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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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arrow1953さんの記事にはユーモアが足りない

まず最初にポーの法則を説明しますね。

www.tyoshiki.com

つまり「ネタ」はわかりやすくやれってこと。

「ネタ」が「マジ」だと受け止められる場合、その人の文章にはユーモアが足りない。

それならそれで「これはネタです」と明確に伝える義務があると思う。

ユーモア不足でネタをネタと伝えることが下手な人ほど明記する必要があるだろう。 

それすらできないならその人はネタ記事を書かないほうが良い。

これを頭に入れたうえでarrow1953さんの記事を読んでみましょう。


arrow1953.hatenablog.com

なるほど。

arrow1953さんがやりたかったのってこれのパロディですよね。

ja.wikipedia.org

1997年にアメリカ合衆国アイダホ州の当時14歳の中学生だったネイサン・ゾナーが「人間はいかにだまされやすいか?」[1]という調査に用いたことがきっかけで世界中に広まったとされる。
この調査では「DHMOは、水酸の一種であり、常温で液体の物質である」「DHMOは、溶媒や冷媒などによく用いられる」などのように、被験者にとって非日常的な科学技術用語を用いて水を解説し、さらに毒性や性質について否定的かつ感情的な言葉で説明を加える。その後、「この物質は法で規制すべきか」と50人に質問をすると、43人が賛成してしまい、6人が回答を留保したのを除き、DHMOが水であることを見抜いたのは1人だけだった。

fxconsulting.jp

うん、「オタクの危険性」や「献血ポスターの危険性」を煽ってる人たちに騙されてる人への皮肉としてはなかなか気が利いている。

この記事について怒った人や同調した人に対して「DHMOも知らないのか」ってやりたかったんだよね。




……そうだよね?まさかマジで書いてないよね?大丈夫だよね?そこまで頭悪くないよね?




でも、はてブ見る限りちゃんと伝わってないっぽいんだよなぁ……。

「サブカル、語るはいつも頭の悪いこと書いてるから、もしかしてこれもマジで書いてるのかもしれない」って思ってる人が結構多い。

だとしたら、皮肉とかユーモアとして失敗してると思います。

もうちょっと、わかりやすく書いたり、日ごろの記事で信頼を獲得することが必要なんじゃないでしょうか。

なぜ、あなたの話はつまらないのか?

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「おもしろい人」の会話の公式 気のきいた一言がパッと出てくる!

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「サブカル、語る」を語る

それにしても、この人結構すごいなとまえから思ってて。

何がすごいかというと、このブログ、タイトルからサブカルをとったらなんの印象も残らないんですよね、、、

今回の記事も、書き手の人がどういう人なのかまったくわからない。なんか流行りに乗ってそれっぽいこと書いてみましたって感じでしかない。

だからこの記事に限らず、いつ読んでも「サブカル、語る」というブログの名前以外の記憶が全く残らない。なんか読んだけど時間を損したなっていう記憶だけが残る。


何回かほってんとりしてたはずだし読んだことも一度や二度ではないはずなのに、何書いてたのか全く記憶がない。本当にブログタイトル以外何一つ印象に残らない。誰かこの人の記事で印象に残ってる記事挙げられる?この人の人間性が伝わる記事はこれだ!っていうのがあればぜひ教えてほしい。私には全くわからない。



なぜかというと、この人、自分を見せるのを徹底的に避けて、他の誰かが言ってそうなことを中途半端な煽り口調で語るだけにみえるからですね。


おかげで、ブログに一貫性が全く感じられない。同じテーマについて語ってても次の日には逆のこと言っててもおかしくないくらい言葉が軽い。


本当にそれだけなんですよね。すべての言葉が借り物というか、自分の言葉がまるでないというか。嘘くさいというか薄っぺらいというか。自分を出すのが恥ずかしいのか、他者を落とすことでしかものを語れないのか、それともなにか深遠な目的があるのか。そのあたりはよくわからないんだけど。

でもね、本当に何もない人ならブログ続かないと思うんだよね。なんかあるんだけどあえてそれを出さない。



ここまで徹底して自分のキャラを出さないという人も珍しい。


だいたいそういうブログ書いてたら、しんどくなってきて潰れるはずなんですよ。

でもこの人はいつ読んでも自分が希薄なのにずっと続いてるよね。自分で思考してるのかどうかも怪しい。AIが書いたほうが、まだなんぼか書き手の感情が感じられる文章書いてるのに、それでもブログを続けられている。


自分のアイデンティティがサブカルなら、もう少しこの人サブカルだなーって思えること喋ってみてほしいんですけど、なぜかサブカルみを感じさせる文章を全く書かないという自己矛盾を起こしてるのに、それでもずっとブログを続けてる。


これってなかなかできることじゃあないと思うんですよ。自分自身、最初は自分を抑えてロボットみたいな雰囲気のブログ書きたいって思ってたから、その困難さはよくわかるんです。


だから、私は中の人はきっと内面豊かな人なんだと思う。でもなにか意図を持って、人間性が極めて希薄な記事を書き続けてるんだと思う。
その先に何を目指してるのかは今はわからないけど、数年後でもまだ続いてたら、なんのつもりでこのブログ書き続けてるんですか?って聞いてみたい。


その前にブログの存在ごと忘れちゃいそうだから、忘れないためにここに今の気持ちを記録しておきます