はない。 っていうか、その人のドヤ顔マウンティングも、その作品の楽しみ方の一つなんだろう。(代償行為かもしれないけど)

でも、流石に、他人の楽しみ方にケチをつけるようなやり方はあんまりしないほうがいい。それをやったら、自分の楽しみを破壊されても文句は言うまいね?ってことになる。

みんな好きなように楽しんだらええんやで?