頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

本当に立場が弱いと思ってる人間は、攻撃一辺倒になることはまずない

宇崎ちゃんポスター問題についての個人的な総括。今までの記事で自分なりに書くべきことは書ききったので、この振り返りをもって、完全に終わりです。

 

結局最後まで議論らしき議論は一度も見られなかったな、というのが私の感想。

 

私は単にどっちもどっち、じゃなくてそれぞれに個別に違った問題を抱えている。それは相殺されるものじゃなくて、お互いに自分で向き合って解決しないといけない。

その問題とむきあいつつ、多少なりとも前向きに議論できるようにするためにはどうしたらいいのかなーってことを考えてた。

 

なので、とりあえず私はオタク側だから、同意できないまでもフェミニズム側からの意見を聞いてみて、少しでも受けられるところは受けて、あんまり喧嘩にならないようにこちら側の意見をつたえたりしてたのだけれど。私の文章がつたないということを差し引いても、誰もそういう議論には興味がないんだなと思った。

 

 

そりゃそうか。そうだよね。

 

 

当たり前すぎるからだ。その当たり前がわかる人は、最初から宇崎ちゃん問題はアホらしいなと思ってた遠くからながめてるだけだった。

 

 

 

今から思えば、最初からこの論争に関わってる人たちは、どちらも社会を論じるという建前で、己の不満を「自分より弱いと思ってるやつらに」ぶつけてるだけだった。女性差別云々すら建前だった。(違うというのであれば現状が説明できない)

 

 

オタクはネトフェミのことを与し易し頭のおかしいおもちゃとして侮って茶化し、

フェミニストはオタクを男というだけで底辺のくせに女性を性的にまなざすなど調子に乗るなと見下す。

私はそういう人たちを見て「コイツラよりはまだ私のほうがマシだな」と気分良くなってペラペラしゃべる。

 

 

ダメ人間ばかりだ。まともだったのは紙屋さんくらいか。

 

面白いのが、みんな攻撃一辺倒で防御をしないということだ。

 

同じ陣営にいる側であってもやり玉に上がった人のことは守らない。

 

過激なことを言う人間をRTはするが、一方でジョジョアイコンの人がオタから批判されたとき、ジョジョアイコンの人を守ろうとはしない。ジョジョアイコンを叩くオタクを自分がさらなる攻撃をする材料にする。

 

オタクやネトフェミがやりたいのは、気に入らないものをお手軽に殴りたいということだけであり、守りのことは考えてない。相手の意見に耳を傾ける気もない。

積極的におかしなやつをみつけてそいつを晒すことだけで盛り上がる。

 

お互いが自分を被害者と言いながら、やってることは客観的にはいじめなのである。一方的に殴るだけだから論理など不要。ただそれっぽい、わかりやすくて過激な意見を言ったもの勝ち。

 

運悪く敵対陣営のターゲットになったやつは、さっき行ったように助けることはなく犠牲になってもらう。

 

そして、そのことに自覚がないのか開き直ってるのかは知らないが、全く反省がない。

 

かくしておたがいにいじめが横行し、おたがいにガバガバな論理が横行し、おたがいに頭のおかしな人間や特に脇の甘い発言をする人だけが大きく取り上げられる。

 

 

彼ら彼女らは、憂さ晴らしとして「言い訳が可能な」いじめやリンチがやりたいのだ。そういう一体感の味わい方というのは確かにあるらしい。声の形でもそういう描写あったよね。

その点、向こうから自分たち陣営に殴りかかってきて、頭がおかしい奴らというのは、自分の陣営のほうが強いと思ってる限りにおいて、絶好のエサなのだろう。

 

自分自身がいじめの被害の中心にならない限りは、他人を生贄にして安全にいじめを楽しめる。

 

オタクとかネトフェミという概念はだんだんと後景に退き、宇崎ちゃんポスターの是非も北守記事以降はどうでも良くなり、だんだんと本音がむき出しになってきた。今残ってるのは単にオタクとネトフェミというお互いの属性を罵り合い、貶めあう泥仕合になった。

 

一時だけ「ポスターなんかどうでもいいから女性が社会から感じている恐怖や屈辱を解決することが大事だ」という記事が注目を集め、建設的な方向に話が進むかと思ったが、

 

結局それだと二次絵だけを批判していた態度と整合性が取れなくなるため、そちらの話から目をそらして、議論は全く価値がない方向に進み、おたがいに「相手陣営のおかしなやつを見つけてリンチする」という不毛な部分だけが残った。

 

結局のところ、お前らがやりたかったのはそういうことなんですね、というがっかり感しかない。

 

私は今回の件でたくさん記事書いた。今後も似たようないざこざはおきるだろうけど、

私自身はこういう類型の問題について、どのように考えるか、という姿勢については一通り示せたかなと思う。自分なりに方針固めは確認できたので、今後はこういう人たちが品を変えて同じようなことを繰り返しても「あの時から自分の考えは変わってません」と自分の姿勢はすでに示せるので、もう一つ一つに反応しなくてもいいかなと思った。 何か新しい視点や切り口が出てこない限りはいいのかな、と。

 

 

宇崎ちゃんの話題は最初の時点からバカバカしいと思ってた。だけど、今回の件を通して他の人がどうこうではなくて、自分がどう受け止め、考えるかという部分を確認・整理できたので、自分的には有意義だったと思います。うん。そういうことにしとく。