頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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人間の欲望の表出というのは複雑だし、「妄想」と「願望」は違ったりして難しいよねという話

まず本題に入る前にちょっとした俗説の紹介を。

「男性はスペックを求め、女性は関連性(言い訳)を求める」なんて話を聞いたことがあるでしょうか?

これは脳機能的なものではなく社会的な差異としてよく挙げられますね。

記念日とか理由付けとか関連付けを女性は大事にしますが、男性はそういうのぜんぜん関係ないわけですよ。高い物とかいい物を得られるとすごく。だから、車とかもそうですよね。別に自分となにかが結びついている安い車よりも高い車のほうを求める。女性の場合は、どちらかというと、自分のために選んでくれたんだな、なにか理由があって来てくれたんだなとか、自分と関連があるから選んでくれたんだなと思わせるのがすごく大事なわけです。

https://logmi.jp/business/articles/165396

社会的に見て、女性がストレートに何かを求めることはまだ抑圧されがちであるがゆえに、「相手から言い訳を与えてくれないと」欲求に素直になれないところがあるというお話です。


個人的には性格的な問題とか社会的な抑圧によって「ストレートに欲求を表明できない人」は、男でも女でもそういう回りくどい欲求の表出になりがちです。
とりあえず「親しみや関連性を感じられて、ちゃんとした理由付け(言い訳)が用意されていることが大事」な人はいる、ということです。


「願望」(本当にかなえたいもの)と「妄想」(手段・シチュエーション)との違いについて

togetter.com
本文は壊滅的にひどいまとめなのだが、このコメントは面白かった。

理想的なイケメンに強引に求められ、女の子は弱弱しく抵抗するも男性に逆らうことができずに……というレ〇プ妄想(レイプ〇望ではない)が意外と好まれてるって知ったら男も女もあんまり変わんねーなってなるよね。説明しよう! レ〇プ妄想とは、読者にとっては魅力的でいつでもバッチコイな相手であっても、主人公にとってはそうではなく、男性から求められることにしぶしぶ従うという形にすることによって、刷り込まれた価値観「ふしだらは悪である」をすり抜けて願望を充足することができる高度な状況設定のことである!客観的には完全にレ〇プが成立している

この概念がどのくらい標準的なものかは知らないが、「願望」と「妄想」を切り分けている。


つまり表面的に描かれているシチュエーションは「妄想」であるが、これはそのまま「願望」ではないということ。

本当にかなえたい願望部分に「レ〇プ」は含まれていないということになる。

まぁだいたいこの手の話は何作か読んでみたことがあるけど状況的には「レ〇プ」であっても、そこで展開される性行為の描写は自体は紳士的であることが多く、女性側も抵抗しない(もちろん「理由」は用意されている)ためレ〇プされたいという「願望」があるなら明らかにちぐはぐになっているケースが多かった。少なくとも「レ〇プ」描写を求めているとは思えない。

また、少女漫画でガチの「レ〇プ」が描かれていれている作品となると「風と木の詩」が真っ先に浮かぶがこれは男同士なのでファンタジーとして処理されたようだ。一方男と女の間での「レ〇プ」というと「生徒諸君!」などがある。これは当時かなりショッキングな描写として受け取られ、読者からは強い批判があり、今でも批判がちらほら書かれていることがある。(まぁこの作品が批判されるのは「さすおに」ならぬ「さすナッキー」要素がキツいからだろうけれど。

www11.big.or.jp
news.mynavi.jp

そういうことを考えても、大多数の女性はレイプされることに対する「願望」があるとは受け取るべきではないと思う。

さらに言うと、この「女性のレ〇プ・ファンタジー」については2010年頃に大野先生がなにやらごにょごにょと語っていたのを記憶している。*1

ohnosakiko.hatenablog.com
ohnosakiko.hatenablog.com





世の中には「Aという作品を読んでいるということはAという願望があるに違いない」と考えてしまう直線的思考をしてしまう人がいる。

ごちゃごちゃと書いたけれど、要するに何が言いたいかというと……「直接描かれているもの」がそのまんま願望だと受け取るべきかというと、必ずしもそうとは言えないよね、というごくごく当たり前の話です。

note.com

フィクションを読むのは自分の願望をかなえるためだけではない。それが当たり前だという人には当たり前の話ですし、「自分」に関してはそれがわからないという人は少ないと思います。が、上のまとめのように、他人の読んでるコンテンツになるとなぜかこれがわからなくなる人がいます。


レ〇プ描写がある作品が人気だからといって「こんなもん読んでるなんて女性はむっつりスケベだなー」って言ってる人がいたらバカだと思いますよね?


なのに、なぜか、女性陣は男性のそういうコンテンツに対して、この「バカ」を結構やらかしてるなと思います。メタ思考が全くできないし、社会が複数の階層でできていることも理解できてない。小学生や中学生ならわかるけど成人済みでこういうことをいってて恥ずかしいと思わないのかなって不思議に思います。そういう発言をすればちやほやされるtwitterの構造が良くないんでしょうけど、さすがに男子ドン引きです。そういうバカ話で盛り上がってる間はどれだけRTが多かろうが、酒屋談義の域を超えない間は相手にされないことくらいはわかってほしいなって思う。男だろうが女だろうが、思考できないアホや嘘つきや酔っぱらいは誰からも嫌われる、というだけの話だし、そういうところまで「男女差別だ」とか言い出して自分の理不尽な話を相手に押し付けようとするならそれはただのゴロツキです。



ゾーニングの話は議論の余地あるけど、性癖そのものに「これはOK、これはダメ」って裁判官みたいな振る舞いをする人は最悪だなと

まぁ何というか。性癖って多様性の極致みたいなところあると思うから「他人のセッ〇スを笑うな」じゃないけど、ノーマルで健全な性癖をお持ちだからって軽々しく他人に口出しすんなって思うんですが。性犯罪を犯したわけでもない他人の性癖に乗り込んでいって軽々しくマウントしてくるようなデリカシーのない人間がなんでこんなに多いんだろうね。バカなのかな。そういうバカまで元気にさせてる点は本当に気持ち悪いですね。 女性の性欲だけは良いとかもないし、性欲は性欲だから、軽々しく他人の性癖に口出ししないという当たり前のことが守れない人はいかなる社会においても抹殺されるべきだよね。「表示スペース」の話はいいけど、それにしたって「自分は子供たちの味方だ」だけでも傲慢なのに「自分たちの意見が子供たちの意見だ」のようにふるまう人はもう論外だし、まして子どもに自分の意見を代弁させようとする大人、最低だと思いますよ。

*1:今となってはネットでフェミニストを自称して男性を攻撃されている方はほとんどの人が深刻なダブスタ状態に向き合うことを避けている(そもそも無自覚or勝手な理由で免罪している)人ばかり目立つようになってきたように思いますが、当時はtwitterもそれほどなく議論のスピードがゆっくりだったこともあり、フェミニズムに関する議論も割と冷静に行われてたように思います。そういうタイミングだったこともあるかもしれませんがきちんと「ダブスタ」に自覚的でかつその点について内省されているあたり、アートについて語りつつこういう細かいところにまで気を配れる当時の大野先生はすごいなと思った記憶があります。というかこのころは私も全面的にフェミニズム支持者だったしね。。。それと比べると最近の大野先生はやる気をなくされているのかすっごいことばづかいや態度が雑になっておられて内田樹化していると感じるので残念です。思想家というのは年を取るほど熟していくというものはなく体力が追い付かなくなってくるものかもしれない。だとするとどれほど偉大な人であっても一定の年齢を超えたら評価を再検討し、この人はもうやる気がないなとなったら「名誉職」などにして強制的に一線から退いてもらうルールが必要なのかもしれません