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リスクについて語る時に絶対に抜かせない2つの視点


http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20190206/1549392701
に取り上げられているイケダハヤトさんの言葉を読んだ。


イケダハヤトさんの言葉は、わかる人にはあまりにもずさんな詭弁なのだけれど、ここまでひどくはないにせよ、リスクについて似たような考え方の人って結構いるよな気がする。


ということで、リスクについて考える際に絶対に必要な2つの補助線を書いておこうと思う。


ちなみにリスクの話をするのは難しい。
リスクという一つのテーマについて何冊もの本がかかれているし
私もわかってないことのほうが多い。


ただ、どんな場合でも
リスクを話をするときに絶対に抜かせない2つの考え方がある。
これは絶対に理解しておかないといけないことだ。



① リスクの話をするときは絶対にRR(リスク・リターン)比が重要

取るリスク以上にリターンが大きくなければリスクを取る意味はない。

リスクリターンの比率で話をしないやつは何かをごまかしているか、どうしようもない無知のどちらかだ。リスクの話だけする奴も、リターンの話だけする奴も、どちらもインチキなのである。

サンバイオショックを見たときに、そのリスクだけ考えたら愚かにしか見えないが、1月26日までに利確できた人は資産を10倍以上にした人もいる。リスクを考える際に大事なのは「割に合うか合わないか」である。

tyoshiki.hatenadiary.com
リスクをちゃんと把握したうえで、それがコントロールできるなら好きにすればいい。*1


つまり、リスクを取ること単体を取り出して是非を論じる話など何の意味もない。ここに話をすり替えようとする人間は「どちらの場合であっても」信じる価値がない


② リスクはコントロールが容易なものとそうでないものがある

基本的に、すべてのリスクを把握し、管理することはできない。管理できるリスクはそれほど問題ではない。問題は把握・管理できないリスクである。

基本的に自分に近ければ近いほど管理しやすいリスクが多く、自分ではない他人に任せれば任せるほど自分で管理することは難しくなる。この後者のリスクが難しい。起業やフリーランスなどが難しいとされるのは、今まで他人がコントロールしてくれていた多種多様のリスクを、すべて自分でコントロールすることが求められるようになるからだ。

何か新しいことをやる時は、「リスクの大きさ」よりも、この「管理すべき項目の多さやコントロール可能性」こそが問題になるケースが多い。だからこそ古典の頃から「先達はあらまほしきことなり」という言葉があるのである。

自分より先に経験を積み、リスクについて把握し、対処する方法を知っている人がいるかいないかが大事なのである。そういう人は、完ぺきではないものの、リスクというものを具体的に語ることができる。リスクとうまく付き合ってリターンを挙げる方法を説明できる


もし「●●の攻略法を知っている」ということを叫びながらも、リスクについて具体的な話の一つも説明できない人がいたならば、①の時と同じように何もわかっていないか、なにかをごまかしている。やはり「どちらの場合でも」信じる価値がない


この2点を考えたときに、「イケダハヤトを信じて行動するよりは、何もしないほうが、RR比において優秀な選択である」といえる

以上を踏まえたうえで、

に取り上げられているイケダハヤトの言葉をもう一度読んでみよう。

イケダハヤトさんの言葉は「全て」。一つの例外もなく明確に「リスク」と「リターン」の話を意識して切り離して話をしている。「絶対にどちらか片方しか語っていない」ことが分かるだろうか。 無意識にここまで徹底するのは難しいと思うので、おそらくわざとなんだろうなぁ……。



いくつか取り上げてみよう。

・「大学を辞めるなんて大したリスクじゃない」は何と比較してのリスクなのか。そもそも本人は大学を辞めたことがないのにどうやってリスクを把握しているのか。さすがにこの発言にはいいねが少ないようだ。

・「●●と比べたら安いと思います」というのはリスクの話しかしていない。しかし、比較にならないものを比較しても意味がない。イケハヤは「大学の授業」と費用面を比較しているが、リターンの方を無視している。

・「リスクを重要視しすぎるリスク」について指摘しているが、この時比較されるべきは「何も得られないかもしれないのにイケハヤにお金をむしり取られるリスク」である。この二つを並べたらどちらがましだろうか?

・「何もしていない」と批判している相手と比較されるべきは「他人に何の成果も与えられないのに高いお金を取ろうとする行為」である。この二つを比較したらどちらがましだろうか?

私は中身について述べてるけど、一発で感覚がつかめるとても的確なブコメあったから引用しておくとこんな感じ。

今日も詭弁で逃げ回るイケダハヤト、年貢の納め時だと思ったが奴には収める年貢もない - 今日も得る物なしZ

「お前の作るメシはまずいんだよ」という批判に、「人間はメシを食わないと生きていけません! メシを食わなくてもいい、などという言説には要注意です!」と返すようなものだね。あとで使おう。

2019/02/06 12:24

イケダハヤトさんがどのようなごまかしをしているのかはっきりわかるよね。


このように、すべての発言において「話をはぐらかす」「リスクを正しく説明しない」という態度が貫かれている。このように、「徹底してリスクの説明を避ける」人間を信じて何かを行動する行為と「何もしない」行為と、どちらの方がRR比率においてリスクが小さいと考えるだろうか。


「イケダハヤト」という固有名詞を意識するから迷うのだ。「自分たちにウソや欺瞞情報ばかり伝えてくる人を信じる行為」がリスクが低いだろうか?リターンをもたらしてくれるものだろうか? トータルで普通にマイナスになる可能性のほうが高いと思わないだろうか。


イケダハヤトさんはRR比において、マイナスの期待値が高いものをすすめている。「リスクを取らないリスク」とか言いながら。そういう言葉に騙されてしまうのは、このRR比と、リスクのコントロールという観点が欠けているからだ。単にリスクの大小を論じたり、そもそもリスクを取ること自体が良いことだ、みたいな間抜けな言葉を発している時点でイケダハヤトは信用してはいけない、ということをちゃんと感じ取れるようにならなければならない


イケダハヤトの言葉を疑えなかったという人たちが学ぶべきことは言葉というのは「何を語っているかではなく何を語っていないか」や「何と比較しているのか」を意識することが重要だということ、である。



そのうえで、イケダハヤトのほうが正しいと思うなら、もう好きにすればいいと思う。そういう人にかける言葉はない。

*1:イケダハヤトさんの言葉を信じちゃうような人にそれができるとは思えんけど