段落ごとに話が飛びまくってぐちゃぐちゃになってしまったので読まなくていいです。
代わりにこれでも読んでください。

社畜が異世界に飛ばされたと思ったらホワイト企業だった 1 (電撃コミックスNEXT)
- 作者: 髭乃慎士,結城鹿介
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/11/24
- メディア: コミック
- この商品を含むブログを見る

社畜が異世界に飛ばされたと思ったらホワイト企業だった 2 (電撃コミックスNEXT)
- 作者: 髭乃慎士
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2019/07/26
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
まぁ私はホワイト企業ですらダメだったんだけどね( ;∀;)
アスペルガー診断というのがホッテントリしてたのでやってみた結果
自分がやったところ44点でアスペルガー(2013年以降は自閉症スペクトラム障害)の疑い濃厚だそうです。まぁ実際にそうだから別にいいんだけど。
発達障害って本当に一人一人違うので他人についてはどうこう言えることじゃないけれど。
別に44点の私でも、環境次第では何とか生きていけるからへーきへーき。逆に言うと、環境が自分に合わなければ、上の漫画にあるようなホワイト企業ですら死ぬから自分に合った環境は真剣に真剣に選んだほうがいいです。マジで。
「カースト下層」でない限りは、空気(周囲の顔色)を読めるかどうかはそんなに重要じゃないと最近は思う
確かに私はコミュニケーションについて昔から他人との齟齬が多くよくトラブルになっていました。いわゆる空気読まない発言などをしてしまい、Twitter上でたまに絡まれたりもします。小学校のときは本当に生きるのつらいってずっと思ってたし、中高はストレス少なかったけど大学に入ってからは人間関係がうまく行かなくて普通に引きこもりがちになってた。でも、この辺りについては学習次第である程度の対応は可能かなと思ってる。実際最近は「そんなに空気読んで合わせることが大事かな?」っていう気持ちのほうが強い。
以前は「空気が読めさえすれば今よりまともになれる」って希望を持ってた時期もあったけれどそんなことはなかった。ある程度努力して空気というか相手が何を考えているのかを理解するよう努力を続けた結果として、実際は空気だけ読めたところで意味なんてないということがよくわかってきた。
効果が大きかったのは
①「ノリがいいかどうか」=借金玉さんが言うところの「素直さ=茶番適応力」や「恥を捨てる気概」みたいなもの
②むしろ相手の気持ちや事情をあまり察しすぎずに自分の要望を押しけられる「図々しさ」(悪い意味ではない)
の2つであると感じた。
さらに言うと、私が知っている限り一番コミュニケーションができる人というのはこういう「空気読める読めない」の次元ではなかった。普段から「相手のために行動することをためらわず」「その上で必要な時は臆さず自分も相手に要求する」というサイクルが綺麗に回っている人だった。 この人は空気が読めるという感じではなかったが、それでも社内の人間からもお客様にも一目置かれて、若くして課長まで昇進していた。(※そのあと私は退職したからそのあとどうなったかは知らん)
私は「できる人たち」を観察して
・空気を読めるかどうかそのものは一番大事なポイントではないということ。
・空気を読んだうえで「同調」することが必要でありそれは無理だということ。
・空気を読むんじゃなくて、相手のためになることを<卑屈にならずに>考えることができればいいこと
みたいところまでは分かるようになった。
アスペルガー(2013年以降はASD)そのものより、その二次障害や不安の強さがしんどい
でも、「どうすればいいか」がわかってても私には実行ができなかった。というか無理してやろうとした結果としてつぶれた。
なぜかというと「疲れやすい」「普通の人と同じように一定のペースを維持しにくい」という部分を克服できなかったから。今でも克服できてない。
【図表でわかる!】発達障害 × 疲れやすさ | その原因は?感覚過敏・発達性運動協調障害・睡眠障害… : 【図表でわかる!】発達障害 - TEENS
なぜ発達障害者はやたらと「疲れやすい」のか 「セントラルコヒーレンス」「アレキシサイミア」について - 頭の上にミカンをのせる
発達障害者の「自分のつらさをほかの人にわかってもらえないつらさ」について - 頭の上にミカンをのせる
自分だけでもぎりぎり精一杯だったけど、どうしても「職場でいい感じでコミュニケーションをとりたい」と思って他人のことにリソースを費やそうとした結果最初はうまくいっていたがガス欠になって、そのあと何もしないよりはるかに悲惨なことになった。
「やればいいこと」がわかっていても体力や経験がないとかなりしんどいものがある。そういう意味で、体育会系って本当にめっちゃ強いな。私から見たら完全にチートに見えるなって思う。
ホワイト企業ですらまともに勤められなかったクソ雑魚ナメクジな私の話
話は変わるが、そもそも私はほかの人があこがれるという「ホワイト企業の内勤」ですらまともにつとまらないくらいどうしようもない人間だった。
新卒で入社した会社は超ホワイト企業だったけれど途中から蒲田での内勤に変わってオフィスに閉じ込められることになってしまった。一年半もしたら適応障害を起こしてボロボロになって休職することになり、結局転職することになった。
私にとって一番つらいのはなにかというと、とにかく人と一緒にいるとすぐ疲れてしまうということだ。長時間人と同じ場にいられない。オフィスでフルタイム内勤なんかしようものなら当日は帰宅後何もできなくなる。会社にはせめて机に仕切りをつけてほしいとお願いしたけど新人の言うことなので相手にされなかった。むしろ当時の会社としてはオープンスペースとかいって場所も流動的にすることでコミュニケーションの活性化を図ろうとしていたし、いまよりずっと発達障害への無理解・風当たりは強くて私は自分が発達障害であることなんて相談できなかったから、私の要望は単にわがままなやつだとみなされてしまった。
「ホワイト企業」というのは必ずしも人にやさしい環境ではなかった。「まじめであることやみんなと同じように仕事できることが評価される」環境だが裏を返すと「ちょっとでもさぼってるように見える人間や、みんなと同じようにできない人間」はめちゃくちゃ冷たかった。 *1なので「こういう風にしてくれればもう少しまともに働けます」なんて言ったところで「みんな同じように仕事してるのだからダメ」といって却下されてしまう。それどころか、みんなが「まじめに働くこと」を一番大事にしているせいか、他人がちょっとでも不真面目に見えることをしたら寄ってたかってぼこぼこにしようとする。
社外に出て仕事をしているときは結果を出せば細かいことはあまり言われないから、「集中して早く仕事を終わらせて、その分人より休憩をとる」というように、疲れ具合に応じて自分で休息をとったりしてなんとか仕事と折り合いをつけることができていたのだけれど。オフィス内勤になると、お互いがお互いを監視して、ちょっとでもうつらうつらしたり、休息を長めにとったりするとすぐに上長にチクる人(50代男性)がいた。この人は本当に今思い出しても怖くなる。自分の仕事に関係ない限り他人がどういう風に仕事をしてようが関係ないはずなんだけど、とにかく他人がまじめに働いて売るかどうかをめっちゃ細かくチェックしようとする。 完全に自分が善で、さぼるやつは悪だと思ってるからものすごいタチ悪い。その人たちは悪ではないんだけれど、あまりに「自分たちと同じようにできない人」に対して異常なまでに不寛容で、こちらの事情を全く考慮しようともしてくれなかった。そして、一度ダメなやつだと決めつけたら、とにかく執念深くこちらの落ち度をチェックして、いちいち報告したり、自分がいないところでほかの社員に話してネタにしていた。
情けないことに、こちらもこちらで事情が説明できないからただ上司から怒られ、周りから白い目で見られるみたいな状態になってしまった。仕事で頑張っても日ごろの態度が不真面目だから、みたいな感じで全部否定されるので、仕事場がただただ苦痛な時間を過ごすだけの生き地獄になり、何もやる気が起きなくなってしまった。この時の最後の方のつらさは今思い出してもおなかが痛くなる。
基本的に心の問題で休職した人が復帰できる職場ってほとんどないような気がする
結局倒れて休職する羽目になり、医者の診断を上司に報告する羽目になったのだけれど、結局復職してからも上司は発達障害のことは部署の人には言わず、ただ「心を病んで休職していた人」という扱いになった。 先ほども言ったけど、ホワイト企業は「みんなと同じようにできないもの」にはとことん冷たい。というか、どう扱えばいいのかは一切ノウハウがなかった。
結局、復職後は別の部署に異動したが、その部署でも周りからは露骨にはれもの者扱いされ、ろくな仕事は与えられず、ただただ何もできずに過ごす「疑似追い出し部屋」みたいな環境になり、再び精神状態が悪化してしまったので退職した。
でも、これははっきり言って私にも大きな問題があったと思う
復職後の職場の人はみんな悪い人ではなく、むしろ優しい人が多かった。たぶん私が勇気を出して「私は発達障害で、こういう問題を抱えていますが、こういう風に扱ってもらえればちゃんと仕事できます」ってこちらからいうべきだった。なのに向こうがなんとか配慮してくれるだろうって期待をしてたからダメになった。もし言ってもダメだったかもしれないけど、少なくとも上司は知ってたのだから試さなければ詰むのは確定している状況で、何もせずただ死ぬのを待っていただけだった。甘えというか危機感が足りなさ過ぎた。あの時まったく頑張ろうとしなかったことは今でも後悔してる。
結局この後転職繰り返して今の職場に落ち着くまではひたすらにキャリアダウンを繰り返していくことになって、途中で一回完全に人生詰みかけた。投資と出会ってなかったらとっくに人生諦めてたと思う。
みんなは私みたいなことにならないで、なんとか社会人としてサバイブしてほしいなと思う。今はそのころと違って社会も発達障害というものに一定の理解や対策を示しつつあるので、私にとっては時代は少しずつ良くなってきてるなと感じてる。
*1:別にこれが悪いというわけじゃなくて、そういう規律を守ることで、大きな組織を回していたのだと思う。単に私が合わなかっただけ