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マスターキートン6巻「偽りの三色旗」|「あなたの新聞だけは、あの子の生前の、一番美しい写真を載せてくれた」

大津・園児死亡事故でのマスコミ批判。佐々木俊尚さんは「報道側も世間に晒される時代になったと認識を」 | ハフポスト

この話だけ読みたい人は「6巻」です。(文庫本は何巻かわからない……)


「偽りの三色旗」は無実の罪で殺された元IRA女性の名誉を回復する話

まず一人の女性が殺害されたことから物語が始まります。

IRAの女性闘士、路上で射殺さる!サセックス警察は、十八日午後一時、ブライトンでIRAのメンバー「ジェニファー・オコーナー」を射殺したと発表。

オコーナーは近隣の飛行場および軍施設のテロ活動を進行中と思われ、特殊な起爆装置を携行していたらしい。警察はSAS爆発処理班の協力を要請。爆発物を捜査中である。

オコーナーはベルファスト在住のピアノ教師で、爆弾の専門家でもあった。76年、逮捕投獄の後は、有名なアーマー女性刑務所の「汚物を捨てない闘争」やハンガーストライキのメンバーでもあった

先ごろ十年の服役終えて出所したばかりだったが、再び闘争を再開したらしい。

オコーナーのモデルはドロース・プライス?

残念ながら、日本語でこの「汚物を捨てない闘争」の記事がほとんどなかった。概要はこの漫画の「偽りのユニオン・ジャック」にて描写されているが、それ以上の情報が検索しても出てこない。

詳しくは書籍を読むしかないようだ。めいろまさんとかにぜひ解説していただきたい。

IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム

IRA(アイルランド共和国軍)―アイルランドのナショナリズム

アーマー刑務所での強制給仕は以下のように過酷なものであり、ハンガーストライキでは餓死者まで出たらしい。

matome.naver.jp
http://www.ipc.tohoku-gakuin.ac.jp/~euroorc/data/lecture_081025/matumoto_081025_summary.pdf

サッチャー政権は、対IRA強硬策~一連の反革命弾圧を開始した。サッチャーは、IRAの[政治犯待遇(―戦時下の捕虜としての獄中処遇)を撤廃した。IRAは、この処置が「捕虜の待遇に関するジュネーブ条約」での「組織的抵抗団体」の認知にかかわる問題であり、英帝と戦争している交戦団体として英帝に認めさせるのか否かにかかわる原則問題であるがゆえに、不屈の獄闘-決死的ハンスト闘争で政治犯待遇を要求する。それまでIRAは、獄中においても軍隊としての指揮関係を認められ、各棟ごとにIRA将校が指揮をとり、掃除、洗濯、食事などの日常的獄中活動にとどまらず政治軍事教育をも組織しており、懲罰的な獄中作業をする必要もなく、獄衣を着用する必要もなかった。これが否定されたのである。

IRAは、獄衣着用拒否=毛布着用闘争、汚物を捨てない闘争で闘いぬく。さらに80年10月からは決死のハンスト闘争に突入、次つぎとハンスト死者を出しながら翌年の10月まで驚異的な獄中闘争が、ヨーロッパでいちばん寒い刑務所といわれる北アイルランドの刑務所で闘いぬかれた。84年10月のサッチャー爆殺未遂戦闘は、こうした血みどろの闘いのなかから生み出された

http://zengakuren.info/temporary_use/solidarity_with_Ireland.html

IRA暫定派の囚人は1977年に政治犯としての権利を剥奪され、組織犯罪の従事者として扱われていた。これに対して500名以上の囚人が衣服の洗浄を拒否するブランケット・プロテストをおこない始めた。この抗議の延長として1981年には受刑者によるハンガー・ストライキが行われ、7名のIRAメンバーと3名のINLAメンバーが衰弱の末餓死した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/IRA%E6%9A%AB%E5%AE%9A%E6%B4%BE

男の刑務官が4人がかりになってきて、身体をシーツで椅子にくくりつけられます。抵抗することができないようにです。口を閉じていようと歯を食いしばっていますが、金属のバネのついた道具をあごの周りにつけて口をこじ開けるわけです。それから真ん中に穴の開いた木の板を口にはめ込まれます。その穴に太いゴムチューブが通され、頭を後ろにのけぞらせられます。身動きは取れません。………そうして、ミキサーに食べ物を、何でもかんでも放り込みます。オレンジジュースやらスープやら、あるいは高カロリーを摂取させねばというときは生クリームを流し込む。こうしてミキサーにかけたものを容器に入れて持ってきて、ゴムチューブの先につけた漏斗に流し込みます。強制給餌は15分ほどですが、永遠に続くような気がします。自分でコントロールできることは何もない。食べ物が気道に入っても、しゃべることも動くことすらもできないので知らせることができません。窒息死するという恐怖が常に付きまといます

ドロースやその同士たちは200日におよぶハンストと強制給餌で死に瀕していた。燃えたぎる怒りを雨が鎮めていた

新聞社は「敵」であるジェニファーの無残な死体をこぞって紙面に取り上げようとするが、Daily Sunの編集デスクだけは拒否する

「キャップ。俺たちはラッキーですよ。同じジェニファーの死体写真でも、こっちは穴だらけの無残な奴です。たまたま現場にいたアマチュアカメラマンが撮ったんです。」

「ハリー、お前は何年記者やってる?お前はバカか!こんな無残な写真を大衆が見たがると思うのか!?お前は、新聞記者のモラルってもんが……」

(中略)
「お前は、ああいう写真を載せ、IRAを怒らせ、また無差別テロを起こさせるつもりか!?」

記事には一番美しい顔写真を載せろ!いいな!

この編集デスクだけは、十年間ベルファストに駐在していたこともあり
IRAを一方的な敵とみなすのではなく、英国とIRAの戦争を何とかしたいと思っていた。


上司に売り上げ部数でなじられても方針は変えない。

「ヒューズ!これはどういうことだ!他紙は、例のIRAの女テロリストの死体を載せてるっていうのに!お前、持ち込みのすごい死体写真を断ったんだって?おかげでデイリーモーニングにかっさらわれちまったじゃないか!デイリーモーニングの今日の売り上げは十倍は行くって話だぞ!」

「あ、それはどうもすいませんね」

「ヒューズ、いい加減にしろ!うちはガーディアンみたいな格式ある一流紙じゃないんだぞ!スキャンダルだよ、スキャンダル!」

彼はただ写真を載せなかっただけでなく、彼女の名誉を守ろうとして、事件について自分の足で調べようとする。

私は二十年以上も新聞記者をやっている。だから悪い人間と良い人間、人を殺せる人間と殺せない人間。そういった人間の顔は見分けがつく。

ジェニファーをビデオで見たとき、私は、彼女がもはや闘士ではなく、平和を望んでいる人間だと確信した。

俺はこう思う。ジェニファーは、ブライトンに休暇でやってきた。そこで、彼女の顔を知っているSASの隊員に、理由もなく殺されたんだ。SASとIRAの、ただの私怨から……

彼は、北アイルランドの子供たちが、60年代にどういう思いをさせられたか。彼女たちが逮捕されたときにどういう仕打ちを受けたのかをよく知っていた。

その上で、それだけのむごい仕打ちを受けたジェニファーが、それでも闘争をやめたのではないか。そこに平和へのヒントがあるのではないかと考えた。英国とIRAの人たちの間の対立における平和への道のりが知りたかったのだ。そして、それを伝えたかった。

ジェニファーは、アーマー女性刑務所でこの闘争に参加した。彼女らは、狭い汚い独房で、体も洗わせられず、排せつ物もそのままに放置されていた。これが英国政府の仕打ちだった。考えても見てくれ。若い女の子がそんな目に……地獄の苦しみだよ。それでも待遇を改善しない英国政府に対して、あの悲劇のハンストが始まったんだ。IRA服役囚のハンガーストライキは、多くの犠牲者を生んだ。サンズ、マクドナルド、ハーソン、デブリん……次々と死んでいった。

でも……。でも、彼女は復讐を捨てた……今でも俺は、そう思うんだ。

そして、いろいろな顛末を経て、彼女の無実を証明する。

この話の大事なところは、ヒューズが単に彼女のむごたらしい死体を載せなかったことだけでく、彼女をIRAという十把一絡げにせず彼女自身を見て、彼女を信じようとしたことだ。新聞記者でなくとも、ここまで一つの事件、一人の被害者に思い入れしてくれる人がどれほどいるだろうか。



そこまでやったからこそ、彼女の母親は「Daily Sun」だけ独占インタビューに応じてくれる。

これによって独占スクープとなり、圧倒的な売り上げを獲得することに成功する。真摯に報道を行ったものがすべてを得るという、ドラマとしてもものすごく完成度が高いお話になっています。



この話はとても素晴らしい話なのだが、同時に日本の横並び体質だと、今後も大津市の事故に対して各社が横並びでああいう映像を流したり、被害者家族に凸するという残酷な行為をすることは止められないだろうな、という絶望もある。

マスコミは、単にむごい映像を載せることを自粛するだけだと、視聴率をよそにもっていかれるのだ。悪いのはそういう映像を拒否しない視聴者側だ。そういう映像を流す番組のチャンネルを切らない人が悪い。そこでマスコミを批判しても無駄だ。彼らは視聴率さえあればなんでもやるのだ。明確に視聴者がそういうものを嫌悪しているとならない限り、上層部は今日も「家族をむごたらしく苦しめろ」という指示を出すだろう。

私たちがニュースに何を求めるかが大事なのだと思う。




アイルランドの公民権運動の弾圧(インターンメント)がIRAを産み出した。

しかし、読み返すとこの話は完全にIRA側に寄った描写をしているね……。
元々キートンはイギリスのSAS出身者なのでイギリスネタは多いのだけれどこの回はかなり特殊だと思う。

1960年代半ばころ、北アイルランドではカトリック教徒たちの公民権運動が盛んだった。
彼らは職業の差別、住宅の差別、あらゆる差別に反対しデモを行った。

しかしそれは支配階級であるプロテスタントの怒りを買った。
あくまでも平和的に行進を続けようとするカトリック教徒たちに、プロテスタント過激派たちは執拗な攻撃を加えた。そしてプロテスタントを鎮圧するために出動したはずのアルスター警察もまた、これら暴力を黙認。こん棒でカトリックたちを攻撃するという暴挙に出た。


アイルランドは内戦状態に陥り、一時は国連軍の出動も検討された。しかし、英国政府はこれも拒否し、変わって英軍を派遣した。英兵はアルスター警察を撤退させ、プロテスタントを鎮圧し、カトリックたちに拍手で迎えられた。何百人もの犠牲者が出たが、これで平和が来ると彼らは思っていたんだよ。


ところが、大きな間違いだった。
夜家族連れで街を歩いているだけで連行される。武器を隠していないかと突然家庭に踏み込まれる。やがては対テロ専門部隊、SASまでが乗り込んでくるにいたって、北アイルランドの人々はようやく気付いた。自分たちが支配されていることに。


今のIRAの活動家たちは、たいていがその時多感な少年時代を送った連中さ。子供心にSASの支配がどう映ったか…きっと、ベトナムに来たアメリカ軍やチェコに侵入したソ連軍と同じに見えたんだろうな。彼らにとって救いはIRAしかなかった。 敵は英軍、特にSASだ!北アイルランドに自治はない……三色国旗は偽りの自由だ

ja.wikipedia.org

1971年に導入された治安当局による一斉拘留(インターンメント)や1972年1月30日にデリー(ロンドンデリー)で発生した「血の日曜日事件」など、「イギリスによるアイルランドへの暴力的抑圧」を背景に人員と規模を拡大させ、プロテスタント系武装組織や北アイルランドに駐留する英軍や北アイルランド警察(警察のほとんどがプロテスタントであった)にゲリラ攻撃を加えた。