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「龍と苺」  「響~小説家になる方法」の作者の新作。テーマは将棋だけど今のところ「響」クローンすぎる

冒頭5ページ目でいきなり教室内で椅子持って男を殴る女主人公のシーンからスタート。そして相変わらず絵がひどい。


この時点でもうすでに「ああ……また野生児系主人公か……」っていうガッカリ感が凄い。作者さんさ……また気難しくて奇行と暴力、みたいな味付けで天才少女を演出かよ……。モテカワコーデみたいなノリで暴力シーン描くのやめて……。


その後の展開も主人公のキャラクターが響そのまんま。

将棋勝負で命を懸けると言い出して、いきなり目の前で「負けたら本当に自害しろ」と鋏を突き付け、勝負の結果自分が負けたら躊躇なく窓から飛び降りようとする。気に入らなかったら暴言を吐き、相手に駒をぶつけ、幼児のような振る舞いをしておきながら「私は本気の戦いがしたい」とか寒いことをいったり……

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あのさあ、、、そういうの、もう十分響でやり切ったでしょ……成仏してクレメンス……。



あまりにも描写がワンパターンすぎる……なんか「もしドラがヒットしたからもしドラ2書いてください」みたいなノリを感じる

まだ響の最初のころはすごいなと思ったけれど、何回も何回も同じことを繰り返されると、読者は飽きるというか呆れてくる。

最初の一回か二回なら「繊細で自分を曲げられない人間が一般社会と衝突してしまった不幸な事故」であると感じなくもない。その人物の天才性の演出っていう風に受け取れなくもない。

だが、何度も同じことを繰り返すとただの学習能力のない阿呆にしか見えない。響の時点で中盤以降は「周りが助けるのを前提として」自己演出のために寄行を繰り返すファッションキチガイ描写にしか見えなくなっていた。

それでも「響」という作品内でやる間は「まぁ響だからしょうがないか……」と思って生暖かい目で見られていたのに新作でもまた同じことやるか。ちょっとついていけない。


描写のバリエーションが乏しすぎる……まじで厳しい……。

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そして、今回の主人公もさんざん暴れても天才であるというだけで許され、愛される。才能イズGOD。
「才能イズGOD」がやりたいならせめて「才能」の描写に説得力もたせられるように頑張ってくれ……。



前作は「小説家」というテーマを選んだのが勝因だったと思うけれど将棋でそれをやるか……

それでも、小説という定跡のない世界だったらまだ「ファンタジー」要素も十分あり得たと思わせられてしまうところがあった。

でも将棋でこれをやられるとかなり萎える。

前作は若い子供が、才能ひとつで「旧弊じみた小説家の世界」に食って掛かるという話だった。
また、響は態度こそ傲慢ではあったが良い小説に対しては素直に愛情を示していた。
cdbさんが言っていたが、響は天才作家であるまえに「一級の読み手」なのだ(説得力のある描写はないけれど)。

描写はともかくとして、小説を愛する者として暴れまわるというところがかろうじて愛嬌になっていた。

しかし、この作品の主人公にはそういう要素があまり感じられない。ただ反骨心とか敵愾心ばかりが目立つ。
後はすべて「天才だからいいじゃん」なのだから響よりずっと雑な印象を受ける。

主人公の傲慢さを中和させるかのように敵となる存在を徹底的に嫌な感じで描写するのも前作のまんま……

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とにかくもう、やりたいことが見え見えすぎて読んでてつらい。


「読者にストレスを与えてそこから解放する」というのは別に響に限らずエンタメの定跡だと思うのでそれはいいんだけれどこの作品の場合、主人公が勝っても別にスカッとしない。

「響」の時もそうだったけれど、本作も、むしろ主人公側がヘイトを集める側なので、主人公には一度くらい負けてほしいって思ってしまう。響のときは結局最後までそれがないまま終わった(でも「響」についてはそれでよかったと思うけど)


同様のテーマながら主人公の描写に説得力がありライバルの描写もうまくステップアップも納得感があり敗北もチームワークも描いてエンタメとして完成度が高かった「昴」とあまりにも差がありすぎる。なまじこの作品を読んだがゆえに、ずっとイライラしてたような気がする。

昴(1) (ビッグコミックス)

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  • 作者:曽田正人
  • 発売日: 2012/09/25
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本作では1巻の最後でようやく主人公がきちんと鼻っ柱を叩きおられる。ここからが「響」ではない本作ならではの展開が始まる…かも…しれない?

というわけで、1巻の内容についてはボロッカスに書いたけれど、ただボロッカスに書くだけであれば紹介しようとは思わなかった。

この作品ではちゃんと1巻で主人公は負ける。前作ではそれすらなかったからな……。

前作描けなかったものに挑戦しようとしてるのであればそれは応援したいなと思います。

私は、この作者が「響」を描く前の作品「女の子が死ぬ話」と「きっと可愛い女の子だから」は好きだったのです

女の子が死ぬ話 (ビッグコミックス)

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  • 作者:柳本光晴
  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: Kindle版

頼むから、こういう「主人公を女にしておけば脈絡なく暴力をふるっても許される」みたいなノリをやめて新しいものを描いてほしい。





Amazonのページの口コミが凄い熱量である

龍と苺(1) (少年サンデーコミックス)

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  • 作者:柳本光晴
  • 発売日: 2020/08/18
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(文量オーバーで消されるかのうせいがあるので保全)

レビューを星3から1に改める。理由については追記にて。…というか、追記のほうが重要な論点なのでそこまで読んでいただければ。

作者の響という漫画を2巻まで読んだことがあるが、殆ど同じ話である。中学生の少女が初めてから二日目で将棋のアマチュア大会で優勝してしまう。彼女は非常に我が強く、命懸けのひりつくような日常を求め、漫画の開始そうそうに学校でクラスの不良を椅子でぶん殴る。いじめをしていた不良にはお咎め無しで殴った自分がなぜ生徒指導に呼ばれるのかと不満を口にする。指導員の老人と会話しながら始めた将棋で何か賭けないかと問われると”命”と即答し、ハサミを持ち出して本気で命を賭けていたのだとわかる。実力では上回ったが二歩をやらかして負けたら窓から飛び降りてしまう。響では飛び降りた女子を男子が両脇で抱えてキャッチしていたが、本作では老人が女子の片脚を片腕でキャッチするのでより無理がある。ようするにやっていることが響と全く同じなのである
この漫画を読みつつ、響も含めようやく作者の意図が理解できた。男から見て不快感を抱くような少女を描きたいのだ。男が求める”女”や”子ども”の枠にはまることを拒否し、男性優位社会を全否定して少女が圧倒的才能でもってそれを完膚なきまでに叩き潰すのを男女のジェンダー問題に対するひとつの方法論にしているのだと思われる。前作で響の性格に大きな批判を受けたのも想定通りだったのだろう。

問題があるとすれば話の作りが凡庸すぎるということだ。先に述べたようにプロットや主人公の性格は響をそのまま使いまわし、天才中学生が即日でルールを理解して早々に才気を発揮し”命を賭ける”などと言い出すのはまるっきり福本伸行のアカギと同じ、そして肝心の将棋について余りきちんと取材していないのか、話の間に何度も、将棋の盤面のミスの訂正と謝罪を行っている。この1巻だけで3回もそれが出てくる。冒頭の二歩で負ける話で相手が最初に二歩をやっていたなどというのは話にならない。読者の皆さん、盤面のミスを見つけたら指摘してくださいね、という編集者からのコメントまで載っている有様である。主人公が将棋の駒をぶちまけて苦言を呈されるのも本棚を倒す響そのまま、という感じだが、引きのカットで「…負けました」と言うシーンが3回出てくるのだが構図が殆ど同じなので天丼のギャグにしかみえない。

男性優位社会に天才少女を君臨させることでひとつの問題提起を行いたいという作者の考えは理解するが、それをかたちにするだけの漫画家としての実力も無ければ、盤面ミスを繰り返す等、それ相応の取材も行っていないというのであればその刃は空を切るだけある。実際、本作はギャグ漫画だと思ったほうが腑に落ちる。それは2巻まで読んだ響も同様であった。


[追記]
この漫画は第1話の1ページめでプロの女性棋士が存在しないことを説明し、そこに将棋関係者の「可愛いのが居れば絵になるが、所詮女に将棋をやる頭はない」という、非常に悪意に満ちた女性蔑視発言が重ねられる。このことから棋界を上記で触れた男性優位社会の象徴として描いているのは明らかである。大人の男が女性や子どもを見下す発言は他にも多々出てくる。

そんな本作では上記のように”盤面ミス”の訂正と謝罪を3回も行っている。これは巻末にひとまとめにして行っているのでなく、各話の間のページで都度行い、そのたびに「本格将棋漫画を標榜しておきながらこのようなミスは許されることではありません、今後は2度と同じようなミスを冒さぬよう云々」と作中人物に言わせているのだが、どうも、あまり真剣に謝罪しているように見えないのである。この謝罪もコピペ文で3回繰り返すので、全然真摯に受け止めて無いじゃん、と”思わせる”ようである。編集部からの「ミスを見つけたら教えて下さいね」というのもどうも…という感じである(これも3回繰り返される)。なにしろ、謝罪ページのタイトルが「駒配置ミス謝罪のコーナー」ときたもんだ。
…で、考えつつ、本当に”連載時の駒配置ミス”はあったのだろうか、と思ったのである。自分は雑誌で読んでいないので、判断しようがないが、謝罪しているからそうなんだろうと思ったのだが。仮にあったとして、”読者からのミスの指摘”は本当にあったのだろうか。ひょっとして、作者が、連載時に確信犯的にわざと作画ミスを行い、マッチポンプ的な”ミスの訂正と謝罪”を行っているのではないか。本文で触れた、二歩で負ける対局で相手が二歩をやっていた、というのも”仕込み”くさい。
…君は何を言っとるんだ、と突っ込まれそうだが、こう思ったのには理由がある。上記にて”訂正と謝罪を作中人物に言わせている”と書いたが、これを担当しているのが月子というまだ若い”女流棋士”なのである。彼女は名人の娘という”権威”があって、父の威厳に頼らず自分の力で棋界で成り上がっていきたいという志は持つが、主人公とは違い、”女性としての弱さ”をまだ克服出来ずに居る。
その月子に”漫画のミス”を謝罪させているのだ。おまけに謝罪ページで「この漫画のマスコットキャラ、月子ちゃんです」などと本人に発言させている。作中で批判しているはずの女や子どもに対する扱いをこの漫画自体がやってしまっているのである…が、たぶん、これもわざとなのだ。つまり、男性優位社会で才気を振るう主人公に意図的に嫌悪感を抱かせるのと同様に、単行本自体にも「女子ってのはこんなふうにマスコットとしていいように利用される存在なんですよー、あなた達読者は普段それに気付かずに当たり前のように受け入れてるんですよお-」と男性優位社会の構造を意識的に導入してみせるという”メタ表現”を重ねているのだと思われる。
そんで、このような謝罪コーナーを作ることで、連載時の本作に対し、読者が女性の社会的な劣勢について考えるのでなく、”盤面ミス”という”揚げ足取り”に血道をあげさせようとしているのではないか。そして「ほら、本作を批判する輩はこの漫画で提起しているジェンダーの問題に向き合わず、揚げ足取りをやりたがる連中なんですよおー」とやりたいだけにしか見えない。

今の日本がなんだかんだ言って男性に優位な社会であるのは間違いない。その中で近年、漫画などのエンタメに対して女性からなんらかの批判がある、というのはよくある事だし、それを無碍に却下するのは間違っている。なぜなら、世の中には当たり前のように男尊女卑の構造が出来上がっているエンタメは珍しくない。その中で女性の権利意識を高めるためにある程度”偏らせる”というのはやむを得ない事であるとも思う。例えば「さよならミニスカート」という漫画も、単体で読むとこれはこれで偏向しているのでは、と思えなくもない。しかしある程度、批判上等で描かなければ、女性の劣勢を対等にもっていくのが難しい、ということだと思う。当たり前に男尊女卑をやらかしているエンタメを普通に楽しみながら、女性の権利意識を主題に持ってくる作品を叩くというのは思慮のない人間のダブルスタンダードでしかない。

だが、この漫画はやり方が間違っている。”偏らせ”というよりは殆ど”炎上狙い”に近いのではないだろうか。このようなやりくちを青年誌ならまだしも、少年誌でやることが正しいとは全く思えない。例えば国内では右左の思想的対立が目立つが、対立する相手に対し「ネトウヨは…」とか、「パヨクは…」という物言いで、相手が話を聞こうと思うだろうか。より強く相手を拒絶するようになり、単に分断がより深まるだけだろう。この漫画がやっているのはそれと同じ事でしか無いと思う。子どもには対話して理解しあうことの大切さを先ず説くべきではないのか。世の中にはジェンダーに限らず、様々なファンダム間の”分断”をテーマにした作品が多々存在するが、個人的に優れていると思う作品はだいたい対話によって相手の立ち位置を理解し合うことの大切さを描いている。そっちのほうが遥かに意義があると思う。

作者と編集部的には”劇薬”を投下してやったつもりなのだろうが、それがなにかプラスに作用するとは全く思えない。男性優位社会について真剣に考える切っ掛けを与えることにもならず、ただ分断を煽るだけである。マチズモ的な論客から笑われながらも長年、女性の権利を訴え続けていた田嶋陽子は近年になって世間のプロップスをあげていると聞くが、それは常に彼女が(ときに誤った発言をしていたとしても)一貫して”真剣に”語り続けていたからだろう。一時、たまに観ていたなんちゃら委員会という番組を一切観るのを止めたのは思想的にどうこうというより、男たちが数少ない女性論客(もうひとり居たが、その人は発言の立ち位置が”女性”でないのでカウント外でも良い気がする)として出演する彼女を嘲笑しながら叩くという構造に辟易したからだ。この漫画の品の無さはそれに近い。

[追記2:追記内容の補足]
追記にて言及した問題が自分の的はずれな邪推でしかない、というのであれば、本作は偉そうに棋界を男性優位社会の象徴として辛辣に批判しながら駒配置という将棋の基礎中の基礎をおろそかにし、批判を受けても何度も同じミスを繰り返し、コピペ謝罪文で済ませ、挙げ句は駒配置の検証を読者に丸投げするという極めて不誠実な態度を取っている事になり、棋界の男性優位性に問題提起する人間の将棋に向き合う態度が所詮その程度のものにしか過ぎないのであれば、「女に将棋をやる頭はない」という、作中に出てくる悪意に満ちた女性蔑視発言に一定の正当性を与える事になる(個人的には読者にそう言わせたいとしか思えないんだけどね)。

また、謝罪コーナーを棋界に於いて”名人である父親の威厳”によってある程度居場所を獲得しながらも”父に頼らず自分の力でのし上がる”という志を持ちながら、まだ”女子としての弱さ”を克服できない月子に”本作のマスコットキャラです”などと発言させつつ担当させているのを何も考えずに”素”でやっているのだとすると、この漫画の単行本自体が男性優位社会の構造をなぞっている事になり、本作には棋界への批判はおろか男性優位社会への批判を行う資格もないという事になる。追記で触れたような炎上狙いの如き”仕込み”なのか、何も考えていない”素”なのか、さてどっちでしょう。どっちにしろ、こんなやりかたで子どもに社会の構造について真剣に考える切っ掛けを与えられるとは思わないな。追記の後半で書いたことを繰り返すけど、ただ分断を煽るだけだよ。

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現状女性のプロ棋士が居ない理由を深掘りし、それに対してどのようなアプローチで女性が将棋界で戦っていくのかを描く漫画かと思っていました。

現実に沿ったテーマを初回から打ち出しておきながら、なぜ主人公は天才なのでしょうか。これでは、主人公を女性にした意味が全くないでしょう。女性が将棋界で活躍する様を描けば面白くなるだろうという発想でしょうか。個人的には、将棋界の現状と女性性を(無意識のうちに?)利用した、非常に気分の悪い作品作りだと感じました。作者が意図的にそうしているのであれば、うまくカモフラージュしたなろう系といったところでしょうか。今のところは、天才女子中学生が男性を軽々と倒していくだけの漫画です。そこに、なんの努力も苦悩もありません。

ちょうど乃木坂太郎先生の「医龍」を読み返していて、なぜこんなにも不愉快な気持ちになったのか、思うところがあったので追記します。

まずは「天才」について。医龍の主人公は本作と同じように天才で、周りとの軋轢を苦にしない唯我独尊の人物です。物語の序盤は主人公を中心に話が進み、その天才ぶりをもって問題を解決していきます。
しかし終盤に進みにつれ、天才(主人公)の周りの人物一人一人にフォーカスがなされ、丁寧にその人物の物語が描かれていきます。そして、いつのまにか物語の軸は周りの人物に移り、天才である主人公の「ただの人間の部分」が描かれます。最終的に、主人公は「天才な一人の人間」として周りの人物とともに物語の終わりを迎えます。

主人公の天才ぶりを強調させるために周りの人物を使い捨てる「龍と苺」の描き方とは、随分異なると思います。「響」の感想でも、天才を描くにはこういう乱暴さが必要なんだ、天才とはこういうものなんだという声がありました。しかし、上記のような天才の描き方もあり、実際にそれで描かれた漫画も存在します。

また、「女性」について。医龍では、女性(この人も才能に溢れている)が病院で働き、院内選挙で戦う姿が描かれています。女性が病院で上にいくことの意味や苦しさ、また、出産や「女」としての尊厳等、作者の考えをしっかりと描いています。ただ、強い女性が出世する姿を見せるためだけ(なろう的)に登場したキャラクターではありません。

圧倒的な天才が次々と凡人を倒していくことを描く「龍と苺」とは、アプローチが全く異なると言われればその通りです。しかし「龍と苺」の、設定や登場人物を主人公の天才性や絵面の気持ち良さのためだけに安易に使う姿勢には強い不快感を覚えました。刺激がある作品だとは思いますが、それが私には悪い方向に働いたようです。エンターテイメント的な楽しさや気持ち良さを求める人には、あった作品なのかもしれません。

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『響~小説家になる方法~』(以下『響』と表記)著者の描く将棋漫画。
総評を述べるなら、『響』愛読者以外は同出版社発行くずしろ『永世乙女の戦い方』を読んだ方が億倍良い
本作は『響』愛読者以外にとっては全く読む価値のない作品である。何故かと言えば本作は『永世乙女の戦い方』とほぼ同一の内容を取り扱っているにも関わらず『響』から一歩も進歩の無い天才像、人間像、画力、展開を引き継いでいるからである。何より前者と違い将棋未経験者には何も伝わらず、全く面白くない。

『響』主人公そのものかと思うような女子生徒がクラスメイトを暴行するところから始まり生徒指導室に連れられやったことのない将棋を命を賭けて(言葉通りの意味)指す。いましがたルールを教わったばかりの素人にも関わらず異常なほど強く、終いには反則負けして窓から飛び降りようとする。論理的なルールのあるゲームでド素人に超天才的な才能があるというのはもちろんありえないのだが、それ以前の問題として話の展開も描かれる人間像も『響』と全く同じで一歩も進歩していない。長期連載を経てなお、自然にストーリーを転がすということすら出来ていないのだ。


その他の展開も『響』と大差は無い。現実において女性棋士は1人も存在しないのだが、その理由に対して表現されるのは『女は頭ワリーから(原文ママ)』『男とは脳の作りが違うんだろ(原文ママ)』『頭使うのにむいてないんだろーな(原文ママ)』『女はなぁ…相手を恨むからなあ(原文ママ)』『真剣勝負の場に女が出てこないでくれねえかなあ(原文ママ)』といういかにも『これから痛い目見ますよ?』というような露悪的なオーディエンスの台詞である。


ちょっと検索すれば理由くらいすぐ出てくるし、素人目でも体力、集中力などの要因くらい想像できるが天才を描くために周囲を馬鹿や無能に描くというやり口も『響』から進歩していない。そんな大人や男たちを将棋を始めて2日の素人が「数分で定石を覚えて10年分強くなれ!」というゆでたまご先生方も真っ青の修行パートを経て、迫力の無い絵柄で倒し無双して大会優勝する。その後プロ棋士相手に1敗するが誤差のようなもの。作者は『響』の連載で一体何を学んだのだろうか?


加えて大きいのが『永世乙女の戦い方』という良作の存在である。本作レビューから逸れるため簡潔に表せば、『将棋を辞めたら死ぬ』『女性棋士は1人もいない』『素行の悪い天才』『将棋という喧嘩』『敗けたら飛び降りる』『タピオカ』『将棋未経験者へ解説』という本作が触れている内容に加えて、本作に無い『普通の友人関係』『女流棋士同士の友人関係』『日常生活』『将棋を指す姿の美しさ、かっこよさ』『将棋を指す喜び』『主人公が自発的に目指したい目標』まですべて優れた画力で、自然な展開で、魅力的な登場人物で、分かりやすく描く完全上位互換漫画が存在する。
ちなみに本作の連載は『永世乙女』の後発である。(本作:2020/8/23 永世乙女:2019/10/5)
パクリとは言わない。だが、作品として遥かに劣っている。同じく小学館から出版しておきながらこの様は恥ずかしくないのだろうか?

はっきり言ってしまえば、この作者は天才か凡人か以前に人間の生き方や心の在り方を全く書けていない。キャラクターの外見、内面や行動にはキャラクター自身の人生が反映される。人生を描かずに人足飛びに『ありもしない』才能だけを与え、暴力性以外の人間性を与えないのだから上っ面の命を賭け、口だけの覚悟を語る、薄っぺらいフィクションにしかならないのだ。ましてや長期連載を経たプロでありながら漫画家としての画力、構成力が全く成長していないうえに『響』に続き題材に対する深い理解も敬意も無いなど、本当に恥ずかしくないのだろうか?

『響』作中の表現に則って表現するならば、本作は『響』から引き続き成長の無い『ゴミ』である。今からでも打ち切った方がいい、唾棄すべき駄作である。『響』がこの世で最も面白い漫画であると信じて疑わない限りは無料でも購入しないこと奨める。

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……永世乙女の戦い方買います。。。

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