頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

映画「ジョーカー」感想|ダークナイトを期待して見に行くと後悔するが、とても面白いサイコスリラー・サスペンス

前回の記事は映画ジョーカーそのものの話をしなかったので、改めて感想書きます。


結論から言うと、ダークナイト的な「正義と悪の対立(の上正義が勝つ)」みたいなものを期待するとかなりしんどいけど、「メメント」とか「さよならを教えて」「euphoria」などが好きな人にはおすすめだと思う。(私は「スーサイド・スクアッド」は見てないから知らないです)

あくまでこれはサイコスリラー・サスペンスとしてみるとすごい面白い作品だと思うので、そういう人に見に行ってほしい。

ただし、人によっては壮絶で説得力があるストーリーなのかもしれませんが個人的には「ジョーカーの真実」としては、後半があまりにもチープに感じられた(そしてそれはわざと制作しているとも思った)ので、「ジョーカーの話ではなく、あくまでもアーサーという個人の物語」であるという認識でとらえています。

この作品の最大の特徴は「探偵役がキ○ガイである」という要素(ドグラマグラ並感)

たぶんこの表現を使う人がめちゃくちゃ多いだろうし、自分でも陳腐だとは思うけどやっぱり「ドグラマグラだよこれ!」っていいたくなると思う

これはストーリーだけでの話ではなく、音楽の使い方も舞台設計も含めてそうなってる。

BGMはシーンの一体感が得られないところが多い。
何ということもないシーンで激しい音楽が流れ、逆に切迫感があるシーンで単調な音の繰り返しになっていたりと認知の不協和がすごい。現実と夢の境界を揺らがせるような演出を仕掛けてきている。当日映画を見たとき体調が非常に悪かったこともあり、強い催眠効果を感じた。


場面場面を見ても、重要なシーンでは電灯が点滅したり真っ暗なシーンで登場人物の顔が見えなかったりして見ているものの不確かさを煽ってくる。地下鉄における決定的なシーンは他の作品では考えられないくらいあっさりしている。重要なものとそうでないものの感覚が徐々に揺さぶられてくる。


主人公の行動に対する世界の反応も首をかしげたくなる部分が多く主人公を取り巻く視覚・音響・反応すべてが歪んでいる。そういった世界にどっぷりと観客を浸からせてくる。次第に観客である私たちも、アーサーのように何が事実かどうかはどうでもよくて「目に見えるものが真実でいいじゃないか」という気持ちになってくる。

ストーリーそのものよりも、こういう演出がすごいなと思う。私は普段演出とか全く分からない人間なのだが私のような素人でもこれはなんかやばいとわかるまがまがしさがある。


主人公と視聴者である私の距離がとても遠い。「別の世界の話」に見える

ドグラ・マグラを見ても社会的なメッセージを受け取る人が少ないようにこの作品からも、基本的になんのメッセージ性も感じていない。

まず冒頭の展開から「別の世界の話」感が強い。この作品を「弱者が強者に反逆する物語」みたいに受け止めてる人がいるかもしれないが、この作品はあくまでも「主人公であるアーサーが」社会から疎外・迫害を受ける話なのだ。

「世界からアーサーへ向けられる悪意」が実に丁寧かつ徹底していてえげつない

その後いろいろと判明する展開を見ても主人公であるアーサーの境遇は私たち観客の安易な共感などきっぱりと拒んでいることが大事だと思う。


この作品見て、アーサーの辛さに共感できるとか言ってる人がいたら、その人の共感は薄っぺらに聞こえるだろう。


とにかく世界としてアーサーいじめるということに容赦がない。


作品中ではアーサーが人として受け取れるべき権利を、子供が残酷にも昆虫の足を1つずつちぎっていくかのように一つ一つ丁寧にはぎとっていく。

「仕事や友を失い、金も福祉も尽き、愛している家族も死ぬ」程度であれば、アーサーは辛くてもまだ人としての形は保てていたかもしれない。でもこの作品はその程度では済まさない。



「最初から持っていない」だけなら耐えられるものも、一度与えられてから奪われると深刻なダメージになる。
この作品は、アーサーがかろうじて持っていると信じていたものまで過去に遡及してすべてアーサーから取り上げてしまう。(わざわざ自分で調べてしまったせいだけれどね)

さらに、すべて奪いつくした後にせめて放っておいてくれればいいのにそれすらも許さない。本人に付随して奪えないものは嘲笑され、何かすればわざわざみんなで取り囲んでリンチする。


アーサーには、自分が自分でいる限りどこにも逃げ場がないのだ


個人的には「自宅の中ですら安心感を得ることができず、意味もなく冷蔵庫に閉じこもろうとするシーン」が一番きつかった。


中盤のサイコスリラー・サスペンスの要素は本当にドキドキした

この作品の一番面白いのは、アーサーが自分が何者であるかを知ってしまう部分だ。この部分は一切ネタバレなしに見てもらいたいなと思うので特に語らない。

なぜか見ながら「うみねこのなく頃に」を思い出した。

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「ジョーカーとしての覚醒」はアーサーの想像力の限界を感じてそれが悲しい

私はこの作品全体をアーサーの妄想だと考えているのだが。(せいぜいサラリーマン3名を射殺した時点で逮捕されていると思っている)

それは「アーサーが追い詰められていく展開」が実に丁寧で胸に迫ってくるのに対し「ジョーカーとして覚醒し一躍最強のヴィランになる展開」がチープに感じられるからだ。この作品の延長線上に「ダークナイト」のジョーカーは生まれないと私は感じる。

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fateにおいて凛normalルートの志郎とエミヤが結びつかないのと似たような感覚だ。



N国党のバカ騒ぎを見ていると、「ジョーカー」終盤の展開は日本でも決して絵空事であるとは言い切れないのだがそれにしてもアーサーにとって「都合が良すぎる」のではないかと思う。この作品世界には良識的な人間は全く登場しない。警察も無能。登場する人物が一面的で世界そのものがペラッペラに見えてしまう。

ここ読んでない人には伝わらないと思うので申し訳ないが、終盤においてジョーカーを祭り上げる群衆の姿は、まるで「ワンピース」のドレスローザ編において致命的な場面で「人形化の呪い」を解いたウソップに対してそれを祭り上げた連中たちが繰り広げたコントを思い出す。ワンピースのような作品ならともかく、前半にこれでもかというくらい丁寧に描かれてきただけに私にはこれはギャグにしか思えなかった。

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これは「笑い話」なのではないだろうか

なのでこれはアーサーにとって最高に痛快なお話だったのだ、と私は受け取った。

「僕みたいな人間を虐げ続けて笑いものにしていたらそいつの親玉が殺されてついでに滅びちゃいました。アハハハハハハ!どう面白いでしょ?」という感じ。してみれば、アーサーはコメディアンではなくストーリーテラーということになる。

まぁ繰り返しになるけど、N国党のドタバタなんかを見てると本当にギャグみたいな展開で国が亡びることもあり得そうだけどね。


それでも「ジョーカー」の片鱗は感じた

僕の人生は悲劇だと思っていた。でも…… 

ジョーカーが「究極の悪」と言われるのは、悪をなすことになんの背景も理由も必要としない存在だからだろう。

ひたすらに主観に生き、「己が良いと思ったものが良い」とする。そして悪をなすことを心地よい、面白いと感じるからそうする。それ以外に深い理由がない。

悪という行為をなすのに「個人的な理由がない」からこそ、彼の行動は彼個人の者ではない。多くの人が勝手に乗っかれる。多くの人を巻き込んでしまう。

徹底的に「個」がはぎとられた結果、悪という行為だけをなしそこに人を引き込むブラックホールみたいになっている。だから改心させることはもちろんできないし、存在することそのものが悪になる。


そういう意味で、原理としては「ジョーカー」を作ることはアーサーと同じ方法でできるはずだ。「マーターズ」において神を人に下ろそうとした連中と同じような感じで多くの人間をアーサーと同じ目に合わせればいいはず。

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その中でアーサーはかなり近いレベルで「ジョーカー」の領域に到達したのだと思う。ただし、惜しむらくは「妄想」の世界の出来事だった。妄想ではなくそれを現実でやらかす存在こそが「ジョーカー」だ。その壁を越えるにはまだ何かが足りないような気がする。

私はそんな風に思います。




ここまで読んでくださった方にもう一つだけジョーカー関連記事紹介。
↓ 個人的にジョーカー関連で一番好きな感想記事です。
mgkkk.hatenablog.com



追記 ああなるほど、そういうことか

www.jigowatt121.com

メタ的なことを言ってしまえば、本作に登場したブルース・ウェインは年齢的にもまだ幼く、彼が後にバットマンとして活躍するとしたら、アーサーはとっくにおじいちゃんになってしまっている。また、ジョーカーならではのカリスマ性や知略に長けた振る舞いが今回のアーサーにあったかというと、そこもやや疑問である。そうであるならば、将来的にバットマンと対峙するジョーカーはアーサーその人ではなく、彼に影響を受けたフォロワーという考え方ができないだろうか。

あの後、事態は沈静し、逮捕者が出ながらも、ゴッサムシティはそれなりの平穏を取り戻していくのだろう。ピエロの仮面を被って暴れていた人たちも、「そんなこともあった」と素知らぬ顔をしながら、日常生活に戻っていくのだ。しかし、あの時あの場で、「概念としてのジョーカー」が誕生していたとしたら。

全然理解していなかったけど「あの少年」がバットマンになるのか。
あのシーン、やたら意味深に引き気味のカットが描かれていたけど全然意味が分かってなかった。

幼い頃に目の前で父トーマスと母マーサを強盗に殺害されるという悲劇に見舞われたことをきっかけにこの世の犯罪と戦うことを決意。
何よりも悪を憎み正義を求める誠実な男であり、ひたすらにストイック。だが、その正義を追求する姿勢はあまりにも厳格であり、バットマンである時にはコソ泥やカツアゲのような些細な犯罪も見逃さず、犯罪者に対しては命こそ奪わないまでも一切の容赦無く過剰とすら言える暴力的制裁を加える。

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……だとするならば、あのできの悪いゴッサムシティで起きた暴動は、正史でも本当にあった話ということになるのか。
つまり、根本的にゴッサムシティという街はあまりに病み過ぎているしジョーカーという存在を生みだす母体としてそこまで成熟していたってことになるな。

しかし、逆にこれは「ダークナイト」において町の人が正義を選ぶという展開が納得いかない。あちらを立てればこちらが立たずな気がする。
それとも、バットマンが出現することで、あるいはゴードンなどの活躍によってこの映画「ジョーカー」の部隊の時のゴッサムシティを多少なりとも改善することができていたということなのか。


だとするならば、もうこれは完全に「街」が主人公の物語になってしまう……。
今回そういう部分は全く意識せずに見てたけど、2回目見るときはそのあたりも意識してみてもいいかもしんない。