頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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私が初心者の時には「KKG」や「まなめはうす」という神様がいたよね、という話

あの時「神」はネットにいた。

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。


これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ね した。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。

「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていたのだ」

http://hel4y.hatenablog.jp/entry/2015/01/13/073000

先の記事の要約

先日「最近ブログ始めたばかりの人にとって、読んでもらうためのハードルが高すぎる」という記事を書きました。

この記事では「そのせいで、はてブ互助会・書き手のことを考えない無差別はてなスターテロ・機械的なはてブといった行為に手を染めてしまう人が後を絶たない」「挙句、最近は初心者を狙ったインフルエンサー(笑)による悪質なサロン事業に囲い込まれてしまう人まで出ている」のではないかという考えを書きました。

現在は、2年ほど前に書いた互助会の邪悪な側面がより悪質なものによって実践されている感じですね。もちろんオンラインサロンそのものは悪いものではないですが、いくつかの悪質なオンラインサロンは、まさにこの記事で取り上げた悪徳ギルド「ハーメルン」と同じ構造であるように見えます。オンラインサロンに入ろう、と考えてしまったことがある人には、ログ・ホライゾンの一巻だけは絶対に読んでおいて欲しいなと思います。

では、私が初心者だったときはどんなものがあったのか

他人がどうなろうが知ったことじゃないといえばその通りなんだけど、どうしても「自分の時は運がよかったよな」とか「タイミングが違ってたら自分も同じ目にあってた可能性あるよな」と感じてしまう。「自業自得」と割り切る気持ちになれないです。

私たちの時には「KKG」や「まなめはうす」があったよね

そもそも自分の時ってどうだったかな?って思い返そうとしてみたんですが、ちょうどfujiponさんが過去の話をしてくれていてとても参考になります。

僕は『はてな』の斜陽ブロガーとして細々とやっているわけですが、20年前、個人サイトをはじめてからしばらくは、本当に人が来ず、1日10人も来た!と嬉々としてログをみてみたら、そのうちの5アクセスは自分、というような日ばかりでした。

それでも、『日記才人』とか『テキスト庵』に参加して、たまに誰かに採りあげてもらったりしているうちに、少しずつたくさんの人に読んでもらえるようになったんですよね。KKG(『かとゆー家断絶』『かーずSP』『ゴルゴ31』)にもかなりお世話になりました。『エンピツ』でやっていたサイトが、これらのニュースサイトで紹介されたときには、1秒ごとにカウンターが何百とか増えていくのに感動したものです。

http://fujipon.hatenablog.com/entry/2019/06/17/170000

最初の頃は僕も誰かに読んでほしくて、人気テキストサイトの掲示板に感想を書くという名目で、自分のサイトのURLを貼り付けて、少しでも人が来ないかな、とか試行錯誤していたんですけどね。「リンク集」とか作って有名サイトにさりげなくアピールしてみたり、わざとらしく「文中リンク」してみたり。

ああそうだ。なぜかわからないけどすっかり忘れていた。
自分の時にはKKGやまなめはうすがあったんだ……。





FC2blogでやってる無名ブログさえ拾い上げてくれる存在がいた

私ははてな自体はその前から見ていましたが、ちゃんとはてなダイアリーを始めたのは「ルパン記事炎上事件」(2012年3月10日。現在は削除済)以降の新参です。

その前から「適応係数17」というブログで今よりずっと自意識ライジングした青二才丸出しの記事を書いてました。(今見たら1119記事もあり、何作品かサルベージする価値があるやつも残ってそうなんですが、もはやパスワードもわからないので復旧不可能です……)


FC2blogは今のはてなブログよりよほど見つけてもらうのが難しいサービスでした。SEOも弱いし固定読者登録の仕組みも弱い。普通だったら誰にも見つけてもらえなかったはずです。



でも、当時はそういうチリみたいな存在が書いたものを拾い上げて紹介してくれる人がいたんですよね。それがKKGや変人窟さんなどのニュースサイト。

特に私のブログは主にエロゲー感想ブログでしたからゴルゴさんはマンガメインなのでこの時の私はあまり縁がなかった記憶がありますが、「カトゆー家断絶」がよく拾ってくれました。当時カトゆーさんが拾ってくれると単体で800人くらい見に来てくれて、そこからの派生でさらに伸びるんですよね。めちゃくちゃありがたかったです。

かーずSPさんはジャンル問わずオールマイティーで今でもたまーに言及してもらえるときありますが一回だけいい場所でピックアップしてもらった時があってその時は1000人以上読みに来てくれたこともありました。(実は一昨日の記事もピックアップしてくれてた。嬉しい!)


この時のうれしさって単に「はてブ100ついた」とか、「今月は○○PVになりました」っていう数字的なものよりずっと上だったと思います。「たくさんの記事を読んでるこの人が自分の記事はほかの人に紹介する価値があるって認めてくれた」って勝手に解釈して舞い上がってた。


向こうからしたら毎日大量に紹介しているうちの一つに過ぎないのですがそれでも根拠なく「文章書き」としてスタートラインを切れたような気持になったものです。


リアクションも、空虚な互助会ブコメではなく真剣なコメントやトラックバックだった

こうやってたまにKKGやまなめはうす(後述)にピックアップしてもらうことで見に来た人たちは、本当にその話題に興味があって、記事書いてる自分より詳しい人が多かった。

そうすると、自分が書いたことに対してプラスアルファの情報や、意見を書いてくれる。

この「書いたことに対して真剣なフィードバックが返ってくる」ってのが本当にうれしかった。リアルではちょっと小銭払った程度では得られない経験だと思ってます。私なんかその時はリアルには全く居場所なかったし、オタク趣味のことを話す相手もいなかったから、自分が好きなものに対して自分と同じかそれ以上に関心を持ってる人がいるっていうのは本当にうれしかった。多くの人はmixiで「それ」を味わったのかもしれないけれど、そっちが上手くいかなかった私は、ブログで初めて「それ」を経験できたのだと思います。



普段は日100PV前後しかないブログが、アフィなんかも特にやらずに、それでも楽しくブログを続けられたのはこういう「自分が書いてることを誰かが見つけてくれた」「自分が書いたことがきちんと届いた」「自分にも仲間いるじゃんと思えた」っていう感動があったからだと思います。

※これ大げさだと思ってるかもしれないけど、私は君らが思ってる以上にガチでコミュ障だしぼっちだからな?


自分を売り込むために頑張らなくても、自分が好きなことを真剣に書いてるだけで、たまに見に来てもらえるという安心感。インフラみたいなものでしょうか。



本当にありがたかった。


追記:当時の様子をより正確にまとめてくださっている方がいたので紹介しておきますー。
mubouan.hatenablog.com
確かにこんな感じだった。 でも私ももう専門ニュースサイトのことは覚えてないですわ……。





例によってこのあたりで力尽きたので後は箇条書き。

「有名なブロガー」と無名ブロガーの垣根も低く、自分でも一つのテーマについて参加する資格があると感じられた

・話題になった記事のトラックバックをたどって、一つのテーマに対していろんな意見があり、そしてそれでよいのだということを学べた

・月間100万PVのdankogaiさんが月間PV100の私に言及してもオーバーキルとか言われない。フォロワーの数とかPVじゃなく言ってる内容で勝負できてた(もちろん内容で負けたけど)

・サバイブSNSオフ会@dankogai卓って今では絶対無理だろうなー。

・「sirouto2」さんらによるテーマ別の議論アーカイブ存在こそが、ネット議論におけるバベルの塔だった。あれがいかに重要だったか。今は1年か2年おきに同じテーマを最初から繰り返す。そのうちFGO第四章みたいに10日で輪廻を繰り返すかもね
https://sirouto2.hatenadiary.org/


・togetterではなく「テーマごとの記事リンクまとめ」が必要とされないネットでは知識のすり合わせが不可能になった。twitterの特性がとかネットは議論に向いてないとかいろいろ言われるけど、必要なのはアーカイブでありファシリテーターであり参加者の意識であり、参加意思のない冷やかしを排除する仕組みだと思う。一部の取り組みはhagexさんやまなめさんが部分的に引き継がれているけど、hagexさんは亡くなり、まなめさんもお忙しくなってしまったからもうこの文化は厳しいだろうな……。


「まなめブログ」がはてなの存在を私に教えてくれた

・「KKG」さんだけだったら神様が時々頑張ってる私にご褒美をくれる、くらいの感覚だったんだけど、まなめさんのおかげではてなっていう面白い記事がたくさん読めるところがあるっていうのを知ることができた。

・というか、今見たらFC2blog時代の私の記事にも結構はてなブックマークついてるな。。。当時知ってたら心折れてたかもしれない。
『(このブログは終了しました) - FC2 BLOG パスワード認証』 の人気エントリー - はてなブックマーク

・レベルの高い人ばかりで遠めに見ている憧れの存在だった。

結局、この当時は「読む人=書く人」である率が高かったんだろうな……

・「はてなアイドル」は有村さんやハックルさんなどに限定されていて、このころにインフルエンサーとか言い出したら思いあがってるとして総叩きだったと思う。

・ちきりんさん以降は「書き手」と「読み手」は明確に切り分けられ対等な存在ではなくなっていったと思う。ちきりんさんのあれが過剰に嫌悪されたのはたぶんこの「関係性」についての混乱があったのだと思う。この時までははてブ民は書き手と対等くらいの意識あった気がするね。

・私自身、もはやほとんどのはてなブックマーカーは「書き手」ではないし対等な存在として扱う価値を感じてない。書かなくてもいいからせめてはてなブログ作って自己紹介するくらいの手間はかけてほしい。

自分がFC2ブログをやめてはてなダイアリーに移った時

・2010年頃に一度リアルで人生が詰みかけて心が荒みまくり周りがみんな敵に感じられる寸前までいった。

・ブログではとても書けないので増田を使い始め、この時にはてブを理解した。

・3年くらい大学3年生の設定で増田ずっとやってて20000はてブくらいもらったと思う。最初は呪詛みたいなこと書いてはてブ民と喧嘩してたけど、だんだんデトックスされてきて、途中からはなりたい自分になりきって前向きなこと書くように変わってきた。この時の経験から、ネットって現実を呪うより問題解決思考のほうがいいと思うし、この状態の人間がどんだけ救いようがないゴミだったかわかるからなおさら嫌悪感が強い。たぶんミサンドリストやミソジニストに強烈な嫌悪感を感じ、トーンポリシングに賛成するのはこれが理由。結局は自己嫌悪。

・「要は勇気がないんでしょ?」は一生許さないで語り継いでいきたい(笑)

・いよいよはてなダイアリーをはじめたきっかけについては完全に黒歴史。


そのほかにもいろいろありましたがきりがないしもう完全に本題からそれてるのでカット

・はてなブログオフ会は楽しかった。

・今の私のブログはただのインプット記録帳。

自分はもう「見つけてもらう」側じゃなくて「見つけて育てていく」側にならないといけないはずなんだけどね……

あの時は若く、私もいつか、カトゆーさんやsirouto2さんみたいに与えられる人になれると思ってた。

そういう「大人」になれると思ってました。

でも、そうじゃなかった。

私ごときが人を育てるなどおこがましいにもほどがあるし、結局カトゆーさんやかーずSPさん、sirouto2さん、まなめさんや変人窟さんたちが「それができる人」だったのだ。

でも、みんな「なんか新しいブログないかな」って、探さなくなっていませんか?だって、もう時間に余裕もないし、ツイッターでも最近フォロー申請してくる人は商売目的が多いしね。

もしかしたら、時代は、ブログやSNSのひとつ先にあるコミュニケ―ションツールを求めているのかもしれません。一周してきて、「これからは『直会い』だ!」とかさ。

佐々木俊尚の語った「キュレーションの時代」は実現しなかった。でもよくよく考えるとそれは必然だったような気もする。

今この仕組みはなかなか悪くないなと思っているもの

詳細は語らないけど「DLSite」の仕組みってすごく良いと思っているし実ははてなは同じことをやろうと思えばすぐにできる。そう、カラースターである。現在これほどダメな使われ方をしているサービスもなかなかないと思っていて、ここ抜本的に変えるだけでもだいぶ違うと思うんだけどもうはてなスターに関するシステムいじれる人社内にいないのかな?

みたいな話も書こうと思ったけどまた別の記事で。