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読みました。この記事にある謝罪はとてもいいですよね。
私は問題が起きた時に「きちんと謝る」ことができる人がとても好きです。
自分自身も、自分が悪いことをしてしまったと思ったらきちんと謝れる人間でありたいと思っています。
そんなわけで、忘れないように謝罪について「自分はこういう風に考えたい」ということは過去にまとめてあります。
「謝る」というのがどういうことか、一度ちゃんと考えてみよう - 頭の上にミカンをのせる
問題が起きた時に「自虐お詫び」するのは火に油を注ぐだけなのでやめよう - 頭の上にミカンをのせる
「謝る」の第一歩は「相手のことを理解する」ことから始まる - 頭の上にミカンをのせる
「スタンフォード大学の心理講義 人生がうまくいくシンプルなルール」に書かれている「謝罪のルール」について紹介する - 頭の上にミカンをのせる
「何度も謝ってるのに許されない」と主張するフィフィさんが勘違いしていること - 頭の上にミカンをのせる
謝るという行為ができるかどうか、こそがコミュニケーションの根っこになるのだと私は思っています。
たぶん「謝る」という行為に対する考え方自体が人によって大きく違うと思うんですよね。
今の私は、謝るという行為のことを「相手とのコミュニケ―ションに問題があった時に、関係を切ることなく修復したり維持したりすることができる」技術だと思っています。
つまり、謝るという行為こそが、コミュニケーション能力の根っこといってもよいのだ、くらいに考えています。
「謝罪」というのは何も特別なことではない。問題に対処するための一つの方法として「謝る」という手法はとても有効であり、これが最適であるケースは多い。これがちゃんと使えれば、コミュニケーションにおけるちょっとしたすれ違いを恐れなくても良くなる。「なにか間違った発言をして相手の気分を損ねたらGAME OVER」みたいな思いをしなくてすむ。コミュニケーションがサドンデスの綱渡りみたいに感じてる人が多いけれど、そうならないようにするために謝罪というスキルがあると思う。「謝罪」による解決が可能というのは安心感を与えてくれるものである
スタンフォードの心理学講義 人生がうまくいくシンプルなルール
- 作者:ケリー・マクゴニガル
- 発売日: 2016/10/06
- メディア: Kindle版
今となっては、謝れない、謝らないことのメリットって何?くらいに思ってます。謝らないことによってコミュニケーションというものをめちゃくちゃ窮屈にしてしまうデメリットの方が大きいと感じる。
これは今はすっかり残念な人になってしまった内田樹さんから学んだ大事な考え方の一つです。
コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときにそこから抜け出す力だということである。それは今の例でおわかり頂けるように、「ふつうはしないことを、あえてする」というかたちで発動する。私たちは二人それぞれに「客や店員がふつうはしないこと」をして、それによって一度は途絶しかけたコミュニケーションの回路は回復した。
謝るという行為に対して、頭を下げたり相手に屈服するというマイナスイメージを持つところから脱却したい
私もかつてはそのイメージだったのでとても抵抗がありました。
でも、そうじゃないんだと。
「意志のすれ違いがあった時に、相手のことをきちんと尊重する意思を示すことだ」とか
「相手のことを大事に思っている。時には自分の言いたいことよりも相手の方が大事だと示すことなんだ」
という意識を持つようになりました。
これは逆にいうと、「尊敬できない相手」や「コミュニケーションをとる必要がない相手」に対しては形式的な謝罪以上は必要ないという考え方にもつながりますが
特にインターネットではそういう考えでも大きく問題はないと思います。
企業などであれば「リスクマネジメント」の必要性があるため、別の物差しも必要あるでしょう。
親しくする必要がない相手であっても顧客やステークホルダーへの配慮は必要になる。
でも、個人レベルで考えた時にまず大事になるのは「コミュニケーションへの意思」や「相手への尊重の意思」だと思います。
何かあった時に謝ることができる程度に、その相手に対して「コミュニケーションへの意思」や「相手への尊重の意思」を持てるか。
その気持ちが自然と持てるのであれば、謝罪に形式とかルールとかあんまり関係ないと思います。
ここまでくると、マナー講師みたいなことをいうのはすごい野暮な話だということがわかりますね。
こういう時はあやまるよりわかったことのほうが大切だ。わかったことによって胸がいたんだってことのほうが大切なんだ。あやまれば、チムリの胸の痛みは和らぐかもしれない。でも、そのせいでせっかくわかったことを忘れてしまうことも多いんだ。だから俺は、痛くても胸の中にあった方がいいと思ってるんだ。そうやってわかったことが胸の中にちゃあんとあれば、次にどうすればいいかをその痛みを教えてくれるからだ
とはいってもいきなりは難しいから、最初は「型」の力を借りて「謝罪」の構造を理解しておくこと自体は悪くないと思う
冒頭にリンクを貼った「謝るとはどういうことか」という記事からの引用です。
①お詫びとは「反省」「謝罪」「償い」の3要素から成り立つ人間関係における問題解決の手法です。
この3要素すべてが揃ってトラブルが起きた相手と意思疎通が再開できるようになります。難しいけど身に付ける価値があるスキルだと私は思います
②この際「反省」は必ず相手目線でやらねば意味がありません。自分目線でやると自虐お詫びになってNGとなります。だいたいここで半分くらいの人が間違えるような気がします。
③「謝罪」のつもりで、誤解を解こうとして自分の事情を説明するのはNGとなります。あくまで、相手が何を問題視していたのかを理解することが謝罪の目的です。自分の事情は優先順位は低いはずです。90%の人はここでつまづくイメージです。
④「償い」の段階は①や②の積み上げが上手く行ってない人は自動的に失敗します。その上で「相手のために」何かできることは無いかと考えましょう。①、②をクリア出来ていれば8割方はクリアできるイメージです。
特に難しいのが「反省」です。反省と言っていますが、この言葉だと間違いやすいので「傾聴」といったほうが良いかもしれません。
要するに「相手の言い分をちゃんと聞く・考える」ということです。
だが、おわびで言うところの「反省」とは、内向して、自分を裁くことではない。相手を追体験することだ。
相手目線での反省と、自虐おわびの反省では、ずいぶん「主役の立て方」が違う
おわびのシーンでは、自分の話をとうとうと聞いてもらうな!まず相手の話を聞け!
これについて、チェックシートみたいなものも作ってみたことがありますが、そういうのは大事ではありません。
www.tyoshiki.com
方法を覚えるというよりは、謝るということについての意識を変える必要があるかなと思っています。
私はこの本でそれを学んだ気がします。
この本はマジで読む読まないで人生変わるレベルの力があると思っているので
若い人はマストバイだし、私と同じ年くらいのミドルエイジな方々にも強くお勧めします。
半年で職場の星になる! 働くためのコミュニケーション力 (ちくま文庫)
- 作者:山田 ズーニー
- 発売日: 2013/04/10
- メディア: 文庫
以上のルールを踏まえて、ひきたよしあきさんの謝罪文は何が素晴らしかったのか、どう見習うべきかを考える
とても大事なのはこの部分です。
編集部には、「強い表現の言葉を子どもたちがどのように受け取るかを考えて」「子どもに自分を否定するようなことを言うべきではない」というご批判が寄せられました。
また、「発達障がいで片づけがうまくできない子がいることを知ってほしい」「貧しさから身だしなみを整えられない子どもたちもいる」というご意見もいただきました。
ひきたさんの記事は
①相手の意見をちゃんと取り上げて ②それを受け止めて ③これからどうするかを述べる。
のすべてがそろっています。
まず①が重要で、こうすることによってこちら側は「話を聞いてくれた」「話が通じた」という感覚になります。
①で批判を正しく受け止められてなかったりごまかしがあると思われたらよりボコボコにされるかもしれません。
それでも勇気を出して批判してくる人たちの言い分にたいして「私はあなたがこういうところで怒っているのだと思います」
とちゃんと具体的に理解しようと努めている姿勢を示すことがものすごく大事だと思います。
理性的に批判をしている人であれば「話が通じている」「相手がこちらが投げた球を受け取った」と思ったらそこで過剰な攻撃を思いとどまるものです。
(逆にいうと、ここで思いとどまらない人は相手にする価値がない人たちです)
まず自分が相手の投げてくる玉を受け取ろうとすることで「コミュニケーション」になるということですね。
殺伐としたネット空間で、こういう対応をしてくれる人がいると、ものすごく安心しますね……。
インターネットにおいて謝罪をするのはとても難しい → 開き直る人間ばかりが幅を利かせる状態になっててつらい
ところが、ネットにおける謝罪において、この①がまずとても難しいです。
一対一でもなかなか難しいのに、大勢からの批判となると①に何を持ってくるのかが難しい。
例えばネットにおけるフェミニズム絡みの話題を観ればわかると思いますが、
だいたい批判する側は0.5割のまともな人と9.5割の暇人とキチガイみたいな構成になっており、
それに対して頓珍漢な擁護をする人たちも大量に湧いてカオスな状況になっています。
0.5割のまともな方からの批判に誠実な回答を返しても、火が収まらないこともあります。
そもそも、はてブ民をみたらわかる通り、ネットではコミュニケーションを全く意識してない人が多いです。
暴言やきつめの言葉での批判をしておいて、反論や確認のためにIDコールを送ったら逆切れする人を何人も見てきました。
自分は好きなことをいうし、それを受け取らないと怒る癖に、自分は相手の言い分を受け取る気がさらさらない。
アンフェアの塊だし人間とみなす価値もないので即座に非表示送りですね。 ねこのうんこふめ。
こういう人たちのせいで、この①の部分に対してコミュニケ―ショーンの必要性を感じないため
雑に「不快な思いをさせて」とか「誤解をあたえてしまい」という紋切り型で対処しようとして火に油を注ぐケースが後を絶ちません。
さらにいえば、謝るだけでもましな方で、謝れない人は問題を矮小化したり、批判をゆがめたりして批判をそらそうとします。
本気で認知が歪んでる可能性もありますけどね?
最近でいうと藤田さんはひどかったですね。
でも、今って本当に誰もかれもが言いっぱなしになってて批判されても無視したり突っぱねたりするメンタルおかしい人ばかりが目立っててほんとに嫌だなって思う。
オープンなインターネット空間では相も変わらずたくさん文字は行き来してるけど、コミュニケーションってもうどこにも存在しないじゃないですか。
もう完全に価値のある情報とかコミュニケーションはTwitterのDM部屋に移動しちゃったよね。
悲しいなぁ。