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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「正しさ」の実現に対価を払う姿勢が感じられない人の言うことは適当に聞き流す程度でいい気はする

なんか書いててスッキリしなかったので、この記事は失敗です。また後で書き直すかもしれません。




「正しい番組」がいつまで経っても来ないわけ

http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%AA%B0%E3%82%82%E6%B6%88%E9%98%B2%E8%BB%8A%E3%82%92%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%21

『とても恐ろしい 集団心理である・・・』

私達にとって正しい番組はまだかー!!理系女子を応援する番組はまだかーー!!!
なぜ来ないー!!! 一体どうなってるんだーー!!!

正しい番組!!遅すぎるぞォォーーーー!!!

早く・・・ キズナアイからを消してくれ・・・わたしの「理想のNHK」が・・・


『なぜなら!!!もうお分かりだろう!!!』
『こういう事を言う人に限って、誰も・・・ そういう番組を観ていないのである!!!』

早く!! 性的消費コンテンツを消してくれーー!! 萌えコンテンツをー!! 誰かーー!!

『誰も!! 金を払って代わりになるコンテンツを支えている人がいないのである!!』

おかしい・・・ これは 何かが おかしいぞ・・・ 「えっ??」

日本の出版社やTV番組は大変に優秀で、金になるならどんなコンテンツでも即座に提供できる。

何かがブームになると判断したら、それを大々的にとりあげるまで半年もかからない。

「え?? そんなに早く?」

うむ。 リケジョを応援するコンテンツが本当に求められてると思ったら、1週間以内には特集が観測気球として紹介される。

そしてその観測気球から1ヶ月以内には紀伊国屋書店で関連書籍がデカデカと並べられるのだ。

TVも出版社も、ニーズを逃さないように、本当に虎視眈々と狙っているのだ!!

なのに、いまだにその兆しすら聞こえないとは・・・これは、絶対におかしい・・・。

何かが、あったに・・・ 違いない・・・

「一体 何が・・・」
『そう、もうお分かりだろう・・・』

『誰も!!そういう番組を探したりなどしていないのである!!!』

今回の件、金田さんの言ってることは筋としてはわからなくはないが、全く心に響かなかった

とはいえ、本当にそういう番組が望ましいとか、そういう番組をもとむというのであれば、なんでそういう番組を全く調べたりチェクしたりしてないのか。

あげく、他の人から情報を求めるというのは、泥縄にも程がありすぎると思う。 

やはり批判のための批判であって、本心としてはこういう問題にたいして興味などないと感じてしまう。

筋は間違って無くても、説得力がないと感じる。 普段の問題意識の表れでなく、この問題についてそれっぽい答えを考えただけじゃないですか?って感じる。  そういう意見はあんまり興味がない。


これは以前の私も勘違いしてたことなのけど「正しいだけ」の意見って、見向きもされないもんなんですね。




気に入らないものを叩く努力をするより、自分が好きなものを応援したり広めようとしたほうが絶対にいいよ

散々他人に対して批判的なことを書いてきた自分に特大ブーメランであることは承知の上で言うけれど「人のふり見て我が身の過ちに気づく」的な話として言わせてもらうと、なんかこう「自分にとって書店はこうあってほしい」とか「こういう番組がみたい」というのは構わないけれどそれなら、自分が思う良いと思うものの具体例を示すくらいはしてほしい。

自分が良いと思うことを淡々と実践したり、良いと思うものをネットで拡散したり、黙ってそういう存在に投資や応援をしたりしてる人の方が、自分が気に入らないものを叩いてる人よりも絶対に世の中を変える力を持っていると私は思う。

基本的に、素人が思いつくようなテレビ企画は、最低でも何度かは試みられている。
自分が本当にそういうものがほしいと思ったら、自分で探したり調べたりすればいい。

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「何かを批判しつつ、こういうものがアレばいいと思うんですけどね」みたいなことを言えば多分だいたいはあるのだ。そして、そういう発言をした自分が恥を晒すだけになると思う。


「自分たちが望んでいるものが少ない」状況を変えたければ、「望んでないもの」を攻撃するより「今あるもの」や「今やろうとしてる人」を応援するほうが絶対に良い

金田さんの発言で何がくっそ気に入らないかと言うとこのあたり。

もし男女で解説する‐されるという役割関係の番組が同じぐらいあるのであれば主張を撤回します。

もしいま「男女で解説する‐されるという役割関係の番組」が少ないとして、
それが即、男女差別の変えがたく、積極的に制度で対応スべき社会的構造問題になるかというと、私は同意しない。

冒頭のパロディで書いたように観たい人がどのくらいいるかも調べずにそういうことを言うのは感心しない。

「そういうものを望んでいる人が実際に多いのに、それでもそういう番組が作られない」というのであればそれは深刻な社会構造上の問題といえる。しかし、本当に「そういうものを見たい、見ようとしてる人」はどのくらいいるのか。肝心の金田さんだって「わざわざ調べてみよう」とはしてない。その程度の興味しかないと自分で言ってるではないか。

しかも、フェミニストと関係のない人たちからそういう作品の例がいくつも出てきているという。つまり「ちゃんとある」わけだ。「ある」にもかかわらず、フェミニストの人たちのネットワークではそういう作品は話題に上がってなかったわけだ。

じゃあ、普段その問題にたいして関心ないじゃん。キズナアイを叩くためにさもその問題が重要であるように語っているけど、その問題普段全然関心ないじゃんってなるわけですよ。そもそも無理やりアファーマティブ・アクションみたいな形で、番組の比率なんかを自分の思い通りに変えようとするって発想は狂気じみている。そういうことを言うのはTV局のトップであって、私達視聴者が言うべきことじゃない。


差別との戦い方って「怒りをぶつける」以外にもあると思う

オタクに対して、今現在の評価は置いといて、1990年代は露骨に迫害や差別を受けていたよね(これに対して、オタクは気持ち悪かったからいじめられて当然とかいう人とは会話する気はないです)。 

で、これに対して「オタク差別をやめろ」とか「僕たち私達のお気持ちを察しろ」みたいなやり方しなかったよね。オタクは自分たちがいいと思うものをコツコツと買って、それを広めて、一定の経済規模を形成してきたわけじゃない。 いわゆる腐女子とかBLとかの世界だって、そうやってステルスでちゃんと自分たちの居場所や求めるものに対価を払うことで自分たちの求めるものを確保してきたわけじゃない。

大声で「私達の望むものをよこせ」「私達の気に入らないものは排除しろ」「私達が求めるものの割合が低いから是正しろ」みたいなことは言ってこなかったよね。(印象論ではなく事実としてそういうものがあったというのであれば示していただければ受け入れます)。


世の中の理不尽との戦い方って一つじゃないと思うんですよ。
声を荒げて怒りの声を挙げることももちろんその戦法の一つでしょう。 それが間違いというわけじゃないけど、オタクはオタクの戦い方として「自分が好きなものを、自分が身銭を切って応援する」「世間に馬鹿にされてもめげずにそれを続ける」という、非暴力非服従運動やら、草の根の投資活動みたいなことをやってきたわけじゃないですか。「自分たちが求めるものを手に入れるためには、いろんなものを我慢したり犠牲にして、一点集中的に自分が求めるものに投資することで風穴を開ける」だって立派な方法だと思うわけですよ。

だいいち、オタク向け番組よりはるかに大きい割合で、健康商品とか料理番組とか、旅行とかファッションみたいな話になるのは、女性の人たちがそういうものを好んで消費してるからでしょ。 みんなそうやって自分が望むものや、自分の居場所や安全を得るために、身銭を切ったり時間を費やして戦ってるわけじゃないですか。「オタクはキモイ」とか「腐女子は気持ち悪い」っていうのは勝手だけど、そうやって馬鹿にしてる人たちは、いろんなものを犠牲にしてでも自分たちの居場所を、ちゃんと世間のルールに則って、まっとうな手段で買い取ってきたわけです。 バカにしてるオタクたちがいろんなものを犠牲にしてでもやってる間、馬鹿にしていた人たちは代わりに何をやってたんですかってことです。自分たちと戦い方が違うからと言って、別の戦い方でオタクが勝ち取ってきたものをけなすみたいなやり方も気に入りません。

誰もがひれ伏す絶対的な正しさなんてない→「自らの考える正しさの実現」のためにどういう対価を払えるかという考えに立ちたい

ちなみに、これについては別に「金を払う」だけが絶対とは思いません。「コミュニケーション」で周りの人から理解を得たり仲間を作ったり、「発言力・交渉力を身につける」とか「社会的に高い地位につく」というのだって立派な方法だと思います。 特に昔は女性の人は家庭に閉じ込められていて経済的自立性を持ちにくいとか、給料が男性より低いとかそういう問題もあったでしょうし。 そんな状況で、今は無料でもやり方次第でネットで自分が望むものを拡散したり応援することだって可能です。 色んな方法が模索されるのは良いことだと思います。私はコミュニケーションや宣伝が苦手だから、コミュニケーションという対価を払うよりは、金払って欲しいものを応援するほうが楽だというだけです。

じゃあコミュニケーションの対価って何かと言うと、わかりますよね。

人間関係で自分の望みを叶えるために、いろんな交渉や譲歩、直接的な対価が求められるなんてのはよく知ってるはずなのに、なぜか特定の「正義」に傾倒すると、その「ただしさ」は無条件で、対価もなく受け止められるべきと勘違いしてるとしか思えないような人にたまに出くわします。

「何の対価も払わずに」=「相手の話もろくに聞かず、一方的に自分のただしさを主張するだけで」「むしろ相手にコミュニケーションコストを支払わせるようなやり方で」自分が望むものを手に入れたり、気に入らないものを排除できると思ってるなら、それはちょっと幼稚すぎるというか、それこそ「自分のことをお姫様かなにかと勘違いしてる」としか思えません。 どんだけ自分を価値有る存在だと思ってるんですかねって話です。