頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です。WORLD END ECONOMiCAアニメ化のCFを応援しています。

毎日Twitterで流れてくる4コマに萌えは生じにくいよね

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

多義性や融通性を前提とした魅力を湛えていた「萌える」という言葉は、ブームをとおして単純化され、単純化されたからこそ死語にならなければならなかった

 

シロクマ先生の記事読んで、自分の過去記事見たら確かに最近私も萌えじゃなくて推しって言葉を無自覚に使ってたなあと思う。

 

控えめに言っても、そういう抜き差しならない願望が潜んでいてもおかしくないという暗黙の了解が、「萌える」という言葉のもうひとつの側面だった。

(中略)

あの、表向きは奥ゆかしい気持ちの表明のようにみえて、じつはオブラートの下に溶岩が潜んでいるか液体ヘリウムが潜んでいるかわかったものじゃない「萌える」のニュアンス、あるいは美少女所有願望も含めた、実在の人間に投射するにはあまりにも身勝手で過剰でベタベタっとしたニュアンスが消えてしまったような印象

 

 シロクマさんの記事の後半はあんまり同意できないけれど(twitter見る限り、今まで表立って表現が難しかったエロ願望などが全く隠れななくなったので、オブラートの役割を果たす「萌え」という言葉の必要性が薄くなったという側面が強いと思う)、前半の「密教的な、ゆるカルトとしてのオタクコミュニティにおいて愛用されていたジャーゴン」が拡散されて意味合いを失ったという感覚はものすごくよくわかる。

 

bunshun.jp

 

これについて、思いついたことをTwitterの連投感覚でダラダラと書いてみる。記事として書いてないので特に結論はない。

 

  

SNSが発展しすぎて同好の士意外とぶつかりやすくなりすぎた問題

記事を読んで最初の自分の実感は、単に萌えと言う言葉が通じなくなってきたから今通じやすい言葉に移行しただけじゃね?というものだった。

萌えという言葉のときから所有感のようなものは特になく、今も昔もキャラクターを愛でていたい気持ちのほうが強い。

 

ただ、昨今はSNSが発展しすぎたことから、オタクたちも己の好きを他人とバッティングしないように表現するようになってきたことも事実だろう。多様な好きがネット上で表現され許容されるためには、「萌え」だとウエットすぎるということか。

 

 

「咲夜が好きすぎる人」「(咲夜に関しては)もうあいつの嫁でいいよ」などの言葉で知られていた松下さんに対しであっても、清姫に関しては「清姫は俺の嫁」というと、多分許容しない人がいるんだろうな。

 

というかあの人でも結局邪ンヌやら清姫に流れていくのであってオタクの愛はショッギョムッジョ!信じられるのは「佐天さんが好きすぎる人」と黒犬獣だけだな(爆)

 

 

 「萌え」と呼ぶに値するエモーションを得にくくなってきた問題

また、それとは別で個人的な感覚として、確かに昔ほど萌えという言葉で表現していたほどキャラクターに強い思い入れを抱くこともなくなってきたようにも思う。

  

以下は個人的な感覚なので他人とは共有困難な部分かもしれないことを前もって注意しておきますが。

 

明確に自分が萌えと言う言葉を使って差し支えないと思ったのは直近でいうと「冴えない彼女の育て方」と「この素晴らしき世界に祝福を」が最後かもしれない。

あれは好きなキャラを表現する際には「萌え」という言葉を使った方が適していると思う。うたは先輩は萌えであるしアクア様は萌え。あれは尊いとか推しではない。

一気に古くなるが「シュタゲ」のヒロインにおいても「萌え」と言う言葉のほうがしっくりくる。牧瀬紅莉栖は萌え。あと、私は同意しないけど「ベイマックス」は萌えキャラらしいっすよ。

 

 

逆に萌えキャラ投票で何年か連続首位をとっていた御坂美琴にたいしては「萌え」という言葉は個人的にしっくりこない。彼女は上条のヒロイン。

私がめちゃくちゃ好きなランスシリーズには好きなキャラはめちゃくちゃ多いけどたとえばシィルや魔想志津香が萌えかと言われると違う気がする。ハウゼルとかは萌えかもしれない。

もっというとfateシリーズにおいて最も好きなキャラは遠坂凛だけれど、凛にたいしては萌えないのに間桐桜やカレン=オルテンシアは萌えを感じる。

 

最近の作品でいうとまちカドまぞくのシャミ子はすごくかわいいなと思うけど萌えかと言われると萌えではない気がする。一方で「わたてん」やら「うちのメイドがウザすぎる!」において主人公がようじょに対して抱いてる感情は萌えであろうと思う。しかし本人は「尊い」という言葉を使っている。

 

 

などなどを考えると。。。うーん。。。もう言葉にそれほど深い意味はないのかもしれない。単に「好き!」という感情を言葉でこねくり回してるだけで特別な意味などなかったのだろうか。でも上で述べたように自分の中で萌えには明確にありなしの判定が発生するのだよな。。。

 

 

私が消費しているコンテンツの奥行がどんどん薄くなってきている問題

さて、一応掲題の件も言及しておくと。

最近はTwitterで4コママンガよく見かける。ほとんどが関係性やシチュエーションがネタである。キャラクター掘り下げなどやってる余裕はなく、キャラクターについては昔よりさらに記号的表面的に表現される。

この状況では当然ながら登場するキャラクターに思い入れを抱くことはほぼない。あくまでワンシーンの描写だ。こういう状況では「萌え」には到達しにくそうだなと思う。使い捨てマスクや使い捨てティッシュなどが普及した日本ならではのインスタント感と萌えは相性がよろしくなさそうな気がする。

 

 

 

「萌え」という観点で「百日で死ぬワニ」を考えると

そういう意味でいうと「百日後に死ぬワニ」はどうだろうか。私は最後の数話しか見てないから全くわからないのだが、あれは最初から最後まで読んだ人には久々に「萌え」たり得たのではないだろうか。「このキャラが消えてしまうことが悲しい」「ずっと続いてほしい」という気持ちを抱くことができた人はいたのだろうか。

 

 

ここまでダラダラと書いてきてなんとなく思ったけど、萌えって「日常への愛着」みたいなのとセットになるのかもしんない。「えいえんはあるよ、ここにあるよ」という気持ちこそが萌えの根幹だったのかも。エロゲってすごいときは一時期は7割くらいが日常描写で成り立っていた時期もあったよね。「そのキャラクターと過ごす日常(のイメージ)」が愛おしいみたいなそういう気持ちが萌えだったのかな。でもそうだとしたら最近でも日常描いてるものあるはずなのになぜ萌えを感じなくなってきたのかな。

 

 

 

結局行ったり来たりで明確な結論がでない。

萌えとはいったい、、、ウゴゴゴ