あの当時、なぜエロゲに謎のテキストライターが集まったかというと、
『ライター』という職業を志す者にとって一番稼ぎやすい場所だったからだ
家で稼げる、ダメ人間でも雇ってもらえる、これ大事なことね
また、1作品あたりの予算もコンシューマほどかからないからプロデューサーも適当で
企画さえ通ればあとはテキストライターが好き勝手やることができた
ライターの供給源となる場所はテキストサイトが多分に役目を果たしたはずで、
自分もそのうちの一人だ
90年代後半の暗雲垂れ込めた社会と00年代初頭の失望
それに原始インターネットを混ぜこんで鍋でぐつぐつ煮てでてきたものがあのエロゲ文化だ
社会の空気とカネと「プロデューサー」の雑さ、これがエロゲを生み出していて、
読んでくれる顧客もヒマだった。
ニコニコ動画が出てきてコンテンツは映像的な消費しやすさが意識され
Twitterが出てきてコンテンツのリアルタイム性が要求されるようになった
こんな時代はワナビの書くエロゲは売れない
顧客にフォーカスして売るというまともなビジネスの誕生である
クズライターは放逐され、かつ主婦層のインターネット参戦が目立ってきた頃には単価もクソ落ちてきたので俺もライターをやめた
それなんて「らくえん」?
もうさー。当時のエロゲ環境は夢があったなぁとか猥雑でよかったなあという話をしたいんだったら、「らくえん」プレイするのが一番手っ取り早いって。
あるいはこのあたりの人の話を読めばいいと思う。
当時の会社から夜逃げすることになりました。会社の入っているマンションに深夜トラックを乗りつけ、住人に会ったら「引っ越しです」と答えることを打ち合わせて夜逃げ決行。当時からでじたろう氏の会社に在籍していたジョイまっくす氏が引っ越しのベテランで、「荷物はまかせろ!」とばかりに素早く動いていたことが印象的だったそうです。
こうして結成されたニトロプラスの最初の仕事は小学生向け学習ゲームソフトの開発でした。これがヒットして、100万本程度を販売。当時虚淵玄氏はオーサリングプログラムを担当していたそうですが、自分の作ったゲームを小学生にデバックをしてもらう際、「つまんね」などと言われることに強い不満を抱いていたそうです。そうした不満と自由に作品を作りたいという想いが重なり、虚淵玄氏はついに「もう子供向けのゲームは作りたくない」と発言。ちょうど会社も安定してきた頃だったため、他のメンバーも自分たちの好きなことをやりたいと考えるようになっていたそうです。
news.denfaminicogamer.jp
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僕は18禁ソフトが作りたくて入社したのに、急に「囲碁ソフトやビジネスソフトを作る」と言うんですよ。しかも、実際に作ってもぜんぜん売れなくて(笑)。
それでも入社後最初の1本として『リトルプリンセス』という女の子が出てくるゲームを作ったんです。そのあとに作ったのが『エグゼクティブへの道』というビジネスシミュレーション(笑)。それも売れず、会社そのものが倒産に近いところまで行きました。それで社長に「もう、エロゲー作りましょうよ」と言ったんです。
すごい時代だったよね……。
たしかにこの時代とかあるいはその後のバブル経験してる人たちからしたら今なんて衰退しましたって話になるかもしれないけどさ。
それは当時がおかしかっただけですやん。
それコンシューマーゲーもCD売り上げも全部同じですやん。
何当たり前のこと言ってるの?としか思われないからほんとやめてほしい。
らくえん追放された人たちがいつまでも追放されたらくえんを懐かしがってうだうだ言ってるのを聞くの切なすぎるからやめて。もうまぢむりそっとじしよ・・ってなるからほんとゆるして。
今でもエロゲは分相応に盛り上がってて楽しいやろ
ちなみに、エロゲそのものは全然衰退してないしむしろ広く見た時には市場規模は過去最大になってるみたいですよ?
erogetoerodouga.com
なんか「エロゲは衰退しました」っていって隠居した人たちがのんびりと当時はよかったなぁって振り返るような話じゃなくて、今の世界で楽しそうに妖精さんたちと楽しく生きてる人たちの話が聞きたい。
この件についてはいろいろ思うところあるけどエロゲの話でけんかしたくないからこのブログでは書かない。