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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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初対面の人・親しくない人に何かを依頼する時は「細かく」頼んだほうがいいかも

人間関係のトラブルで「曖昧な指示や曖昧な頼み方」が原因だ、ということが非常に多い人がいる。


大前提として、言っちゃなんだけど「指示・依頼の内容が不十分」で相手が実行できなかった場合は原則として指示・依頼した側が悪い。「理想の部下や理想のパートナー」なら一を聞いて十を知る対応もあり得るだろうが、出会ったその瞬間から理想の対応を求めるのは狂気の沙汰である。そういう人がいないとは言わないが普通は、やりとりの積み重ねによって初めて可能になる関係だ。

少なくとも、「詳しく説明しない」ということをあえて選択するのであれば、物事が思い通りにいかなかったときの責任は自分にある、という風に考えておく方が絶対に精神衛生上いい。

というか、そう考えないことで「察してチャン」「くれくれくん」になってる人は、どう理屈付けようがが自分も他人も不幸にするリスクを自ら高めてると思う。

「相手が○○○だから私はこうなんだ」ってのは卑屈な人間にとっては魔法の言葉だ。相手に自分の感情のコントロール権を投げつければ、自分は感情のメンテナンスする義務からまぬがれられる。自分の不機嫌を全部相手のせいにできる。ただ我慢だけしておいて、どこかの段階で爆発させればいいと思ってる。上の記事の女性は「環境のメンテ」はやってるけど、「感情のメンテ」は全くやって無くて、その責任は全部男性にあるって言ってるようなものだ

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2017/06/15/220454

「細かく説明する」というのは心理的ハードルが高く避けてしまいがちだけど、避けることによるリスクが結構深刻なことも

ただ不幸なことに、深く考えてなかったりとか傲慢に「私の言うとおりに対応して当たり前」という態度ではなく「相手に細かく言うのを遠慮した結果」そうなってしまうことが結構ある。

私もこっちのパターンは結構やらかしたことがある。私の場合は自信がなかったり臆病だったりしたせいであまり細かく説明ができなかった。「ここまで細かく言うのは失礼じゃないか」とか「この人はこのあたりまではわかってるんじゃないか」と考えて遠慮してしまう。 

でも、その結果としてトラブルが起きてしまい、余裕がなく、トラブルを何とかしなければと必死になるあまり「(その人から仕事を取り上げて)自分が代わりにやってしまう」ということをやらかしたこともやってしまったり。そこまでいかなくとも、なかなかことが思った通りに進まず、後から細かく指示を出してしまったり。

これをやったせいで、相手からめちゃくちゃ嫌われたこともある。

「嫌がられそうなこと」は後になればなるほどますます「嫌がられ度」が上がる

当たり前だけれど、私がやったことは仕事を受けた側からしたらめっちゃ気分悪いことである。特に「自分ではどうしようもない問題を手助けしてくれる」だったらともかく、「指示されあればちゃんとできたこと」が、微妙な指示のせいでうまくいかず、そのせいでチクチクとダメ出しをされる。あげくやっぱりお前では無理だからと仕事を取り上げられる。

これ、相手からしたら理不尽極まりない。そもそも上から目線に見えるし、「わざと」分かりにくくして主導権を握られているように見えて、心理的安全性がない。 まして仕事を取り上げるのはほとんどのその人の能力の全否定である。自分も同じような目に何度かあってブチ切れそうになり、逆に「あの時自分がやったのはこんなに失礼なことだったのか」と猛烈に反省した。


「細かく説明する」のはどうあがいても嫌がられる行為だし、「運が良ければ」しなくてもうまくいくかもしれないのではあるが、後回しにすればするほど、いざやらないといけないハメに陥った時の嫌がられ度はどんどん高くなっていく。それならまだ相手に話を聞く余裕があるうちにやっておいた方が絶対に良い。どうせ嫌がられるのは避けられないのだから。

……と、理屈は簡単だけれど。さんざん嫌がられまくって「嫌がられるのがデフォルト」として慣れるまではなかなかこれが出来なかったのでしたΩ\ζ°)チーン


「相手の理解度次第だろ」とか「そもそもわからんことがあったら相手から質問すべきだ」って考えもあるけど個人的にはだめだと思う

私も最初はそう考えていたのだけれど「初回」では、相手が分からないことを前提にした方が効率が良いと考えるようになりました。

理解度を確認する暇があったらとりあえず説明して、相手の反応を見るほうが早いし確実。というか、「本当にわかってる人」のほうが、わかってることでも説明をちゃんと聞いてくれたり確認してくれる傾向があると個人的には思う。分かっているからこそ、そこが大事であることも理解してくれているというか。 逆に、分かってない人ほど、「そのあたりはそこまで詳しく説明しなくてもいいよ」という態度を取りがちで、そういう人の態度にひるんで説明を遠慮していたせいで何度痛い目を見たことか。


なので相手がどうあれ、こちらとしては説明すべきことは説明すると考えて準備しておきたい。

・相手にやってもらえると嬉しいこと、は具体的に口に出して伝える。
・そのとおりにしてくれたら、素直に喜びを表現する。
・自分の「愛情、思いやり、気づかいなどの基準」を押し付けない。
・察してもらおうとすることをやめる。

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2016/06/05/033127

説明する相手のことを考えるより前に、「説明するべきこと」をどのくらい自分が理解・整理できているかを意識したい

とにかく大事なのは、相手に甘えないということだ。「依頼する段階で、細かく説明しようと思えばきちんとできる」という状態であるためには、しっかりと理解している必要がある。まず自分がきっちりその状態まで仕上がっているか、を考えるのが先で、相手に合わせるのはその次だ。「相手次第」ということを言う資格があるのは、最低限自分がやるべきことをしっかりできてこそ、くらいに思っておくようにしたいと思う。





最後に。

もちろん、こんなの最初からきちっとできるわけがない。 

相手次第のこともあるから、「自分が分かっていることと、まだわかっていないから確認すべきこと」がある。ただ、それならばなおさらのこと「自分がどこまでわかっているか」をはっきりさせておくことは重要になる。
とにかく「自分がどこまでわかっててわかってないか」をあいまいにしておくと曖昧な部分について触れるのを避けてしまう。適当にわかったふりをしたり、うやむやなまま先送りしてしまう。そういう部分が後でトラブルになりやすい気がする。そのたびにいちいち落ち込んだり、「自分にはどうしようもない」と思っていると心が荒む。なので、最初から「きちっとできないからと言って凹むことではないが、自分がやるべきことなのだ」という認識でありたい。



私はブログであんまり物事を断言しない。もともと書く動機が「どこまで分かっているか確認する」ためであり、「分かっているところとわかっていないところを区別する」だからだ。「自分にわかってないことが多いのが当然」だと思ってる。なので確実に言えそうなところはここまで、と認識したうえで、わからない部分に、わからないという自覚を持ちつつ慎みをもって言及する。そんな感じの語り口調の人が好きだ。

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逆に、専門分野でもないことに断言口調の人は基本的に信用しない。
イケハヤとかは口調の時点で絶対に信用してはいけないとわかる。 でも、なんかそういう人のほうが好きな人多いよね……。


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とにかく「相手に負い目を負わせるような」駆け引きをしかけてくる人間、私が最も嫌いな人種です。