「そのくらい言わなくてもわかってよ」「言わなきゃわかるわけないだろ」…っていう、あるあるな喧嘩。あれを、どっちが悪いじゃなくて、タイプの違いだと捉えてれば平和が近づくのでは??という提案漫画です。
— 描き子 (@kaqico) 2019年9月30日
あなたはどっちのタイプ?#エッセイ漫画 pic.twitter.com/Dcm3opl3TL
はてブではぼこぼこにたたかれてるけど
個人的な感想としては、「よくある横軸分類マンガ」の一つであってこれが特別悪いとも思わない。なぜこれだけ特別叩かれてるのかよくわからなかった。
そもそもこういう横軸分類そのものってどれも微妙じゃん?
横軸しか見ないで人を分類することにどれだけ意味があるんだ……
私は昔から「横の分類はある程度レベルが上がってから有効になる話であるが、横の分類にこだわるのはその分類が意味を持つレベル以前の人が多い」という偏見を持ってます。
例えば昔からよく見かける「理系文系」論争。
これさ、Fランの理系より国公立大の文系の方が理系的思考ができることってあるよね。
逆に、一流の理系の研究者が書かれてる新書本とか読んだら、文系の教養を強く感じさせる名著とかいくらでもあるよね。
理系文系ってわけることに意味が生じるのはそれなりに専門化した先の話になると思います。
確かに文系の方が出欠確認がヌルいとかそういう話はありますが、そういう違いってどうでもよくないですか?
「理系文系」の分類をすることで何を得たいのかにもよりますが、
たいてい理系文系の違いにこだわる人ってあんまりレベルが高くない人が多いような気がしますね。
人間って、ゲームと違って特定の職業を選ばなければ特定のスキルが育たないってわけじゃない。なので
①まだレベルが低い段階の人間は総じてステータスが低い(レベル上げの基本所作ができてない)
②レベルのたかい人間はその時は未熟でも気が向いたら他の物でも効率よくステータス上げられる
③一定レベルから先を目指す時に、初めて自分の向き不向き、特質なんかが問題になる
っていうのが基本になるんじゃないかな。
「Hunter×Hunter」においても、そもそもハンター資格を得るレベルまで行ってから始めて特質の分類を始めるよね。
ソシャゲーとかRPGでもだいたい似たようなことは学習できるはずです。
一芸を極めた人を分類することには意味があるけどそれまではあんまり意味がないと思います。
そして、一芸を極めてる人ほど、あんまりこういう分類に興味がないって感じがする(その分類は他人がやってることが多い)。
コミュニケーションに関していうのであれば「相手次第」がかなり大きいので、その人の性質より「自分が相手に好かれてるかどうか」を先に考えた方がいいかも
あと、気が利かないって言われる人でも「相手次第では」めちゃくちゃ気が利くことだって結構あります。
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極論すると、相手に好かれたり、敬意を持たれてると、すごい丁寧に扱ってもらえるし嫌われてたり舐められたりされてるとすごいぞんざいに扱われるというだけであって、その手の要素はこの点に比べたら些細なことなんじゃないかと。
最初に意識すべきなのは信頼ポイントとか敬意ポイントとかそういうのが重要になってくるはずなので、そこを無視して雑に人を横分類する話を一般化しても誰も幸せにならない気がします。
※このあたり、注意しないとにわたまになる気はするので、本当はもうちょっときちんと考えたい
「相手がどうか」はともかくとして、「自分はどういうコミュニケーションタイプが得意か・どういうコミュニケーションは無理か」は意識して損はないとは思う
とはいえ、私もこういう横分類は大好きです。
なんせ私は自分自身が発達障害ということもあっていつもこういう状態になってます。
①コミュニケーション苦手であったりうまくいかない理由を、ついつい相手のせいにしたいと思ってしまう。
②自分以外の人間なんて全く理解できなくていつも怖いから、「わかったつもり」になって安心したい。
③ぶっちゃけ自分以外の人間割とどうでも良いし一人一人丁寧に理解するの面倒くさいから雑に分類しても良いと思ってる節があったりする。
④あまりにも苦痛すぎて、どうすれば自分はちょっとでもコミュニケーションが楽になるのか知りたいと思わない日はない。
だから、頭では「そんなもんない。地道にコミュニケーションをとって経験値稼いでレベルアップするしかない」とわかってるのに「こうすればコミュニケーションはうまくなる秘訣」なものを求めたりとか「あなたは〇〇型です」みたいなお墨付きを欲しがったりしてしまう。
とにかくコミュニケーション恐怖症だから、安易な道に逃げたくなることが多いんですよね。
悔しいけどゲームとか好きな勉強のことだったら「そんな安易な道があるわけないだろバカか」って思う話に屈してしまうビクンビクン。
でも、せっかく考えるなら、意味があるのは「相手がどうか」ではなくて「自分はどういうタイプか」の方なんだろうな、と。
「自分はどういうコミュニケーションタイプが得意か」「どういうコミュニケーションは無理か」は意識しておいて損はない気がする。
特に後者の「自分にはこういうコミュニケーションは無理だ」というあきらめは必要な気がする。
無理なことは頑張らない、その代わりにできるところは嫌でも頑張ってレベル上げしていく。
自分が今コミュニケーションを苦痛に感じることが多いのは、
自分をよくわかってなかったり、自分のレベルが低かったり、相手選びが下手だからであって
そのあたり工夫したら、今よりはコミュニケーションが楽になるはず……。
とりあえず、自分のQOLさえ上がれば何でもええねん(本音)
インターネットでQOLを1番下げる行為は、間違いなく「嫌いな人間/集団/コンテンツを自分から見に行って、嫌なものを見つけて、嫌なのを確認する」事なんだけど、これはある意味で「期待通りの報酬を得られる」行為なので、常習化を招きやすいんだよな。人生には得てはいけない成功体験があるというな。
— rei (@rei10830349) 2019年9月30日