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「バイアス」という言葉についての解釈違い


https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190410/1554822000

読みました。


先の記事で述べた通り、私は総論として楠本まきさんが言ってることには賛成の立場です。 ついでに言うと私は「ファクト大事。できる限りバイアスには気を付けよう」と普段から書いてる側で「バイアスはあるのが当たり前だろ」と開き直る立場ではありません。


そのうえでこのタイトルに関していえばイエスです。難しいと思います。

「バイアス」が一般的に悪いものだという合意すら今のインターネットでは難しいのだろうか

むしろ楠本まきさんのこの部分の表現が「あ、この人危ういな」と思って距離を取りたくなった理由です。


これは「バイアス」に関する解釈違いだと思います。

要するに法華狼さんの言っていることが間違いということではなくて、元記事の表現がガバである=「何がダメ」と言ってるかの範囲を広く解釈できるようになっている点が問題です。「何がダメ」と言って批判するときにその幅が読む人にとって広くなるのは好ましいと思いません。

申し訳ないですが、法華狼さんの記事中でも、前半はよくわかるのですが、あれこれ言い換えて工夫されているうちに記事後半でバイアスの意味がブレてよくわからなくなってしまったため、ブコメの人たちが法華狼さんの定義ではなく「自分の思うバイアス」について語る状態になっているような気がします。


(楠本まきさんではなく)法華狼さんの主張はこんな感じなのでは?

・ある種類の偏見が必要だという意見を全否定しているわけではない。
・作為によるジェンダーバイアスならば自由だという解釈ができる。
・ジェンダーバイアスそのものが不文律として一種の制約をもたらしていると考えれば、ガイドラインは表現の規制を破る道具になるかもしれない。

などの記述があるので法華狼さんの主張を私は以下のように受け取りました。


①良くないと言っているのは「知識がなかったり意識が及んでいない不作為によるジェンダーバイアス」の部分だ

②(特に若い作家さんや編集さんが)「知らずに」「深く考えずに」良くないバイアスを描いてしまうことだ。

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③「不作為のバイアス」に一度待ったをかけて、それが本当に作品に必要かどうかを考えてもらうために「こういうことを考えてみて」というガイドラインを作るのは良いのではないか

④ただし、煙草の話のくだりがあるように、そのガイドラインは「機械的」なものであってはならず「作者がその作品に必要だと思う描写」を妨げるものであってはならない


⑤こうしたガイドラインは「表現の規制」として機能するものではない。むしろ逆であり、以下のようなメリットがある

・<読者にとっての質の向上>
こうしたガイドライン(話し合いのプロセス)を挟むことで、意識の及んでいない不用意な描写についても意識が及ぶようになり、読者にとっての作品の質も向上する。
・<編集の当事者性や作者の安全を担保>
またある種の表現が問題になった時に「必要な描写」であると説明でき、出版社や編集もそれに合意した上で発表する形になる。つまり出版社や編集者も当事者としての責任を負い、作者を守ることが出来るようになるのではないか。 *1

私はこういう風な話であれば聞く耳を持つ人もいるのではないかと思うのです。



※「違う、そうじゃない」という部分があればご指摘ください→法華狼さん

念のため、喫煙描写を禁じる編集部のルールと争って負けた体験を語りながら提案していることから、このガイドラインは一種の皮肉と読むべきだと思う。

法華狼さんが書かれているこの部分は、ガイドラインあったほうがいいよね自体(③~⑤部分)を否定しているのか、④の部分を強調しているのかはちょっと私も自信がありません。



でも、楠本まきさんの語りに対してここまで読み取るのはちょっと厳しいと思う

特に①が重要ですね。「何を問題としているのか」がきっちり具体的に受け取られたかどうかはかなり重要だと思います。私はそれができてなかったと考えています。




私は上の①~⑤のような解釈をしていることからわかるように「こういう風な主張だったんじゃないかな?」という可能性を考慮しています。しかし、この可能性を考慮しても楠本まきさんのインタビューはこういう意図を伝えることには失敗していると思うのです。

それが先ほどの記事です。


「仲よくできました村」さんからいただいたはてなブックマークコメントなどを読むに、楠本まきさんは、ガチな人のようなので、「作者の人、そこまで考えてないと思うよ」は当てはまらないのでしょう。

つまり楠本まきさんに関して法華狼さんの主張や解釈もわかる。とはいえ、それを伝えるにおいて、あのインタビュー記事は、はたして適切だったのかというと私はNOと言わざるを得ません。

少し前にあった「彼女は頭が悪いから」トークイベント@東大と同じような問題が今回の件でもあったんじゃないかなと私は思いました。


ちょっとチェック厳しくない?って言われるかもしれませんね。

でも、楠本さんの主張は「(ジェンダーに限らず)不作為なバイアス表現は良くない」なわけじゃないですか。その主張の割には楠本さんは自分のバイアスに関しては無頓着に発言しすぎると思うんですよ。彼女の「サンデーについての感想」とか「少女漫画の売れ行きに関する感想」とか、ものすごい雑なバイアスを平気で垂れ流してるじゃないですか。全体的にどこまでが本気で、どこまでがギャグなのかわかりにくいです。なんかガチっぽい気もする。

なので法華狼さんからガイドラインの部分が彼女の「皮肉」と言われても「そう受け取ることは可能」ですが、本当に皮肉なのか?ってところに確信が持てません。松本人志さんみたいに「いや、ガチで言ってる」ってことにもなりかねません。そういうのは扱いに困ります。

彼女の発言をそのまま載せたいなら、ハフポストさんはもうちょっと彼女のポリシーに沿って仕事をするべきだったと思います。記事の全体を見るに、好意的な解釈が出来なくもないけど、私は主張の説得力を大いに損なっていると感じざるを得ませんでした。

*1:現状で出版社は「二度目の人生を異世界で」などの作品をほとんど素通しで出版した上、抗議の声の圧力に対して立場の弱い作者をあっさり切り捨ててしまう、といった「当事者性の欠いた態度」「やったもん勝ち」という態度がたびたび見受けられるが、「作者の保護」のためにも一定の制限を設ける代わりに、作者の安易な切り捨てを許さないような仕組み必要であろう、ということだと思います