頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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フェミニズムの魅力と暴力性は表裏一体のものであるというお話

以前にこういう話を書きました

ワンピースの面白さと不愉快さは、かなり近い場所に同居しているから難しい

https://www.tyoshiki.com/entry/2014/12/31/172215

フェミニズムもそういうところあると思います。

フェミニズムの面白さについて語っている記事を読みました


http://leoleonni.hatenablog.com/entry/2019/07/10/172625

記事全体の趣旨には賛同しないけどこの部分はフェミニズムの魅力というものをとてもわかりやすく表現してくれていてとても興味深かったです。

自身の体験に照らせば、フェミニズムにまつわる読書の面白さは、幻想が次々と打ち砕かれていくところにある。

何よりもショッキングだったのは、一夫一妻・夫婦は愛によって結ばれる・浮気は厳禁という考え方は今でこそ一般的だが、歴史を辿ればごく限られた地域と階級の嗜好に過ぎず、せいぜい二世紀しか歴史がないことだ。

他にも、レイプは性欲を制御できずにやるものだとか、自慰はモテない男のやることでセックスの回数とトレードオフだとか…。ページを繰るごとに、今まで当たり前だと思ってきた、というか、意識すらしていなかった前提が崩れていく。根源的だと感じてきたもの、たとえば異性愛や母性のようなものですら、特定の制度を前提にして作動するものだという知見を得る。おもしろい反面、足元が揺らぐおそろしさがある。

そのように歴史やデータを紐解いていくと、制度にとどまらず、日常的な皮膚感覚に至るまでが男性的な権力を反映していて、男性によって記述され、男性にとって都合のいいように作り変えられてきたことが少しずつ分かってくる。

しかし、これは男に悪意があるという話ではないし、男vs女という構図を作りたいわけでもない。社会の居場所として与えられる"女"とは、翻って”男”とは一体なんなのか、立ち止まって考え直してみませんか、と疑問を投げかけるのがフェミニズムである。

フェミニズムの3つの魅力(知的エンタメ・損得・アイデンティティの殻)

ここで書かれているように、フェミニズムの面白さは「人々が確固としたものである信じてきたアイデンティティの基盤を、一つ一つ問い糺し、攪乱する(ひっかきまわす)」という部分にあると思っている。


①知的エンタメとしての魅力(ラディフェミ寄り)
これはある種の性癖の持ち主にとってはとても面白いことである。ミステリやSF、歴史小説などで、自分が信じていたものがひっくり返され、土台ごと揺さぶられるという感覚を味わえる。好奇心が高い人間にとってはたまらなく魅力的であろう。しかも舞台は現実である。現実なのだから当たり前だがフィクションよりも現実味が強い娯楽として楽しめる人もいるだろう。
このタイプの人は論理的思考が得意だろう。ラディフェミは主張こそ過激だがプレイヤーとして話ができないレベルの頭のおかしい人の比率が低いような気がするのは、ラディフェミには抽象的な思考を可能とする知的レベルが必要だからだと思われる。ラディフェミの人はとりあえず話ができる人であるという信頼感が自分の中にはある。


②現実の利害に関する魅力(リベフェミ寄り)
さらに、現実的な利得関係も絡む。特に女性にとってはフェミニズムの主張する内容は自分の利益に直結しやすい物が多い。そういう損得勘定でもフェミニズムに興味を持つ人は多いだろう。社会進出が遅れていた十数年前には並みの投資よりもコミットする価値がある対象だったと思う。このタイプはトイアンナさんや五味さんのようにリベフェミを自称することが多い。
ただ、価値観ではなく利害関係が軸なので価値観によるブレは大きい。ぶっちゃけジェンダー面では保守的な人も結構多い。かつ自己責任論が強くなりがちのため、反オタであったりKKOに冷酷な姿勢を見せるのはむしろラディフェミよりリベフェミを自称する側の人に多い印象がある。

www.tyoshiki.com


③女オタクにとっての魅力
正義というより自尊心に関する問題としても重要だ。よくフェミニストはオタクやネトウヨと衝突するが、これはオタクやネトウヨがそれぞれ自分が触れているコンテンツをアイデンティティの拠り所としているように、フェミニズムそのものを同じように自分の存在証明・キャラ付けとしている人が少なからずいるからである。
栗本薫が「コミュニケーション不全症候群」でオタクに対してコンテンツを、自分自身をむき出しにすることなく他者と接するための「殻」として利用していると評していたが、ネットでフェミを自称し、フェミニストコンテンツをRTしまくってる人もこれと同じである。この手の人にとってはフェミニズムは「殻(アクセサリ)」「消費する対象」にすぎない。もちろんそれが悪いことだとは思わない。
ただ、信じる対象が違うだけでオタクの相似形であり、だからこそよく争う。というか、ぶっちゃけネットで男オタクバッシングをやっている人間は大半が30代後半~40代のオタク女子であるという印象を持っている。最初は隠しているケースもあるがほぼ例外なくオタクだった。そういう理解になってからこの手の人と話をするのがあほらしくなった。
www.tyoshiki.com



番外:ミサンドリストにとっての居場所、としての魅力
正直ミサンドリストの人たちの考えていることは私にはよくわからないので番外とします。
自分の観測範囲内に限れば、彼女たちが言ってることはとても単純でいつも同じことしか言わないので、たぶんとても素直なんだけど、誰かの受け売りや自分の体験だけで考えていて自分で考えることが苦手な人が多いんだろうなという印象がある。「加害衝動」が抑えられない人は治療が必要だと思っている。これに関しては、下のような記事を以前に書いた。

「トラウマなしに男性嫌悪になり加害思想に取り憑かれました」「キレる私をやめたい」 - 頭の上にミカンをのせる
「母親が家族に暴力を振るうことはゆるやかに許されている」というのは女性にとってものすごく不幸なことだと思う - 頭の上にミカンをのせる
「理不尽なキレ方」をする人の恐怖は、直接被害を受けた人以外に伝わりにくいものなのかな - 頭の上にミカンをのせる

フェミニズムは、その性質上他者への強い侵犯性・暴力性を内在している

というわけでフェミニズムは大変魅力的ではあるのだけれど、一方で取り扱いに注意が必要なものである。なぜかというとその性質上必然的に「他者への強い侵犯性・暴力性」を持ってるからだ。

包丁であれば「包丁は悪くない包丁を使う人が問題だ」という話が当たり前に通じるが、なぜかフェミニズムについては「フェミニズムを扱う人の問題」があまり理解されてないところがある。

これから先に来るべきフェミニズムについて

http://www2.igs.ocha.ac.jp/wp-content/uploads/2016/02/17-Shimizu.pdf

境界の攪乱。

そう、それがあたかも私たちの目指すべき到達点であるかのように、あたかもそれを引きおこしさえすればたとえ小さくとも現状に何かしらの意味のある亀裂をうみだしたことになるはずのラディカルな達成であるかのように、そのように思われた一時期がたしかにあったことは、否めないだろう。

あるいは少なくとも、フェミニストやクィアの政治にかかわる理論的考察が境界の攪乱可能性を追い求め、見いだし、推し進めることをほとんど最優先の課題としているかのような印象を与えた時期、そしておそらく実際に少なからずそうふるまっていた時期が、たしかにあったことは。

ジェンダー・トラブル 新装版  ―フェミニズムとアイデンティティの攪乱―

ジェンダー・トラブル 新装版 ―フェミニズムとアイデンティティの攪乱―


「フェミニズム」は既存の線引きを動かそうとする性質がある。それが魅力でもあるのだが、それに興味がない人に人にいきなりぶつけると必然的に相手をイラっとさせることになる。

フェミニズムを勉強して、歴史などを紐解きながら既存の線引きについて考えなおそうとするのはいいことだと思う。ただ、その際にちゃんと相手とコミュニケーションをとれるかどうかが大事なのである。

土地の争いで、今現在の状態を無視して勝手に境界線を引きなおそうとする人間がいたら問題になる。ところがフェミニズムにはまってる人はこのあたりをおろそかにする人がかなり多い。そしてそのことをとがめられたときに、自分がやってることを自覚せず逆切れすることも多かった。

そうやって、いままでさんざんトラブルを引き起こしてきた。

ようやくネットでも、そうしたやり方ではあかんという風潮になってきた。

攪乱それ自体を寿いで終わることが可能であるかのような気分がもはやアカデミックな幻想としてすら保持できなくなった地点

twitterの人気ツイートはまさにこの「攪乱それ自体を寿いで終わる」=「議論が深まっ太郎」や「本人だけが焼け太りするだけで終わり」なものばかりであった。だからみんなうんざりしてしまったのである。

今後問われるのは、その先であろうと思われる。

これから先の議論にはシュ〇ムルおじさんやは〇ちゅうさんのような、ただヘイトを煽り状況をかき回すだけの無責任な言説は時代遅れの遺物として置いていったほうがいいだろうと思う。まぁ難しいだろうけれど。

境界を攪乱する――性・生・暴力

境界を攪乱する――性・生・暴力